田舎暮らし小説 「理由」
田舎へ移住した人が、田舎暮らしの生活の中で、生きるヒントに出会う短編小説。今回のテーマは「危機感」です。
☆
昨年、すぐご近所に引っ越してきた牧野さんのご一家。我が家に引っ越しの挨拶に訪れた時の私の抱いた印象は、
(ちょっと怖い)
だった。と言っても、怖いと私が感じたのは、奥さんの“アサミ”さんに対してだ。
旦那さんは少しふくよかで、背が小さくて色白の、ちょっと頼りなさそうな感じで、子供は二人いて、上が女の子、下が男の子。まだ二人とも小学生だった。
アサミさんは背が高く、肌が浅黒い、全身の骨が角張って尖っているような印象を持った。そして、実際に話してみると、やはり角の多いで、近所ともうまくコミュニケーションが取れず、というか、むしろ関係を持つことを拒んでいるように思えた。
二人の子供たちも地元の公立小学校には通わせず、車で1時間ほどの場所にあるフリースクールのような場所に通わせていたので、ますます地域でも孤立していた。
この辺りは都内からの移住者が多く、初めは多少なりとも交流はあったし、うちもお隣で、子供の年齢も近いので親しくなれるかと思ったのだけど、なかなか親しくなるきっかけがなかった。
旦那さんは、今流行りのリモートワークが中心だけど、週に一度は都内の会社へ通っている。アサミさんは家の近くに畑を借りて、無農薬の自然栽培に精を出している。なんでも、都内にいた頃からあちこちで研修や勉強はしてきたとのことで、家庭菜園歴今年で5年目の私よりもクワや草刈り機の使い方が上手だった。
アサミさんは懸命に農作業をしていた。4月に引っ越して来て、すぐに夏野菜に取り掛かり、夏には秋冬の野菜の準備をした。
ここの暮らしは冬は寒く、農作業は春までできない。でも自分の畑で大量に収穫した大豆や里芋、生姜、小豆などの選別作業や、冬野菜の保存などで、仕事はいくらでもあった。それに加えて来年度は田んぼまで借りるというのだから、すごいバイタリティーだ。本格的な自給自足を目指しているらしい。趣味で、気ままに野菜作りやハーブの庭を楽しんでいる私とは大違いだ。
でも、アサミさんの畑作業している姿は、よく見かけるのだけど、楽しそうに見えなかった。まるで何かに怒ってるみたいに見える時もあったし、焦っているようにも見えた。
だから時々子供たちや旦那さんが手伝いに来ても、作業に対して怒ってばかりだった。見るからに、旦那さんも、子供たちも、その作業を嫌嫌「やらされている」のはわかった。
私は都会の生活から、のびのびした田舎暮らしを夢見てここにやってきた。山々の見える新しい生活や、土いじりは楽しかった。
もちろん理想と現実のギャップに苦しんだり、地域との付き合いとか、慣れないことが多くて疲れたけど、今はどうにかなってる。楽しく暮らせている。
でも、彼女を見ている限り、最初からキリキリとしていたし、今でもまだ何かに追われているようだ。
ちなみに生活自体は何も困ってはなさそうだ。家は新築で大きな家で、車も2台あり、1台は外車だ。旦那さんの仕事内容は聞いたことないけど、いつも忙しそうだし、けっこうな収入を得ていると思う。
でもアサミさんはいつも不安そうだ。鬼気迫るように生きている。少しずつ話をするようになり、私も東京からの移住者だと知ったことが大きな理由だろう。
*
「食糧危機?」
私はこれまでそんな危機感を抱いたことは愚か、考えたこともなかったので、アサミさんの口から出た思わぬ言葉に、素っ頓狂な声を出して聞き返した。
「そうよ。これから必ず食糧危機が来るわ。日本の食料自給率知ってる? 35%よ?そして今は中国が躍進して、台湾や沖縄を狙っているのよ? このままじゃ日本は中国に侵略されて、食べ物もなくなる。それに、経済危機もあるわ。アメリカが破綻したら、お金が紙切れになるかもしれないの」
アサミさんはそう捲し立てる。その剣幕に押され、私は何も言えない。
「最後は水と食料。だから自分で自分や家族の分は作ってないとダメなの。近いうちに、東京は阿鼻叫喚になるわ。飢えた人たちが暴徒化するかもしれない」
アサミさんはこれから食糧危機が来て、お金中心の生活が壊れるから、その時のために田舎暮らしを始めることにしたそうだ。
のどかな風景の中、地域の清掃担当を決める会合の後、一緒に歩きながらその話を聞いた。
それなりに親しくなると、家に呼ばれて、アサミさんの家でお茶をすることもあったけど、その度に聞かされるのは、いかに今の時代が危険かという内容だった。
農薬の話、食品添加物の話や、製薬会社とか、抗がん剤のこととか、放射能のこととか、とにかく暗い話を、得意げに聞かされる。
国や政治家が悪い。お金を牛耳る支配者が悪い。医者が悪い。テレビが悪い。マスコミが悪い。
そして「教育」に関してもそうで、義務教育や、日本の教育制度はアサミさんに言わせると全てダメで、洗脳のためであり、軍隊のような生活だから、そんな教育を受けると子供たちは人間性を失うとかどうとか…。
そして、それとなくだけど、娘を公立の中学校に通わせる私に対して批判的だった。
確かに、私も日本の教育を手放しで賛美などできない。実際に、娘も小学生の頃、移住者だったせいか、周りに馴染めず、いじめらて不登校になったこともある。でも、やがて打ち解けて、今では友達もたくさんいる。
だけど、あからさまに批判をするのもどうかと思う…。なぜなら、そこの先生たちなりに一生懸命、親身になってくれる先生もいた。
アサミさんはそもそも田舎の人たち全体を嫌っていて、どこか見下しているフシも感じられた。
“本当のことを知らない人たち”に、情報をたくさん知っているアサミさんは色々と“教えてあげたい”そうだけど、“聞いてくれない”とのことだ。
「農薬をあんなに撒いて、農協の言いなり。それが体にどんな害があるかまるでわかってないのよ。除草剤だって、日本以外では法律で禁止されているのよ? それを、体に悪いけど、ちょっとくらい大丈夫だって使ってるのよ。ねえ? どう思う? 」
確かに、私もオーガニックなものが好きだし、自分も無農薬で野菜を育ててる。でも、かと言って自分の価値観と違う人たちを批判はできない。そして彼らは素朴で、一本槍で、融通が効かない部分もあるけど、良い人たちなのだ。
そんな話ばかりだから、私は自然にアサミさんを避けるようになっった。楽しくないし、嫌な気持ちになってしまうのだ。
**
「ああ、多いのよね。そういう移住者」
ある時、移住者の先輩であり、人生の先輩でもある“夏子さん”が家にふらりと遊びに来た時に ーー 彼女はいつも連絡なしでふらりとやってくる ーー 何気なくアサミさんの話をしたら、彼女はそんな反応をした。
「東北の原発事故の後もね、移住者が増えた時期があったのよ。みんな放射能にカリカリしてさ、測定する機械で毎日測っていて、やれ線量が高いだ低いだの、真剣な顔であちこち計測し回ってね。そして学校給食に東日本の野菜を使うなとか、給食の放射線量を測る会とか、あれこれやっててね〜」
夏子さんは笑いながら話すが、私はどんな顔をしていいのかわからず苦笑いしていた。
夏子さんは続ける。
「都会から田舎に移住する人って、色んなタイプがいて、動機はそれぞれ。その動機、価値観、考え方は尊重したいとは思うわ。人はそれぞれ違うのだから。違いを認め合わないとね」
もう彼女は笑っていなかったけど、優しい表情で、いつもの凜とした雰囲気で話す。
「田舎暮らしを始める動機、理由として、ただ単純に田舎の風景や自然が大好きで移住する人もいれば、都会生活が嫌になって、新天地を求めて移住する人。あ、もちろん両方の人もいるわ」
私は後者だ、聞いててそう思った。もちろん自然は大好きだったけど、明らかに都会の暮らしが嫌になってたし、そして田舎に来れば理想の生活があると思ってた。けど違った。あるのは同じく、目の前の現実だった。それを夏子さんは教えてくれた。
「そして、嫌になるといっても、人間関係やサラリーマン生活が嫌だって人もいれば、その奥さんみたいに、放射能とか食料問題とか、中国からミサイルが飛んでくるかもしれないとか、大地震とか…。そういう『恐れ』が理由の人たちも多い。昔からいるわ」
「確かに、首都圏直下型大地震とか、最近も北朝鮮からミサイルが発射とか、戦争とか、物騒な話は多いですもんね…」
私も全くそういう危機感や恐怖がないわけではない。でも、いたずらにニュースを見ても怖くなるだけだから、そんなことよりも、今目の前にいる家族との関係や、目の前の事柄を楽しみながら、丁寧に暮らすようにしている。
「そうそう。物騒な話は多いわ。そうなるかもしれないしね。戦争が起きるかもしれないし、大災害がくるかもしれない」
「え?そうなんですか?」
ちょっと意外だった。夏子さんの口からネガティブな言葉が出ることが。
「そりゃそうでしょ。人類の歴史を見ればわかるわ。戦争してない時代の方が珍しいし、そもそも日本なんて地震国家じゃない?それに海に囲まれている。日本に生まれて、大地震も洪水も津波も経験しない方が運がいいんじゃないの?」
確かにそうだ。
「でも、どっかに行けば安心とか、何かを持っていれば大丈夫とか、それって神話のようなものよ。どんな科学的な根拠を並べられたって、科学っていう宗教のようにしか思えない。だって、人類の科学や頭脳なんて、いつも超えたものがやってくる。現代人は自然を征服してコントロールしようとしているけど、そんなことできっこないって、毎日土を触って、虫の声を聞いて、風と太陽を浴びれてばわかるわ。都会いにて、そういう恐怖に晒される人って、結局自然を知らないのよ」
夏子さんはサバサバした調子で、リアルな現実を話す。
「そう考えると、人間って、無力ですよね…。自然の猛威に対して」
私は夏子さんの意見に同意してそう言ったが、
「そう?」
「え?」
何か、さっきと矛盾しているような…。
「自然は偉大よ。でも人間は無力じゃないわ」
ニコッと、笑いかけながら話されると、矛盾なんてどうでも良くなる。そんな笑顔だ。
「自然と共存もできるし、お互い歩み寄ることもできる。そのための知恵よ。もちろん、例えば私が歩いていて雷が落ちたり、大地震が起きて地面が割れたら死んじゃうわ。でも、私は今、こうして生きている。あなたと話している。家を巣立った子供たちもいる。夫もいる。私の肉体が死んでも、続いてくものがある」
「誰かの中で、生き続ける、ってことですか?」
「そうとも言えるわね。でもそんな大袈裟なものでも、ロマンチックなものでもないの。私たちは、もっと大きなつながりがあって、大きな兄弟なのよ。地球の家族なのよ。もちろん、家族だといっても、喧嘩もするし、価値観合わないこともあるわ。でも、それでも家族なの。どんな人でもね」
夏子さんは途中から自分自身に呟くように話して、口を閉じてからそっとカップを持って紅茶を口に運ぶ。よく日焼けした肌とティーカップが、西日が当たって輝いていた。
お茶を飲んで、ひとつ小さな息をついてから話を続ける。
「食糧危機とか来るかもしれないし、大地震が来たり、火山噴火するかもしれない。でも、それはその時にならないとわからないわ。いくら備蓄してたり、枕元に災害グッズおいて眠ってても、外出先で事故に遭うかも知れないし、ミサイルが落ちるかもしれない。私はそういう事にエネルギー使うのは好みじゃないけど、そういうことで安心したい人はそれは仕方ないわよね」
なるほど、『好みじゃない』、か。私はその言い方がとても気に入った。あからさまに拒否したり、非難するのではなく、あくまでも好みの違い。
そう考えると、アサミさんへの気持ちが少し楽になった。そうだ。好みが違うのだ。私があの人を好きになれないのは、好みの問題なのだ。そんなシンプルなことなのだ。
「あら、もうこんな時間」
夏子さんは突然そう言い、カップを置いて椅子からきびきびした動きで立ち上がり、小さなバッグを素早く肩にかけた。
「そろそろ行かなくちゃ。ふふ。のんびりしすぎたわ」
彼女の動きは力強く無駄がない。でもいつもしなやかで、そこに田舎に似つかわしくない洗練さを感じる。
「何か予定があるんですか?」
「これから林業の人たちが今入ってる森に行ってね、伐採した木を引き取りにいくの。薪用にね。ただ捨てるより、利用できるものは利用した方がいいでしょ」
夏子さんの家は薪ストーブだ。薪は伐採した木のあまりなどをもらって、それを軽トラに乗せて運び、旦那さんがまとめてチェーンソーで切って、薪割りをする。
「いいなぁ、薪ストーブ」
私は素直にそう言う。彼女の前ではいつも素直になれる。そして本当に、私はここに引っ越して来てから、ずっと薪ストーブに憧れがある。煙突の問題や、夫が薪割りをする気がなさそうなので、今のところ断念しているけど。
「薪ストーブはいいわよ。だってこれから石油資源が枯渇した時のために便利よ」
夏子さんはいたずらっぽい顔をして言う。私は一瞬唖然としてから、すぐに思わず笑ってしまった。
そういえば、アサミさんの家は薪ストーブだ。
夏子さんを見送る時、玄関からアサミさんの家を見た。夏場は家と家の間にケヤキや桜の木が生い茂っていて見えないけど、冬場になって葉が落ちると屋根の部分がよく見える。
煙突から煙が出ているので、薪ストーブを焚いているのだろう。
夏子さんは、薪ストーブが好きで使ってる。畑も好きでやってるし、彼女の生活には、彼女の好きがいっぱい詰まっていると思う。
アサミさんの生活の中に、どれだけ「好き」があるんだろう?
「あそこも、薪ストーブだね」
夏子さんがアサミさんの家の煙突を見ながらぼそっとつぶやいた。私が何か答えようとしたら、
「あら、急がないと。じゃあね」
そう言い残して、彼女は颯爽と乗ってきた軽トラックに乗り込んで、敷地を出て行った。
夏子さんが去って、家に戻ってから考えてみる。私だって、思えば移住した頃は子供のこととか、夫との関係で随分悩んだ。でも、夏子さんがいたし、時間が解決してくれた。もちろん、いまだに生活していれば色々とやっかいなことや面倒なことは起きる。でも、以前のように落ち込んだり、ぐるぐると悩まなくはなった。
アサミさんや、旦那さん、その子供たち、みんなが幸せになってほしいと思う。この豊かな空気と、美しい景色に、恐れや怒りを募らせるのではなく、自分の「好き」を少しずつ見つけて、積み上げていってほしいと思う。今はまだ無理でも、彼女が心を開いた時に、少しでもそのお手伝いができればいいなと、本当に思っている。
終わり
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11月27日(日)歩く瞑想、弘法山 残り1
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