見出し画像

「感情」の人

僕はよく「三つの自分」という話をします。

我々が「自分」と思ってるこの存在は、実は一つではありません。

「思考」の自分
「感情」の自分
「肉体」の自分

「あなた」は、これら3つの自分が合わさったものであります。

この概念、実はなかなか理解が難しいです。なぜなら、その3つはすべて「センター(真ん中)」です。

「え?真ん中って一つしか取れないでしょ?」

ってのは、地球の三次元感覚ですが、3つの真ん中があるということで、便利で豊かだけど、やっかいで拗れた生き物なのです。

でもとりあえず「3つの中心を持つ生物」とだけ、ここでは一旦受け入れてください。(三位一体ってやつです)

とはいえ、我々はあくまでも社会に暮らす社会的な生き物であり、メインで扱う「思考」が“自分の中枢”だと思っているのだけど、思考も自分の一部分です。

その上で、やはりその人の「個性」と呼べば聞こえは良いけど、要するに「癖」というか、特徴として、どこかに偏っています

その辺を統合していくと、真の「マスター(主人)」が顔を表すのですが、その辺はまた「vision」というワークで、今後実践していまいります。

さて、今日のテーマは「感情」の自分について、なんですが、「感情」が中心の人っています。

これは、思考の自分や肉体の自分がないわけではなくて、思考や肉体より、「感情」のセンターが一番強く出ている人。だから自分の思考の前に、選択権や決定権が感情でほぼほぼ決められている人、という感じです。

これ、世間一般で言う「感情的な人」とは違います

タイトルの『感情の人』と聞くと、いまいち思慮が不足しがちで、考える前に感情で後先考えずに動いちゃう人を想像するかもしれませんが、ここでいう「感情の人」は、そのような「感情的な人」ではありません。

あくまでも、3つの自分としての生物ですが、人生のメインを「感情」に依存しているという、「感情が中心の人」ということです。

だから「感情的な人」と違って、感情が中心の生き方だけど、知的で、思考をしっかり支えて、冷静で、頭が良い人も案外います。

では「感情が中心の人」とはどういう人か?

それは、物事の判断基準に「好きor嫌い」が最優先されてる人です。

あらゆる情報が、「感情の自分」を通過されてから思考に届くのですが、思考に届いた時点で、感情による「好き嫌い」の振り分け済みであり、その振り分けの時点ですでに「情報精査」を勝手にしてしまってるのです。

すごくわかりやすい、簡単な例で言うと、

好きな人の言説、意見、行動は「良い」

嫌いな人の言説、意見、行動は「悪い」

となりがちなんです。

例えば、

「玄米食べたら体に良いって、Aさんが言ってたよ」

とか

「Bさんの話では雨の日の神社はむしろ運がいいんだって」

とかなんでもいいんですが、何か「情報」があるとします。

その情報の内容や、その情報が自分に及ぼす影響の前に、とにもかくにも「好き、嫌い」の判断値が強く作用します。

Aさんのことが好きだったら、「へー、玄米って体にいいんだ」となるけど、もしAさんのことを嫌いだったら「は?そんなの誰が決めたの?」と反論する。

Bさんのことが好きだったら「雨の日に今度神社行くね」となるけど、Bさんを嫌いな場合は「私は晴れの日のほうが絶対いいと思う」と言い返す、みたいな。

あくあでも「好きor嫌い」で、情報を精査し、物事を考えるのだけど、上記しましたが、ここでさらに「知的」な人ってのがいるのです。

感情がその人の中心だけど、思考も使うのが上手、みたない人、けっこういるんです。

上の「反論」で言うと、そこに知的な理論を持ち込めます。

「いや、玄米は消化に悪いって言うし、フィチン酸の影響や、残留農薬が…」

「雨の日の神社もなにも、神社はいつ行っても良くない?それともなに?Bさんの言う神様は、晴れとか雨で差別するの?」

といった感じです。

この手の人の言葉はいかんせん「気持ち(感情)が乗ってる」ので、妙な圧があり、さらに知的な説得力が絡むと鬼に金棒です。

しかし、この手のタイプほど、自分が感情優先で決めてるとはまず気づけません。むしろ自分を知的で思考的だと思ってる可能性があります。

でも、どんなもっともらしいことを述べても、実際にそれがどんなに整合性を得ていても、この方の大前提は「好きor嫌い」というフィルターを通された上で、すでに決まっていて、理屈や理論なんて、はっきり言って全部後付けです

でも、もちろんそれは本当の「善・悪」や「正・負」の判断ではなく、実は元を辿るとその人の個人的趣向から発生しているものであり、それが人のために役立てばまだいいけど、もしも間違った舵取りをしていたら、大事故を起こします。

感情に偏った人の考えは、その人の好き嫌いが反映されまくるし、また、その人自身の感情も当然強く反映されます。

つまり、実は「感情が中心の人」も、ある意味「感情的な人」なので、こういう人が自分の上司とか親にいると、かなり振り回されます。気分次第で、コロッと意見を変えたり、頭の良いタイプなら、たとえ180度方向転換することに迷いがありません。だって無理矢理屁理屈をこじつけて押し通しますから。

もちろん、感情で選ぶって、時には大事です。損得や、恐怖を避けるための選択ではなく、ハートの情動で動いたほうが人生は上手くいことも多々あります。

と、ここまで読んで、あなたはどうですか? そしてあなたの周りは大丈夫ですか?

このタイプは平均的には「女性」が多いです。ただ、男性にも感情が中心の人もいます。

感情が中心の人は、エモーショナルで、思いやりがあって、共感力が高いので、とても「良い人」だと思います。

でも、どこか偏っていて、しょっちゅう地雷を踏むし、自分はもちろん、身の回りの人も巻き込んでしまいます。しかし、それについてもあまり懲りないし、悪びれないのも特徴の一つかもしれません。

なのに上記したように、とにかく「説得力」があったり、共感力があって良い人だったりするので、魅力的であり、彼ら、彼女らは人に影響を与える力が強く、インフルエンサーや、リーダーになりやすいです。

しかし、感情の判断は常に綱渡り。直感力やインスピレーションだけで乗り切れるほど、地球って星は甘くはない、というのが僕の感覚です。

だから然るべき思考力や、肉体的な強さ、本能的な判断なども使いこなしながらじゃないと、やりくりするのは難しいです。

ただ、感情の中にも「高次の感情」への道が備わっていて、そこに入るのなら、また話は全然違います。高次の感情は、そのまま知性を有していて、高次の思考やボディと連携が取れます。

感情が中心の人は、バランスをとりつつ、他の思考や肉体と連携しつつ、自身のハートを大切に育んで、自分を開いていくことが、その方らしい霊性の向上への道なのだと思います。

☆ ワークショップ

つながるからだ、つながるこころ  

こちらのアメーバブログも参考に

聖音瞑想会 大阪 2月24日

癒しと調律。ボイスヒーリング「調う」 2月18日(日) 残1名

歩く! 山を歩き、五感を開く

☆Youtube更新


サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。