見出し画像

記憶浄化サロン「ゼロ」(短編小説)

 音楽ではない。水が流れるせせらぎの音の中に、クリスタルボウルのような響きがいくつも重なり合い、時々インドネシアで聞いたガムランボウルに似た金属的な音が混じる。

 ただしそれらはリズムやテンポを刻むものではなく、ランダムに現れ、余韻を残さずに他の音の中に吸い込まれる。

 それは不規則なのにすべてのタイミングや音質が調和しているので、むしろとても耳に心地よかった。

 スピーカーがどこにあるのか見当たらなかったけど、部屋全体を全体を包み込む程度の主張の少ない音量で、この場そのものに寄り添うかのように、とても自然な形で静かに耳に届く。

 部屋の中にはいくつかのキャンドルが置かれ、時々炎が揺らぐのだろう、私の瞼の中の陰影の模様を変化させる。

 そして部屋の隅に目立たずに置かれていたアロマポッドからは、私はその辺にまったく詳しくないので精油のことはわからないけど、ほんのりと柑橘系の混じった、しっとりとした上品な香りが漂い、とても控え目に室内に満ちていた。

 寝台の上で、薄く肌触りの良いタオルを乗せただけの、ほとんど全裸のような状態で横たわる私は、部屋に流れるそれら心地よい音と光と香り包まれ、施術を受ける。

 施術士の女性は一言も話さない。名前も知らない。彼女は一言も名乗らなかった。

 しかし、それでいい。むしろ私好みだ。

 何度かエステなどでマッサージを受けたことがあるが、よく喋る人が多く、私はいつも返答に困ったり、受け答えに疲れたりする。美容室などもそうだ。どうしてゆっくりさせてくれないのだろうと、逆に不思議になる。

 しかしここは私に私の体を向き合う時間をとことん提供してれくる。だから余計な会話は挟まない。先ほどから発せられた言葉は、寒くないですか?と、仰向けになってください、の二言だけだった。

 私の素肌に触れる彼女の指や手の平はほんのり温かく、女性らしい繊細な肌触りだけど、私の肉体のことを知り尽くしている理想の恋人のように、時に強く、時に情熱を持って、その細くしなやかな指先で私に語りかける。

 居心地の良過ぎる空間と上質な指圧を受けていているのだけど、時折私の筋肉や骨へ押し込まれる心地よい痛みが、眠りに落ちそうになった私の意識を、再びこの空間に引き戻す。まるで、魂が抜けかかったところを掴まれて、まだ肉体に戻されるように。

 私はそんなふうに睡眠と覚醒の間を行ったり来たりしている。90分のコースだが、もうどれくらいの時間が経過したのかわからない。

 この感覚が何かに似ていると思ったら、そう、まるで瞑想をしているかのようだった。

 ヨガの後の瞑想の時間とはまた違った質のものだけど、私の意識はまるでこの世とあの世の間にいるかのような、そんな不思議な感覚だ。

 途中から不思議なことに気づいた。

 彼女の指が私の体を押すと、すべてではないのだけれど、私はそれに反応したかのように過去のことを思い出すのだ。思い出すというより、フラッシュバックに近い“ビジョン”のようなものかもしれない。

 例えば小学生の頃、かくれんぼをしていたら、誰にも見つけられず、気づいたらみんな帰ってしまっていたこと。

 お母さんが私がお気に入りのカップを割ったと思い込み、いきなり叱られたこと。

 中学生の頃に、好きな男の前で口を滑らせてしまい、怒らせてしまったこと。

 さほど、自分の人生に重要なことがらではない。もっと些細な記憶も次から次へと出てくる。

 買ったばかりの服を着ていったら、クラスでいじめられっ子のM子が同じ服を着ていて、それを誰かにうっすらとからかわれたこととか、近所を歩いている男の人が怖くて、絶対に悪人だと思ってそれを友達に言いふらしてたら、後からその人は知的障害を抱えてる人で、だけどとても善良で真面目な人だと知って、いたたまれなくなったこととか。

 すぐに気づいたのだけど、それらの記憶はすべて、良い思い出と嫌な思い出の2種類に分けるとするのならば、確実に後者の方だった。

 記憶は映像と音だけでなく、その時に感じた印象や、ネガティブな感情も出てくる。

 それは悲しさだったり、怒りだったり、気まずさだったり、恥ずかしさだったり、みじめさだったり。

 でも、私の意識はそこにいない。ただ、その感情を観察しいてる。

 私は過去にもいないし、かと言って寝台の上にもいなくて、その記憶を思い出している自分からも少しだけ距離感を持ち、俯瞰している。

 だからネガティブなイメージを思い出して、私自身が再び傷ついたりすることはなかった。

 マッサージは、1箇所を数秒間、じっと押し、ゆっくりと離す。そして指を一本分移動させて、また押す。そうやって私の体の筋肉や筋の流れに沿って、全身を丁寧に触れられていく。

 ビジョンが出て来て、私はそれについて何か思いを巡らせたり、考えようとすると、また指は移動し、別のビジョンを運んでくる。そこでまったく違う記憶が蘇る。その繰り返しだった。次から次へと、小さな悲しみや、小さな恥ずかしさや、小さな怒りの記憶が再生され、それを眺めている。

 途中で、それらを判断したり、分析しようとすることは放棄して、ただただ出てくるビジョンに委ねた。

 このサロンは完全紹介制だ。

 私も知人に紹介してもらった。

 ここは普通のマッサージ店や整体やエステサロンではない。そもそも、サロンの屋号というか、店名すらないのだ。ただ「記憶のクリーニング」を行なっているマッサージ、とだけ話は聞いていた。しかし名前がないのも不便なので、そこに通う人たちの間では「サロン・ゼロ」と呼ばれている。

 有名人などもお忍びで通うと聞いているし、値段もそれなりにする。しかし、ここで施術してもらった人は皆、驚くほどスッキリして、心身の調子を取り戻す。

 記憶のクリーニングというのは、こういうことなのだろうか?それにしても、どうして体を触われると、記憶が出てくるのだろう…。

 ぼんやりとそんなことを考えるが、考えてわかるものではない。だから私は彼女の絶妙な指圧と、まるで他人事のように自分の過去の記憶を眺めながら、相変わらず睡眠と覚醒の間を行き来していた。

 ピピピピ…。

 小さな音量だが、電子音が聞こえた。タイマーだ。そういえば施術が始まる前にセットしていた。まもなく時間なのだろう。

 しかし、彼女の指圧はまだ同じペースで続いていた。今は鎖骨の辺りを触れている。

 幼い頃、一人で留守番をしている時に、宗教勧誘の人が来て怖かった時のことを思い出していた。

「筋肉には、薄い膜があります」

 突然、彼女が口を開いた。私のビジョンはそこで中断した。

 彼女の言葉に私は何か答えようとしたら、それを制するように、彼女の指は鎖骨から私の喉の辺りに移動し、そこをそっと押し触れた。しゃべれないような押し方ではなかったが、何も言わないでという、彼女の意思がその指のふれ方で伝わった。

「筋膜の中に、さまざまな記憶が閉じ込められています。皮膚もそうですが、あらゆる膜、つまり境界に私たちの意識が迷い込み、そこで抜けれなくなってしまうことがあります」

 さきほど、私が考えいた疑問の答えだ。私は思わず唾を飲み込んだ。しかし彼女は私の動揺を無視して淡々と言葉をつづける。

「ネガティブな感情が出ることは誰しもあります。それは自然なことです。しかしそれをその場で、せめてその日の内に気づき、把握して何らかの処理できればいいのですが、自分でも自分の感情に気づけなかったり、または抑圧してしまうことがしばしばです。それらの記憶は波動となって、体のあちらこちらに溜まっていきます。しかし、そうやって処理されなかった感情のエネルギーはとても重く、それが身体に溜まってくると、心や感情の運動も妨げ、体は不調和を起こします。内臓や神経網に溜まると病気という状態を起こします。だからこうしてそれらを解放することで、心身の調整を行います」

 彼女は早い口調で喋ったのだけど、その口調はとても優しく穏やかで、声は透明感があり、その説明は私の中にすっと入り込んだ。

 私が再び何か言おうとした時に、彼女の指は左右の鎖骨の真ん中の、首の下の窪みにふれ、また私は声が出なかった。

 数秒間そこに触れられていると、首の後ろから後頭部にかけて、熱を帯びた何かが昇ってくるような感覚があった。それは心地よくはなく、かと言って不快でもないけど、どちらかというと少し怖いような、自分の体なのに不気味なものを感じてしまった。そして、そんな魔術のような指を使う、施術師に対しても…。

「終わりました。深呼吸をしてから、ゆっくりと、本当にゆっくりと、体を起こしてください」

 彼女が指を離すと、首の後ろの熱はすっと消えて、それは頭頂部と、腰の辺りの両方に波が引くように消えていった。一体なんだったのだろう…。

 施術士の女性は立ち上がり、こちらに背を向けて部屋の片隅で何かしているようだった。

 私は言われた通りに深呼吸をする。眠っていたような感覚だったけど、目を開けるととても寝起きとは思えない爽快さで、子供の頃の、目が覚めてすぐに飛び起きて遊び回れるような活発な衝動を思い出した。しかし、ゆっくりと言われたので、私はゆっくりとした動きで体を起こす。

「お白湯です。お飲みください」

 彼女が戻って来て、厚手で無骨な湯呑み茶碗に入った白湯を出して来た。私はそれを黙って受け取り、口に運ぶ。熱過ぎず、かと言って温くもないこれもまた絶妙な温度だった。 

 白湯は甘味すら感じられた。なんだか味覚も敏感になってるような気がする。

 白湯を出したあと、彼女は何も言わずに室内から出ていってしまった。私は白湯をすすりながら、彼女が戻ってくるのを待っていた。色々と聞きたいことがあったし、お礼も言いたいと思った。

 しかし、入って来たのは違う女性だ。受付にいた年配の女性で、水色のシャツが若々しい、素敵な女性だ。

「あの…、先ほどの先生は?」

 私はそう尋ねたが、

「お疲れ様でした。本日はこれまでになります。施術師は休憩して、次の予約まで休憩していただいてます」

「記憶が、あの…」

 私は色々と聞きたいのだけど、うまく言葉が出なかった。何と言ったらいいのだろう。

 彼女は何も言わずに、声は出さずににっこりと微笑み、

「ではご清算は事前に決済をしていただいていますので、どうぞこのままご退出ください。お手洗いをご利用でしたら、玄関の右手にございます」

 テキパキとした口調だが、決して事務的ではなく、とても丁寧な口ぶりだった。だけどそこには凛としたものがあり、何だかこれ以上何か尋ねたり、ここにいてはいけないような気がしてしまった。

 サロンは看板も何もない、港区の小さなオフィスビルのような建物の8階にあり、複雑な形をしていて、来る時も多少迷ったのだが、出る時もまた方角がちぐはぐになってしまった。どうしてこんなややこしい建物を作り、ややこしい場所にサロンを作ったのだろう?

 しかし、紹介制という通り、ここはちょっと普通じゃないのだろうと理解できた。体験する前は半信半疑だったけど、今、心に羽が生えたかのような清々しさが何よりの確信を与えてくれている。

 ビルを出て表参道の駅に向かって歩きながら、自分の背中や腰、足や腰、バッグを抱えた腕を意識する。全身が軽い。筋膜、と言ってた。身体中に、抑圧された記憶があると…。

 記憶は脳にあると思っていたけど、そうではないらしい。それが科学的にどうとか、エビデンスがどうなのかはわからないけど、自分の体感として、体と記憶は結びついてたと理解できる。

 抑圧された記憶たち。その日のうちに処理されなかった感情と言っていたけど、そういうものが、体に溜まっていくのならば、できるだけ、処理とやらをしないとダメなのだろう。でも、どうやって処理をするのか?

 私は地下鉄の駅の階段を足早に降りていく人たちを眺めながら、彼らの記憶を思う。

 多くの人が感情を抑圧して働き、生活している。慢性的な疾患が多く、病院が大賑わいなのもよくわかる。

 私は苦笑いしながら、ゆっくりと階段を降りた。一歩ずつ、丁寧に足を運びながら。

終わり

***********

☆ イベント予定。
10月10日(月・祝)歩く瞑想の会 京都周辺 満席
10月23日(日)『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 東京
11月上旬 探求クラブメンバー限定 リトリート
11月中旬 『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 大阪(予定)

☆ Youtubeチャンネル

☆ サークル「探求クラブ」(noteメンバーシップ)

☆ Youtube アーティスト・チャンネル 


いいなと思ったら応援しよう!

オオシマ ケンスケ
サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。