連載小説「天国へ行けますか?」 #6
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前回の続きです。
連載小説「天国へ行けますか?」 #6
兄の話を聞きながら、俺は強烈な眠気を催してきた。眠気なんて言葉じゃ生ぬるいくらい、意識が遠のき、ぶっ倒れそうなほどの酩酊感だ。
「いいか? まずはできることから、一つずつだ」
兄はおかまいなしに話しを続ける。
「自分の人生に起きることは、自分の責任だ。自分の人生を生きるってことは、起こることすべてに、全責任を負う覚悟が必要なんだよ。誰かのせい、社会のせい、時代のせいなんてしてるやつは、自分を生きてないんだよ」
「う、うーん…」
酩酊状態のわりには、兄の話は理解できる。しかし眠すぎて答えられない。
「とりあえず座れよ」
兄は自分の座っていたカウンターのスツールから降りて、俺の腕を取り座らせた。
「いいか? お前がまずそれを飲み込むまで、何も進まないぜ? このふりかえり料理のフルコースは、お残しナシだぜ? 全部平らげるまで先には進めない。
だから来たものは、すべて受け入れろ。お前は今からNOを言うな。すべてにYESだ。すべてにオープンだ。疑いも、見栄っ張りも全部やめろ。好みだのその時の気分も全部横に置いておけ。お前の身に起こることはすべてお前自身の蒔いたタネだから、ただ黙って収穫しろ。どんなにその収穫物が気に入らなくてもな、お前自身が…」
兄の話はそこまでは覚えているが、座ったことで、俺の脳みそは完全にとろけた。意識はそこで完全に途絶えた。
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「……」
甲高い音が聞こえたような気がした。なんの音だ? そして眩しい光が俺の目をくらませる。思わず顔を反対に向ける。
「……ピンポーン……ピンポーン」
(うるせえな…)
どんっどんっどんっ!
誰かが、壁を叩くような音が聞こえる。
「…ピンポーン……ピンポーン」
耳を塞ぎたくなるが、持ち上げた手はカウンターのテーブルにぶつかり、そのまま思わず何かにぶつかると、
「がしゃーん!」
と、ガラスが割れる音がした。
「はっ!」
俺は体を起こした。
オープンキッチンのカウンターに座っていた。窓からは燦々と日差しが降り注いでいる。
「…ピンポーン……ピンポーン」
インターフォンが鳴っているのだと理解する。しかし、思考がまだ働かず、とりあえず現状の把握のために、周囲を観察する。
カウンターには、ミネラルウォーターのペットボトルがあり、足元には、今落として割ってしまったのだろう、薄手のグラスが割れて砕け、破片が散乱している。
ぼんやりと部屋の有様を一通り眺めてから、自分をチェックする。
とりあえず、顔はよだれまみれで、ゲロのカスがこびりついていた。髭は無精髭が数日分伸びているような手触りで、顎や口の周りがじょりじょりとする。
体は強張り、頭痛がする。完全に二日酔いだった。体がべとべとするし、全身に不快感が張り付いているような感覚だ。
(あれは、夢?)
兄はいなかった。しかし、兄がいたという形跡も見られない。確か、兄はここで、俺が大切に取っておいた30年もののシングルモルトをショットグラスで飲んで、いや、その前にビールを飲んで、柿の種を食べていた。
俺はスツールを降りて、足元のガラスを踏まないように、キッチンの中に回る。開戸の中の30年ものの秘蔵のシングルモルト・ウイスキーを確認すると、封が切られた様子もなかった。
しかし、夢とは思えないし、そもそもがどこからが夢なのだ? 俺は死んだはずだ。それが、この人生最悪の日に戻り、振り返りがどうのこうのって…。
「…ピンポーン……ピンポーン」
インターフォンは鳴りっぱなしだ。壁を叩く音も聞こえている。
リビングのモニターを見るまでもなく、想像はつく。いや、俺はこの状況を覚えている…。
このインターフォンを鳴らしているのは、かつての副社長であった松永だ。松永と、一部の親しい人間しかこのマンションのセキュリティをくぐれない。
しかし、俺は応答しなかったのだ。
松永は俺にいつも的確なアドバイスをしていたし、良きビジネスパートナーだったが、途中から俺のやることなすことに反対した。アドバイスではなかった。創業当時からの付き合いだったが、発展のためにはそんな保守的な考えでは先に進めない。
だから俺は容赦無くあいつを切り捨てたのだ。
そしてその後の噂では、虎視眈々と俺に対して復讐を狙っていると聞いていたので、密かに俺はやつを恐れていた。奴は人望もあったし、高い能力もあった。そんな奴が復讐の目を向けてると知ると気が気でない。だから俺はやつの動きは牽制していた。
しかし俺が弱ったところを狙って、甘い顔して助けるふりをして、復讐を遂げるのだろうと思ったのだ。いや、思ったというより、確信していた。
(なにしに来やがった…)
今も、そう思う。俺の頭の中は、当時の記憶や感情と、この日から十数年経ち、そして死んでから兄に会って、再びここに戻ってきた俺の、二人分の意識があるようなものだった。
このまま無視だ。以前も、それでやり過ごしたのだ。奴は諦めて出ていく。
しかしそこでふと、兄の言葉を思い出す。
(すべてを、受け入れろ…)
俺の頭の中で、必死に抵抗する。松永を、受け入れる?
奴を恐れながらも、罪悪感のようなものもあった。奴を陥れるような形で失態させ、切り捨てたのだ。創業時から、苦楽を共にした仲間であり、当時、俺にとって唯一親友とも呼べる男だった。
(今更どのツラ下げて松永に会えるというか?)
俺は再び椅子に座り、カウンターに突っ伏して耳を塞いだ。二日酔いの頭に、ピンポンピンポンと不快な音が響く。
(あー、もうやめてくれ!さっさと諦めろ!)
そう思いながら、目を閉じ、耳を塞ぎ、死んだというのにこんな目に遭うことを呪いたい気分だった。
だが、再び胃のむかつきと、頭痛が蒸し返してきた。
(あー、気持ち悪い、頭いてぇ。今は一旦寝よう。とにかく寝てから考えよう)
そう思っていると、本当に眠くなってきた。
インターフォンの音が聞こえなくなり、静かになった頃、俺は再び睡魔の泥の中に入っていた。
…………
そしてすぐに目を覚ます。
「おぇぇぇぇぇぇ!!」
最悪の状態だった。明らかに飲みすぎた…。俺は気がつくと、トイレにしがみついて激しく嘔吐していた。
(ん?)
自分の置かれたさまざまな状況を理解するのに、さほど時間はかからなかった。
(あれ?これはさきほども同じことが起きてたぞ?)
と考えつつも、
「…うぇぇ、げぇぇぇぇ」
胃の中身を便器に吐き出し、涙とゲロと鼻水と涎まみれだ。
「あーあ」
後ろか兄の声が聞こえたが、今振り返ると嘔吐物を床にぶちまけてしまいそうだ。
「言ったじゃん? お残しは厳禁だって。なのにお前ときたらさっそくNO!受け入れ拒否!自分の心にフタしてごまかす!」
(ど、どういうことだ?)
俺は何も言えずそう思ったが、兄は答えた。
「振り出しに戻る、ってやつだなぁ。お前はこの人生最悪の日から、見直しが必要なんだよ。それが前と同じことやってどうするよ? 前のお前から変えないとならないんだ。それが、THE!“ふかつえり”だ!」
兄はつまらないギャグを言ったが、何も反応できない。
(そ、そんな…、前の状況を変える?そうしないと、またこのゲロまみれから?)
「おいおいおい!笑うとこ!ここは笑うっしょ!“深津絵里”だぜ? いや、俺けっこう好きだったんだよ〜、かわいいよな?」
くだらない話を無視して、俺は便器に突っ伏しながら、
(なんだよそのルール!ふりかえりで、前と行動を変えないと振り出しに戻るって…。その場で忠告してくれればいいじゃねぇか!)
嘔吐の苦しみの中、腹立たしく考えていると、
「違う違う!そうじゃ♪ そうじゃなーい♫」
と、兄は音痴な歌声で鈴木雅之の歌を歌った。しかもモノマネをしているっぽいが、致命的に似ていない。俺を腹立たせるためにやっとしか思えない。
「あのな? “ふりかえり”ってやつはな、誰かに言われてやったんじゃ意味ないの! わかる? 自分で気づいて、自分で考えて、自分で選ぶの。大人になるってそゆことだぜ? いい加減にお前も大人に…」
「……、うっ、うげぇぇぇ」
話の途中だし、何も答えられない代わりに、ゲロが出る。
「うわっ、きったね〜。がはははは。じゃあまたな。あとは自分でなんとかやれや。振り返りだ。もちろん、お前は当時のお前でもある。だからリアルに感情があり、記憶がある。だから気持ちに蓋したくなるし、感情にくじけそうになったり、その思考に振り回されそうになる。しかし、その感情に負けるな。YESだ!そして受け入れろ」
そう言って、兄は通路を軽快な足音を立てて歩き去った。
俺はしばらく便器に突っ伏していたが、しばらくして吐くものを吐き尽くし、立ち上がりよろめきながら台所へ行った。キッチンには誰もいなかった。
冷蔵庫を開けて水を飲む。台所のシンクで顔を洗い、それから今度は寝室に行き、ベッドに横になった。横になり頭痛を堪えながら、兄の言った言葉を思い出す。
そして、そのままベッドでうとうととしていたら、気がつくと眩しい朝の光が俺の瞼を照らし、目を覚ました。
(朝か…)
わかってる。俺は、死んだ。そして、これは振り返りだ。あの日と同じようで、俺はある意味タイムスリップしているようなものだ。
ゆっくりと体を起こし、カーテンを開けて東側の空から登ったばかりの朝日を眺める。
これが俺の記憶だかなんだか知らないが、やはりこの世界はいいもんだ。こうして朝日を眺めるのなんていつ以来だろう。
自然と、涙が溢れた。世界は美しかった。
体はだいぶ軽くなっていたが、それでもひどい二日酔いにはかわりなく、とりあえず喉がカラカラだったし、顔も洗いたい。俺はキッチンへ行き、顔を洗って、ミネラルウォーターを勢いよく飲む。
身体中に、水分が染み渡るのを感じたころ、インターフォンが鳴った。
つづく…。
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