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鳥山チルドレンだった僕ら。

最初にことわっておくけど、“鳥山チルドレン”、なんて言葉はないです。

わかる人には説明不要だと思うが、念のために説明しておくと、村上春樹の小説を読む世代を“村上チルドレン”なんていうから(もしくは春樹チルドレン)、それにかけただけです。

鳥山明が死んだ。

昨日。

もう一度書く。

鳥山明が死んだ。

大事なことは2回言う。

しかし、もう一回言わせてもらおう。

鳥山明が、死んだ。

3回も言ったが、それほど大事なことだ。あなたにとってどうかは知らないが、僕にとって。

ちなみに、大事なことは2回言うと書いたが、一回しか言わない、という派閥もあるので、その辺の主義主張に関する論争は好むところではないので、好きに解釈してほしい。

で、知らない人のために書いておくと、鳥山明さんとは、漫画家だ。

世界的に有名な漫画家だ。

世界的にしたのは、なんと言ってもこれだろう。

「ドラゴンボール」。

女性なら読んだ(アニメ観たこと)ことがなくとも、その名を知らない人はいないと思うし、男性に限って、この国の男なら99・99%、鳥山明作品には何らかの夢を与えてもらったはずだ。

そんな僕は、1978年生まれで、ほぼ完璧に“鳥山明全盛期時代”を「子供」と「少年」で過ごした。

まずは、物心ついた時くらいから「ドクタースランプ・あられちゃん」のアニメは欠かさず観ていたし、幼稚園児の頃から、少年ジャンプを読んでいた。まだリアルタイムで連載中だった。当時はアラレちゃんとか、キン肉マンとか、あまり字が読めない頃でも観ていた。

アラレちゃんはすごい。ドラゴンボールを知ってても、若い世代はアラレちゃんを知らない人は多いだろうけど、はっきり言って、今ある日本の「ギャグ漫画」、いや「ギャグ」そのものの「センス」や「感性」に対して、多大な影響を与えたと思うのは僕だけだろうか?

今こうして、こんなワンシーンを見るだけでも面白すぎる!

そして、アラレちゃん終了後に始まる「ドラゴンボール」

この時代はジャンプ黄金期だ。北斗の拳とか、聖闘士星矢とか…。

最初は、アラレちゃんのノリを引き継いでいて、悟空が「子供」時代、けっこう「ギャグ漫画」要素があったんだけど、どんどんバトルアクションな漫画になっていった。

まあ、どちらも僕は楽しんだけど、鳥山先生のギャグセンスはもっと観たかったな…。

カメハメ派。どどん波。気円斬。気功砲。界王拳。舞空術。瞬間移動。そしてスーパーサイヤ人。

これら「非現実」なものだけど、僕らに夢とファンタジーをたくさん教えてくれた。想像力をたくさん刺激してくれた。

僕は今でも、エネルギーワークや、イメージングで、「スーパーサイヤ人のように〜」とか言ったりする。それほど、このイメージは圧倒的だった。

そして、僕にはなんと言ってもドラゴンボールと同じくらい、鳥山明といえば!

ドラゴンクエストだ。ロールプレイングゲーム(RPG)の金字塔であり、原点であり頂点。

このキャラクターデザインは鳥山明が担当していて、さまざまなモンスターたち、登場自分達を、魅力的に描いてくれた。

僕はドラクエに夢中だった。小学生〜高校生まで、青春と共にあった。「ロープレの鬼」と自称するほど、RPGは好きだったし、こだわっていた。

そんな僕は、中学生の頃からギターを弾いて歌を歌っていた。だから夢は「ミュージシャン」一筋の青春時代だったのだけど、実は小学生の頃には、別の夢があった。それが「漫画家」だ。

絵は好きだった。イラストをよく書いたのだけど、鳥山明のデザインするドラクエ・モンスターをよく描いた。

そして、上記したけど、やはり「ギャグセンス」は、かなりアラレちゃんの影響は大きい。なにせ物心ついた時に初めて触れた「ギャグアニメ・漫画」だったから、そのセンスがベースに入っている。

だからギャグ漫画を描いては、クラスメイトに読ませたり、そんなことをよくやっていた。ギャグ漫画ばかり描いていた。

結果として、ある時期から漫画家を目指すことはなかったけど、「自分の表現したもので、人からのレスポンスを受ける」ということは、漫画を書いたことが始まりだった。それが中1の頃に「歌」に変わっただけなのかもしれない。さらに大人になってから「文章」になった。

重ね重ね書くけど、とにかく鳥山明が死んだ。

人はいつか死ぬ。これは絶対的なものだ。だからそこに不条理を思ったりはしない。そして人の死に早いも遅いもないと僕は思っている。鳥山明68歳という年齢を早い、若い、と言う人もいるけど、僕はそうは思わない。

(余談だけど、僕の両親も祖父母も、みんな60代後半から70代前半になくなっているので、僕の感覚では「普通」だ。)

彼が68歳で亡くなったのは天寿であり、寿命を全うしたのだと思う。

でも、やはりショックな情報ではあった。

だけど、訃報を知った瞬間に、こう感じた。

これは「時代」の象徴的出来事だ。

一つの時代が終わった。終わったということは、また始まったということで、今、大きな転換期なのだと思う。

今の時代がなんらかの転換期、というのは今さら言うまでもないだろう。多くの人がそう感じている。

でも“漫画”という、日本のサブカルチャーを中心の、その中心的存在の一人である鳥山明が亡くなったということは、「日本の文化」の転換期だということを感じた。

日本の文化。その在り方。その関わり。終わり、そして始まり。

その象徴的なものだと思う。今回の訃報は。

ちなみに、なんだけど、さらに個人的に鳥山明に親近感を抱く理由として、彼は僕と同じ4月5日生まれということもある。そういうのって、やはりちょっとあれこれ考えてしまうのだ。

そうか、今書いてて気づいたけど、あと1ヶ月くらいで、69歳だったんですね。まあ、年齢なんてただの「数字」だけど…。

亡くなった方には、死に方とか、どんな時期とか、そういうことはぜんぶ置いといて、とにかく僕は

お疲れ様でした!

って言うようにしてるし、思うようににしてます。

この地球の「舞台」を下りたんです。舞台役者が、自分の出番を終えたら、衣装を脱ぎ、メイクを落とし、役のキャラを捨て、日常に戻るように。

彼の舞台のシナリオは消化した。完璧な演技をして、大勢の人たちを、そして登場人物たちに多大な感動を与えた。

舞台を終えて、もう鳥山明というキャラクターを演じないでもよくて、本来の自分になって、宇宙に還る。ありがとうございます。

僕、としてこれを読むあたはは、まだもう少しこの地球というステージ上で、自分に与えられた配役を楽しむとします。

*出雲におります。

出雲巡りに関してはまた後日。

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