違和感を抱け!疑問を持て!(前半・無料)自分のことを自分で考えるために(後半)
違和感を抱け!疑問を持て!(前半・無料)
先週だけど、こんなツイートをしました。
もうちょい詳しく書こう。
我が家は大抵、夕食後に妻と二人で食後の運動がてら、2、30分ほど近所を歩きます。時間は19時〜20時前後かな。
その日はやや遅めの20時半過ぎくらいだった。
前方から若い女の子が歩いてきた。ヘソを出したファッション。髪の毛は金髪。
その時間の住宅街なので、当然人なんかほとんど歩いていない。しかし、その女の子も例に漏れず、しっかりとマスクフェイス。
マスクは何のためなのか?一応、感染予防、とのことなんだろうけど、野外で、誰もいないのに、まして一人だったらおしゃべりすることもないのに、なぜつけているのでしょう?
これはその女の子に限らず、です。ただ、その若い派手な見た目の20代前半くらいの女の子、という存在と、「マスク」という構図が、なんだかギャップがあったので印象に残ったんだけど、多くの人が「どうしてマスクをするのか?」という問いに対して、何も考えていないのは明白だ。
今や日本国の首相が海外に行ったらノーマスクで外国の政治家やローマ法王(80代のじじいや!)と普通に話してるのに、日本に帰ってきた途端にマスクをつけるくらい、国民もそれに倣ってみんな良い子にマスクマン?
先日も、北海道の旅で「知床、原生の森ツアー」や「知床五湖めぐり」のツアーに参加しましたが、(こちらに詳しく)ガイドさんは立場上よく喋るし、マスクするのも仕方ないにしろ、参加者(前半のツアーは僕以外に2名、後半は3名でした)さんはみんなマスク。
僕も最初に会った時はマスクをつけてましたが、始まる前にガイドさんに、
「野外ですし、距離をおけばマスクしなくていいですか?」
と確認すると、
「はい!せっかくなので知床の空気をたくさん吸ってください!」
と言われました。しかし、他の参加者さんはずっとマスク…。写真撮る時だけは外してたから、マスクが「自然の自分じゃない」ってことはわかってるようだけど、なんのためのマスクなのだろうか?
もちろん僕も、ツアーの集合場所はもちろん、普段はお店入る時とか、公共の場ではマスクつけます。それは『「お店」とか「公共の場」でのマスクを求められるから』、です。
そのお店や施設の人に迷惑をかけるのは本意ではありません。
彼らも上から「そうしろ」と言われているだけですから。あと、稀に「本気でコロナに怯えている」という人がいるので、無闇に怖がらせないためです。
でも、外ではもちろんつけません。感染対策ってことには、マスクはほとんど意味がないし、そもそも「コロナ」に感染なんて思ってません。それよりももっとえげつない病気の種がたくさんばら撒かれていますからね(笑)。
その女の子にしろ、多くの国民にしろ、マスクをつける理由がはっきりしていないのと同じくらい、ワクチンを打つ理由も、なんだか曖昧なまま、「やれと言われたから」「みんなやってるから」という感じではないでしょうか?
もちろん「感染を防ぐ」という目的はあるんでしょうけど、3回目だ4回目って、おかしいと思わないのかね?(笑)
「科学的エビデンス」がある、と推奨派の人は言うんだけど、「ワクチンの予防効果」が示された論文って、英語しかないから僕はもちろん読んだことないけど、医療の専門家でも難しいくらい、むちゃくちゃ長文で、しかも難解な言い回しが多用された論文だそうです。しかも統計データとか、かなり解釈を都合よく変えているとか…。
実際に、その論文を読み込んだ人なんてほとんどいないのに、「科学的な根拠」を言うって、子供が「みんなも持ってるから買って〜」と言うような、謎の“みんな”と同じレベルではないでしょうか?
そもそも、科学をベースにした西洋医学なんて、たった一つの新発見や新説で、今までと180度変わるのが当たり前ですからね。
つい一昔前の西洋医学なんて、「梅毒治療に水銀」とか「手指の消毒はしない」とか、“電気ショック治療”とか…。精神疾患の患者の“脳梁を切断”するとか、ロボトミー手術するとか、平気でやってたんですよ?
タバコもコカインも覚醒剤も、健康に良い「薬」として扱われていた時代もあったんですよ。当時の『科学的エビデンス』に基づいてね。だから、今の「科学的根拠」なんて、あと数年したらどうなるかわかったもんではないのです。
冒頭のTweetに「違和感すら持てない」と書いたけど、これが事実だと思う。
多分、このnoteをここまで読める人なら、世の中に対して「違和感」を持っていると思う。だって、「いや…おかしくね?」って、まともに考えたら思うはずですもん(笑)。医療、政治、マスコミ、テレビ…。とにかくツッコミどころ満載すぎます。
ただ、それは違和感を持って、ちょっと自分で調べる、をやらないと、その違和感はスルーされます。だから、違和感を持ったらちょっと一手間、調べることです。公共の情報以外のものを。
そして違和感の正体に、何か「おかしいぞ?」と思ったら「疑問を持つ」ことです。
例えば、ワクチンを打つ人より、ワクチンを打たない人の方が、圧倒的にワクチンに対して「調べる」をやった人が多いです。何も調べない人、それはつまり「疑問」も「違和感」も持たない人。
コロナに限らず、です。インフルエンザの時からそうですよ?インフルの時から、製薬会社は効果薄なワクチンで、莫大な利益を得ていたのです。ワクチンを主導するWHOの幹部は製薬会社のOBや役員ですからね。
日本人にはわからないと思います。利権や保身や既得権益のために、アジア人や黒人などの有色人種がいくら死んでも苦しんでも屁とも思わない人々がたくさんいて、そういう人々が世界の経済をここ100年くらい動かしているのです。
後半で詳しく書きますが、人生は「自分で選択」するものです。そのためには「自分で考える」ことって必要です。
しかし、今の現状では、日本人は「考える力」そのものが奪われているような状態です。でも、その突破口が「違和感」なのです。
だから、「違和感」を感じていいのです。否定的になるのではなく、常識とか、誰かの言うことに対して「疑問」を持って、自分で調べて、自分で考える。
そういう習慣が身につくと、多少偏る人も増えるかもしれませんが(陰謀論者とか)、それでも以前のロボットのような、国家や社会にプログラミングされたデータで生きている時よりは、よっぽど生きてる実感があるのでは?
では、後半では、「どうやって自分で考えられるようになるか?」というお話と、簡単な「感覚を磨くワーク」も紹介します。
☆「探求クラブ」 祈り、瞑想、内観。自分自身と、精神世界の探求のサークルです。サークル内のイベントもあります。
では後半へ。
*追記として こちらの記事も「違和感」について書いてます。
自分のことを自分で考えるために(後半)
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