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やはりこの世界は「仮想現実」なのか?

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9月26日(日)0になる瞑想会ー内なる自分ー こちらから

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以前もこんな記事を書きました。

そして「仮想現実」についても。

youtubeでもこんな動画 (→ムーンショット計画の全貌と、日本人のこれから)をアップしたけど、本当に世界はこれからそんな方向へ向かっていると思われる。

「良い」or「悪い」ではない。そういう方向に向かっていて、それをあなたが心地良く、楽しくて住み良い世界にするか、苦しいものや、居心地悪い世界にするかは、あなた次第である。

今日も「仮想現実」についてのお話だ。この世界は壮大なプログラミングであり、我々はその中のプログラムであるという仮説。

しかし、この仮説を否定する証明はできず、量子論の世界を覗くと、考えれば考えるほど、その説は真実味を帯びてくる。

ちなみに余談だが、スピリチュアルで量子論を拡大解釈し、「見たい現実を好きなように体験できる!」という説があるが、それは量子論とはちょっと違うと思う。量子論はあくまでも、物質や実体は常に“ゆらぎ”の中にいて「観測者」によって変わるけど、観測者の自我がコントロールしているわけではないのでは?

我々が観測し、五感をもって感じているこの世界は、自分の意思でコントロールしているかに思えて、実はその「思ってる」ことでさえも、プログラミングされた思考や感覚だとしたらどうだろう?

我々の肉体はもちろん、人格や性格は完全なるプログラミングの結晶なのだろうか…。

この記事でも、我々は「ロボット」ではないと書いたけど、

現実は多くの人が、過去に刷り込まれた思考や信念(ビリーフ)により、オートマチックな反応で生きているでのは?と、思ってしまう。

それも、プログラミングとも言える。しかし、量子論の世界や、宗教の源流にあるマスターたちの残した話を聞くと、どうやらこの世界は幻想であり、物質などないという説が、科学的発見と共に、どんどん濃厚になっていく。

どうしてまた仮想現実の話を書くかというと、こんな映画を観たのだ。

フリー・ガイ

ネタバレにならない程度で書くけど、この主人公「ガイ」は、ゲームの中の登場人物だ。しかも、「モブキャラ」という、いわば『背景』的な人物のプログラム。

ゲームに少しでも明るい人ならわかるだろうけど、RPGはもちろん、最近は高度な3Dゲームがあり、その世界がある。バーチャルの世界だ。

その世界で、いわば自分の「アバター」となる主人公を使って、現実世界の我々(プレーヤー)が、それを動かしてプレイをするのだが、ストーリーや背景に欠かせない「村人」とか「通行人」とか、敵でも見方でもない究極の「ザコキャラ」とも言える。

最近のゲームは本当にリアルで、うちは中学生の息子がいるおかげで、その手のゲームをよく見る。ゲームの中に仮想世界の街や国があり、そこで人々が生活していて、プレーヤーやアバターを使って好き勝手暴れ回ることができるし、その中でミッションをクリアーしていく。

この頃のR指定のゲームは、通行人を殴りつけたり、車で轢き殺したり、銃で射ったりと、なんでもありだ。息子もやってるけど、こんなゲームが今や普通に存在している。

で、フリー・ガイの主人公である「ガイ」は、そんな超どうでもいいキャラクター。

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