キング・ママのポーカー占い (短編小説)
長田ヒロトは手札を持ち、視線をぼんやりとそこに落としたまま、彼だけ時間が止まっているかのように固まっていた。
いつも穏やかで冷静な長田が、先ほどから明らかに動揺し、今もピクリとも動かない体に反して、目だけが泳いでいる。そしてよく見ると、彼は比較的涼しいこの部屋にさっきから座っているだけだというのに、こめかみにはうっすらと汗が流れているのが見えた。
サロンオーナーの“キング・ママ”は長田に向かってこう言った。
「あんたはスペードのエースとキングとクイーンとジャックを持って生まれた。どのカードも見栄えする、誰もが惚れ惚れする美しいカードよね。生まれつき、あんたはそれを持っていた」
ちなみに「ママ」と言っても、キングママは男性だ。だからクイーンママ、ではないのだ。
キングママの風貌は女性的な丸みを帯びたふくよかな体型だが、かと言って太っているわけではない。しかし身長が190センチもあり、いざ面と向かうと誰もが萎縮する。顔は鼻筋が通り、少し角張った頬骨と顎を持つ、凛々しく、昭和時代の不良を束ねる硬派で武闘派の番長のようだ(昔の古い漫画でそういうものを見た)。
そんないかついキングママとのポーカー対戦は、ただのカードゲームではない。
実はこのサロンは“占い”なのだ。
ポーカー対戦しながら、その人の人生の過去、現在、そして未来を見て、アドバイスをする。時に、そのアドバイスは辛辣で、耳に痛くもあるが、それはあまりに的確であり、厳しさの中には慈愛があった。
しかし占いと言っても星占いとかそういう巷にありふれたものではなく、キングママの“ポーカー占い”は、受けた人にとって浄霊や悪魔祓いにもなるし、優秀なカウンセラーの人生相談にもなる。
キングママの生まれは沖縄のユタの家系だと、助手の“セブン嬢”から聞いた(本名は奈々子なのだが、ママからセブンと呼ばれているので、セブン嬢と呼ばれている)。
セブン嬢の話では、ママは十代の頃から世界中のシャーマンを訪ねて旅をし、修行をしたという。詳しくは彼女も知らない。ただ今は東京の高円寺駅から歩いて15分のマンションの一室で、密かに紹介者だけに占いをする。顧客には芸能人や財界人もいるという。それでも3ヶ月待ちの人気だ。
ちなみに、鑑定料金は“賭け金”として3000円を事前振り込み決済するのだが、そこからポーカーのルールが適用される。
つまりこちらが勝てば、むしろお金がもらえるのだ。しかし、キングママに勝てる人間はいないという。
僕は以前ママにフルハウスで負けて、ここのレートに合わせて、8倍の24000円を支払うことになった。
話を長田に戻す。
ゲームでのカードチェンジは10回。それは普通のポーカーの勝負にしたらかなり多いが、なぜかママとの対戦は大きな役が生まれにくいと誰しもいう。ジョーカーは抜いてあるとはいえ、それも不思議だ。まったくカードが揃わないのだ…。
長田は4回目のカードをチェンジするところだった。
店にはジョン・コルトレーンの「至上の愛」が流れている。しかし、コルトレーンのアルトサックスの艶のあるソロも、この勝負に潤いを与えることにはならず、刻一刻とざらついた空気が広がっていく。
ママはセブン嬢の作った3杯目のカナディアン・クラブのハイボールを飲みながら話す。ママはカナディアンウイスキーしか飲まない。
「あんたみたいな人間なかなかいないわ。だってあとたった一枚、スペードの10さえ揃えば、なんと言ってもロイヤル・ストレート・フラッシュという、最強の技を繰り出すことができる。あなたはそういう星の元に生まれたのよ。周りの人間はさぞかしあんんたを羨ましがったでしょうね」
キングママは、そう言ってから、ハイボールを飲み干す。氷がグラスの中でカランッと、冷たい音色を響かせる。
「セブン!おかわり!」
セブン嬢が何も言わずにグラスを受け取りに来る。ちらっと長田のテーブルを見たが、長田の頼んだジントニックは、半分程度減った状態で、氷がほとんど溶けていた。僕はここにいるだけで喉が渇き、すでにジャックダニエルのハイボールが三杯目だ。
「人生だって、カードチェンジは何回かあるのよ。多分、みんなが思っているより、その回数は多いの。気づいていないけどね。だけどそれは無制限ではないのよ。必ず、カードをチェンジできなくなる時が来るの。そうなったら、その時の手札で勝負するしかないのよ。それが人生」
キングママとのゲームの面白いところは、カード5枚の内3枚は、オープンでプレイされることだ。2枚だけは相手に伏せてプレイする。
僕からも、長田のスペードのエース、キング、クイーンが見えている。ママの言うように、長田がジャックを持っているのかはわからないけど、ママはいつも相手の手札をすべて理解している。理由はわからない。それが彼女の能力なのだろう。
もちろん、カードに細工はない。なぜならカードは挑戦者が持ってくるからだ。今回のカードは、長田がこのために東急ハンズによって買ってきた新品だ。
もし、こちらがカードに細工をしたらどうなるのか?
実際にかつて、カードに細工をしたクライアントが一度来たそうだ。しかしカードを配った瞬間にキングママに詳細は仕組みを見抜かれて、その場で怒鳴りつけられ、相手があまりのその剣幕に失禁してしまったと、セブン嬢から聞いたことがある。
確かにママは見事な体躯で怒らせると怖そうだが、失禁するレベルとなると、呪術的なものも感じてしまうのは、僕の考えすぎだろうか?
なぜなら、ママとの対戦の後には、不思議なことが起こるのだ。それは、ママが意図したものかは定かではないし、説明も一切ない。しかし、そこで大きな気づきや、自分自身を深く知る洞察を得ることになる。
*
長田は自分自身でも、自らに与えられたカードが非常に強力なものだと知っていた。ポーカーの話ではない。彼の人生そのものだ。
長田浩人。僕は普段は彼をオサダと気安く呼んでいるが、多くの人が初対面で彼の風体や育ちの良さに、ついつい敬語を使ったり、謙ったりしてしまいそうになるのを何度も見てきた。僕も例外ではなく、出会った時から、彼に対して下品なジョークはおろか、不遜な態度は取れないと感じてしまい、ついつい恭しい敬語で話したのを覚えている。
彼自身が自分の“それ”に気づいたのは多分小学生の低学年ごろだっただろう。自分は人と違う、恵まれているのだと。
それは難しいことではなかったと思う。周りの状況や、同年代の子供たちと見比べて、そして、大人たちの対応などから、自然と理解した。彼は賢かったし、そのような洞察力も長けていた。
彼は裕福な家庭に生まれ、教養と愛情あふれる両親から引き継いだのは、端正な容姿だけではなく、明晰な頭脳、そしてそこに豊かな教育。情緒や芸術性も育まれたし、彼は人の痛みがわかる、優しい人柄だった。だから、自分が少し特別だろうと、それを武器に誰かにマウントするとか、利用して利己的な得を狙うこともなく、むしろ自分から率先して気さくに話しかけることによって、周囲の余所余所しくなりがちな関係性をオープンなものにしていった。
僕は大学時代のバイト先で長田に出会った。
彼は裕福な家に生まれつつも、親に頼らず自立するために、港区の実家を出て武蔵野市で一人暮らしをし、渋谷にある居酒屋でアルバイトしていた。そうでなければ三流大学を出た僕のような田舎者と知り合いになるわけない。そして彼はもちろん有名大学に通っていた。
まったく境遇の違う僕らだが、なぜかバイト先で長田とはウマがあった。年が同じで、家も彼は吉祥寺で、僕は三鷹と近く、なにより音楽の趣味が似てたからだろう。
長田も僕もジャズが好きだった。彼はどちらかというと洗練されたジャズが好きで、全体にモードや、プレーヤーでもピアノやアルトに寄っていた。僕は少し泥臭い感じのプレーヤーが好きだし、ギターやオルガン、モードよりもピバップ以前のジャズの方が好みだった。だからお互い微妙に被りすぎないせいで、情報交換ができたのだろう。
大学卒業後も親交は続いた。彼は優秀な成績で卒業し、誰もが知ってるような大企業の営業部に勤め、僕は5年かかって卒業し、誰もが知ってる飲食チェーン店の契約社員として、現場でアルバイトスタッフと同じように接客や調理の仕事をした。
段々と、会う回数は減っていった。お互い忙しかったし、僕は仕事が終わるのが終電時刻だ。土日も仕事が多い。
しかし、ある時吉祥寺のオーディオ屋でバッタリと会ったのだ。僕はその日休みで、彼は仕事帰りだった。
長田はげっそりと痩せていた。1年以上会ったいなかったが、それでもその変化と、疲れた顔に僕は驚いた。
「カンちゃんは元気そうだな」
僕は「寛太」という名前だが、カンちゃんと呼ぶのは大学時代の友人数名だけだ。そう呼ばれて懐かしくなったが、それが余計に長田のことを不憫に思った。
長田は食事をしていないというので、そのまま二人で飲みに行くことになった。
「もうすぐ、俺たち三十路ってやつだな」
長田はしょんぼりと、熱燗のお猪口を傾けながらつぶやいた。
「もうすぐって…。まだ3年あるぜ?」
僕らは現在27歳だ。確かにもうすぐ、とも言えるけど、正直自分が30代になるという実感はこれっぽっちもなかったし、まるで現実味がない。ただ、長田は30代どころか、40代にも見えそうなくたびれっぷりだ。
「おいおい、どうしたんだよ?何か困ったことあったのか?マジで病気とか大丈夫か?」
僕がそう尋ねても、
「いや、健康状態は、問題ないよ。定期検診やってるから。なんていうかさ…」
長田はテーブルの真ん中あたりにぼんやりと焦点の合っていない視線を落とし、そう言って黙っていた。僕もの言葉を待ちながら、だまってジョッキのビールを飲んだ。
「このまま、俺は終わっていくんだろうと思うと…。怖くなってさ」
長田はため息混じりにそんなことを言って、手酌でおちょこに酒を注いだ。
「仕事、うまく行ってないのか?」
「いや、仕事がどうとか、そういうことじゃなくて…。なんだろうな。俺、自分でもおかしいってわかってるんだけど、このまま、会社で働いて、出世して、給料上がって…、多分、結婚とかして…。なあ?俺たちって、なんのために生まれたんだと思う?」
そんなことを聞かれても答えられるわけがない。長田は時々、こういうことを言う奴だった。
「オサダ、お前最近、音楽聴いてるか?」
僕は話題を変えた。少しでも明るい話題にしようと思った。
「趣味…、ってのは楽しい。音楽を聴いて、心地よくなれる。LIVEもいいよな。でも、楽しんだ先になにがあるんだろう?」
僕の質問に答えない、というか、さらに深みに落としてしまったようだ。
「もし俺がプレーヤーだったら、ぜんぜん違ったんだろうな…。熱いプレイして、楽器に自分を表現できるのかもしれない。でも、俺は今、自分を表現しているのだろうかって考えると、何も表現していないってことに気づいた」
「そんな、俺だって…」
と言いかけたが、彼は僕の言葉を無視して続ける。
「表現してないなら、すればいい。そう思わないか?でもさ、俺は何も表現すべきものがなかったんだ。表現以前の問題だよ。空っぽだったんだ。俺は、何も持っていなかった」
彼は酒をグイッと飲んで、また徳利を持ってお猪口に注いだ。
「…なんか、こういうこと言うのもなんだけど、それってさ、うつ病みたいなもんじゃないのか?自分自身に虚しさを感じてしまって、人生に無力感を感じて、無気力になってしまう」
「そうかもしれない。でも、これって心療内科に行くとか、カウンセリングするとか、そういうことでもない気がするんだよ。カンちゃんは、そういうの考えたりする?」
確かに、僕も一時期、そういうことがあった。
「オレさ、ずっと今の仕事嫌だったんだよね。ヒロトと違って、オレなんて三流大学で、やっとのこと飲食の会社に入って、朝から晩まで働いて、ヒロトに比べるとオレの仕事なんて…」
「いや、そんなこと…」
長田はフォローするように言う。本音で言っている。優しい男なのだ。しかし僕はそれを遮る。
「まあ聞けよ。これは事実だ。気にするな。オレは給料も安いし、社会的な信用だって大したない。そして何か大きな夢や目標もない。だから2年くらいくらい前かな、マジで仕事やめようと思ってたし、自暴自棄になったもんなぁ。自己啓発の本とか読んだりして、自分探しとか、やりたいこと探し?みたいなのやったりしてさ」
僕はその当時の自分を思い出して笑った。
「ああ、そうだったな。たしかカンちゃん、前に会った時、すげえ辛そうだった」
そうなのだ。一年半くらい前に会った時は、今の僕と長田は逆だ。僕が落ち込み、長田が僕を元気付けていた。
「でも、今すごく楽しそうじゃんか? 見るからに、生き生きしているよ? ひょっとして、やりたいこととか、そういうの見つけたの?」
「うーん、やりたいことっていうか…」
長田は僕の言葉を待っている。
僕は言うべきか迷った。キングママのサロンを。
サロンは完全紹介性だが、原則として、手当たり次第に紹介はしてはならないし、紹介者は、紹介したものの責任として、自身は一年間はママとポーカー対戦ができないというルールがある。
不思議なルールだが、そうでもしないと紹介者で溢れてしまうからだ。それほど、ママのポーカー占いは、人の人生に大きな影響を与えるのだ。
しかし、僕は話した。
「なあ、お前さえよかったら、俺の人生を変えた勝負を、…やってみるか?」
**
「あんたは自分でもわかってるのよ。自分がかなり有利なカードを持っていて、そのカードをちらつかせるだけで、物事をなんでも優位にすすめることができるって」
ママは長田の顔を上から見下ろしながら、でも同時に覗き込むように見つめながら言う。
「だけどロイヤルストレートフラッシュは、一枚でも違ったら、ただのブタよ。役なし。ワンペアの手にも負けてしまう。あなたはずっと、ラスト一枚のカードを引き続けて、当たりを待っている。だけど、望んだカードは来ない。だからいつまでも役がつかない」
長田はカードを一枚切る。そして新たに一枚、カードを引き入れる。だがその表情から、それは彼の求めるスペードの10ではないことは明らかだ。
「僕は、何をやっても虚しいんです。自分が生きている意味が、まるでわからない」
震えながら長田は話した。声が枯れていて、その喉を潤すためだけのために、ジントニックを一口、啜るように飲んだ。
「そうね、さっきも聞いたわ」
そうだ、勝負の前に長田はそう言った。しかし、ママは「何も言わないでいいわ。あなたのことは、勝負しながら理解するから」と言ったのだった。基本的に、ママに具体的なことは言わない約束になっているし、言っても意味がない。なぜなら、彼女は会った瞬間に(ひょっとした会う前から)、僕らのことをかなり知っているのだ。
「人間なんてそんなもんよ。みんな、そんな空っぽの自分に折り合いをつけて、妥協して、諦めて、適当なところで手を打って生きている。そうでしょ?そして、あんたは自分もそうできればどんなに楽か?って思ってるのよね?」
長田は何も言わずに頷いた。
「だけど、あんたはそうじゃない。なぜか? 最初からそんなカードを持っているからよ。普通はみんな、そんな風に恵まれていないからよ。ここで二つのタイプに分かれるわ。無難に、大きな勝負はせず、ずっとワンペアとか、よくてツーペアで駆け引きしながら、人生をうろうろしていく。
もう一つは、徐々に徐々に大きな手を狙っていく。これはリスクあるわね。場合によっては良い手にするためには、今の手を崩すことも必要になる。
でもあんたは違う。最初からあと一手で最強の手札を持って生まれてしまった。それって誰もが羨む幸福なのに、あんたにとっては今となっては不幸の象徴。だって、あんたはそのカードのおかげで、さっさと諦めることも知らないし、駆け引きも知らないし、弱い手札でやりくりする工夫も知らない。だから、自分が空っぽ」
横で聞いていて、なんだか長田がかわいそうになるほど、ママは痛烈に言う。僕は長田に対して空っぽだなんて思わないけど、多分、長田は自分自身にそう思っている。それは大学生の頃から薄々感じていた。金持ちで、裕福で、何をやってもそこそこできるのに、なぜか彼はいつも物足りなそうだし、情熱的に何かをやるわけでもなかった。
ママの言葉を聞いて、長田は何も言わなかった。ただ黙って自分のカードを眺めている。いや、カードを見ているわけではなさそうだ。視点のやり場がなく、ただそこを見ているのだろう。
「さ、私の番ね」
ママはカードを2枚交換した。
「お、これはいいわ。最高!」
ママは野太く高い声で嬉しそうに言う。ママのオープンカードの3枚はハートの8が3枚だ。この時点でスリーカードになった。見えない2枚がペアの場合、フルハウスだ。フルハウスに勝つにはフォーカドかストレート・フラッシュしかない。
「諦める、か…」
長田はそうつぶやいて、カードを5枚、全部伏せた。まさかの全交換?長田にしては思い切ったことをするなと僕は驚いた。
しかし、5枚を場に捨てようとしたら、
「いい?」ママが長田の顔の前に指を差し出しながら言った。「駆け引きよ?人生は簡単に諦めてはいけないの。だから自暴自棄にならないの。まだチェンジは何回ができる。だからまずは一枚ずつ、手札を変えていく。いきなり全部捨ててって…。そんな行き当たりばったりのギャンブルする人間で幸せになる人間はいないわ」
ギャンブルをしながら何を言うのかと思ったが、人生の話なので僕も納得する。
長田は思い直し、カードを手に戻した。
「ワンペア、やっとできたんでしょ?そのワンペアから始めればいいのよ」
ママの言葉に、長田は驚きを隠せない表情だ。おそらく、手元にはペアがあるのだ。そういえば、ママがどういうわけか相手のすべての手札を把握していることは知らせていなかった。
長田は少し迷ってから、手札のジャックを一枚交換した。
「そうそう、そうやって、迷いながら、考えながら、一つずつやるのよ。階段は一歩ずつしか上がれないの」
ママはそのあと一枚交換。
「うーん、残念!」
長田は再び1枚、今度はクイーンだ。
そんな風に、お互い1枚ずつカードを切っていく。ママは相変わらず見えているカードはスリーカード。長田はハートの9、ハートの10、クローバーの6と、精細に欠けていた。
「ラストの交換ね」
いよいよ、お互いラストのチェンジだ。最後はお互い、すべてのカードを伏せる。
ママは一枚交換した。表情は崩さない。文字通りのポーカーフェイスだ。
長田も1枚、クローバーの6を捨て、一枚手にした。明らかに、緊張している顔だったが、さっきよりも、どこか生き生きした顔に見えた。勝負を楽しんでいるのか?
「勝負よ」
このゲームに「親」はいないので、お互いに一緒にカードをオープンする。
結果は…。
ママの勝ちだった。ママはスリーカードではなく、なんとフォーカードだった。
一方、長田はフラッシュだ。ハート一色。しかし、よくあそこからフラッシュまで持ってきたものだと思った。
「ふー、負けた負けた」
長田自身、どこか満足気だ。
「よくフラッシュを作れたじゃない?ね?一旦方向を変えるって大事なのよ」
「はい、あそこでやけにならないで、一枚ずつ変えて。ワンペアをどうしようかと思ったけど、そこは思い切って、ラスト一枚にフラッシュにかけました。もしスリーカードだったら、それで勝てると思ったし」
長田はそう答えて、ジントニックをぐいっと飲む。
「そゆこと。よくできたじゃないの坊や」
「しかし…」
長田は、また表情が曇った。
「確かに、人生はそうでしょう。僕も、今学んだことを大事にしていきます。でも…」
長田が言いかけたところで、
「さ、まずはお金。ゲームの精算よ。フォーカードは12倍だからね。3万6千円よ」
長田は言葉を遮られたことに不服そうだったが、財布を取り出し、4枚の札をテーブルに出した。少し、乱暴な手つきで。
「あ、うちはお釣りないのよ。ごめんね」
ママがそれを見ながら答える。ざっくりとした口調で。
「…今、ないんですよね」
ぼそっと長田が言うと、
「あ、俺、崩せるよ」
僕がそう提案する。
「ほら、見てごらんよ」とママが長田にいう。
「こうやって、人がいるのよ。あなたは対戦を一人でやるわけじゃないのよ。あなたにないカードを、誰かが持っているのよ。その誰かと一緒なら、どんな手でも作れるわ」
なるほど、と。僕の方が納得してしまった。
「自分一人でも、思い切って手を崩し、リスクを承知で、ステップアップできる。だけど、誰かと一緒にことに臨むのなら、必ずあなたに必要なカードを持って来てくれるわ。あなたが、その相手と真剣に、誠意を持って付き合えるのならね」
「だけど、空っぽの自分には、変わりないですよ。そもそも、やりたいことがないんですから」
「そこよ。やりたいことを、どうして一人でやることにするの? 一人で考えるの? あなたは一人でも頑張ったし、優秀よ? だけど、もう一人じゃ限界。だったら誰かとコラボレーションするしかないんじゃないの?」
「コラボレーション?」
「ポイントはね、あんたは優秀で有能ってこと。だから見失いがち。コラボレーションは、あなたと同じような人と、同じことをやるのではないのと。あなたと違う人と、同じ方向へ向かうことなの」
長田はテーブルに視線を落とし、何か考え込んでいるようだった。
「さて、じゃあゲームの仕上げ」
ママは二人のカードを集めて、シャッフルした。大きな手で、カードが小さく見える。
「あんた。一枚、好きなカードを抜き取って」
突然僕に振られたので驚いたが、僕は言われるままに、少し戸惑いながら、ママの広げたカードから一枚抜き取り、そのカードをテーブルに置いた。スペードの10だった。
「これがあれば、あんたはロイヤルストレートフラッシュだったのよ。こうやって、一番大切なカードは、あんたの目の前の人間がいつも握っているの。あんたは一人でもそこそこやれる。だけど、自分の生まれ持ったポテンシャルを最大限に発揮させたいのなら、コラボレーションすることよ」
長田は僕の顔を見て、苦笑いをしていたが、
「ただし、コラボレーションは心を開くことよ、あんたはすっかり閉じている。もっと人を信頼しなさい。必ず、必要なカードは、必要な時にもたらされるわ。肝に銘じるのよ? セブン、おかわり!」
セブン嬢がグラスを下げにきた。
「まあ、今生でそういうのは終わりよ。過去生の癖を引きずるのはもう終わり」
ママがそんなことをボソッと呟いて、僕はママと長田を交互に見る。今生? 過去生? ママはポケットからタバコを取り出して、電子ライターで火をつけた。長田は放心したように、スペードの10のカードを眺めていた。
放心?いや、時間が止まってるかのような、無表情の中にいた。体もぴくりとも動かないし、瞬きも、呼吸もしていないのでは?
「あ、えっと、万札、両替しますね」
僕が立ち上がり、長田の様子を近くで見ようと近づいた時、ママと長田の周辺の空気感が違うことに驚いた。突然、水の中に入ったような、質感のある。そして重みのある空気で、そこに潜る時には、ゼリーのような壁を通過したような不思議な感覚が全身を包んだ。
そして、その中に入ると、一瞬、ほんの一瞬だ。見たことのない景色が見えた。
「セブン、お会計よ!」
ママがそう言ったのと同時に、僕が感じていた質感のある(しかもやや圧力のある)空気はなくなり、僕の感覚も普通に戻った。
(今のは…)
「さ、次の対戦相手がいるからね、あんたたちはこれでおしまい。また縁があったら勝負しましょ」
**
「なあ、カンちゃん」
先ほどの、置物になってしまったような顔はすっかり消え、長田は以前のような、いや、以前よりも晴れ晴れした顔だった。
「さっき、勝負の後にさ、不思議な夢みたいのを見たんだ?」
「夢?」
「ああ、寝てたわけじゃないんだけど、夢としかいいようがないな」
「へえ、どんな?」
多分、それは僕が見ていたものと同じだろうと思ったが、僕は長田の言葉を待った。
「話半分に、聞いてくれ」
「ああ」
「その夢の中の人物が誰なのかは知らない。俺じゃない。ただ、その男はどこかの国の王子だったようだ。しかし、父王が死んで、後継者問題でお家騒動のようなことが起こった。その王子は長男で、能力も申し分なかった。しかし、後継者にはなれなかった。
その王子自身は、別に王位を狙ってなんていなかった。そもそも、何をやりたいって明確な意思はなかった。ただ、親の敷いたレールから外れるのは、彼には不可能な選択で、受け入れるしかなかった。
しかし、狡猾な敵がいて、それを阻んだ。王子は有能だったが、一人では太刀打ちできるわけがない。悪意のある嘘があちこちに流されて、王子は国民や臣下たちから憎まれた。敵は幼い弟を王に担ぎ上げ、自分でこの国を好き勝手にしようとする官僚たちだ。
しかし味方もいた。ただ、その味方も半信半疑だったり、情勢を見ているものが多かった。だから、そいつは自ら心を開いて、信頼して、助けてくれと言うべきだった。しかし、言えなかった…。やがて、敵にはめられて、国中から憎まれ、死んでいった」
長田の話はそこで終わった。表情は、相変わらず清々しいままだった。
僕は言うべきが少し迷った。なぜなら、僕もそれを見ていて、僕が見ていたのは、ある悲劇的な運命の王子から、必要とされなかったことと、助けたくても助けれなかったと悔やんでいた男の、一瞬の物語を見たからだ。
「こうして人と人が出会うってことはね、縁ってやつよ。縁ってのは、今回限りじゃないのよ。あんたがあんたになる前に、何百回と人生やってて、そこで縁があるのよ」
以前、僕がポーカーをした時、ママから帰り際に言われた言葉だった。
「なんか、行ってよかったよ」
長田が立ち止まり、僕の顔を見て言う。
「ありがとな。カンちゃんはしばらく対戦できないってのに」
「いや、いいんだ。俺は俺で、色々と気付かせもらって、そこから自分の人生を始めているよ」
「そっか」長田はそう言ってにこやかに笑った。昔と変わらない、誰もが好感を抱く
、懐っこい表情。かつて王子だった時も、誰からも好かれていたのだ。
「ところで、カンちゃんが前に、キングママとポーカーした時、何かこう、うまく言えないけど、こう、不思議なもん見たりとか、そういうのあったのか?」
「おうおう。実は俺の時はさ……」
終わり
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