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人を相手にせず、天を相手にせよ
★3月13日(金・夜)覚醒LIVE「OTODAMA」。お申し込み、詳細は→こちらから
★3月3日(火)11:00〜16:30 「超・覚醒プログラム『秘・密』
秘儀は、内なる自分の中にあり、外の世界の人や超常存在と繋がるのではなく、内なる神性と繋がることこそが、魂の生き方を実践すること。
★4月12日
「人を相手にせず、天を相手にせよ」というこのタイトルは、西郷隆盛の言葉として知られている。
俺は毎日毎日「瞑想」をする。瞑想は毎日感覚が変わるので、「瞑想すると〇〇になります!」という明確はハウツーを俺は述べれないのだが、やはり「自我(エゴ)」を超えた感覚になることは多い。
あなたが思う「自分」って、どっからどこまでですか?その肉体の範囲内ですか?というと、皮膚の内側が「自分」で、皮膚の外側が「自分以外」かな?
じゃあ「心」ってなに?心はある?ない?え?脳の事?ふーん、脳が心なら、脳が機能しないでも人間は動ける時があるんだけど、それはどういう事?例えば、プロの卓球選手とかは、脳の判断を超えた速度の中で動いているし、脳死した人が奇跡を起こして復活したり、臨死体験で、本人が知らないはずの情報を知り得たりするという報告もゴマンとある。
心の場所はどこ?それはどっからどこまで?あなたの感覚は?あなたの気配は?
と、いうように、実は「自分」っていう存在に、明確な定義がないものだ。だって、あなたもわからないでしょ?
しかし、深い瞑想状態を習慣化していると、「自分」という定義が、それまでと変わってくる。まず、確実に「皮膚」の境目ではないし、思考や心と呼ばれる感覚すら、自分の中の一部だと感じられる。
覚醒体験については、拙著「人生をひらく不思議な100物語」でもたくさん触れているが、先日、いつもとは違った不思議感覚に陥った。
まず、先に「魂」という話をしておこう。
魂って、なんとなく「自分の中」にあるような気がしてしまう。俺もかつてはずっとそう思っていた。しかし、スピリチュアリティ(霊性)に目覚めてくると、その感覚が逆転して、“魂の中に肉体がある”、という感覚になる。俺に限らず、多くのマスターやスピリチュアリストが述べている。
しかし、俺が深い瞑想時に感じてるのは、それとも違った感覚だ。
自分はただの「器」だった。この肉体も、この思考や心や感情。いや、オレだけでなく、すべてがただの「器」だ。電池と、サーバー接続で駆動する「スマート・フォン端末」のようなものだ。
先に、瞑想にご興味ある人には、youtubeで「無料動画レッスン」をしているので、ぜひご覧あれ。
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さて、この空間には、すでに『叡智』と呼ばれる一種の電波のような波動で満ちている。きっと、今これを読んでいるあなたの周りにも実際に、Wi-Fiやら、4Gだの、ラジオだ赤外線だの電波情報が溢れていて、あなたのスマートフォンやパソコンはそれを受け取る器であり、器に見合った機能で稼働する。ラジオならラジオの器の容量の事しかできないように、スマホやPCも、10年前の性能とは、つまり「器」とは段違いの性能だ。
俺たち人間も同じだ。もちろんスマートフォンよりはるかに大きな器を備えているが、あくまでも「地球人」という器で、それ相応の機能しか使って生きている。
しかし、空間には、もっともっと情報が満ち満ちているのだ。情報(叡智)はすでにある。ただ、我々の器が足りなくて、その叡智を受け取っていないだけだ。
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