すっげぇ、苦手なことなんですが…。
「ヘイ彼女、お茶しない?」
と、80年代〜90年代初期の漫画なんかで、そんなセリフでナンパする男がよく描かれていますが、今はもちろん、当時だってそのセリフをガチで言うやつはおらんでしたね。
しかし、男性が女性に出会いとアバンチュールとちょめちょめを求め、声をかける「ナンパ」行為自体は、世の中にたくさんあり、かつては僕も、たくさんの女性に声をかけたもんです。
今日はそんな「お誘い」に関する話から、個人的なこの頃の心情の吐露トロです。。
得意なことと、苦手なこと。
話は変わってですね。ここ数年、僕の活動はとにかくまあとにかくゆる〜くやって来たので、“それ”に関しては、あまりやってなかったんですよ。
そう、“それ”です。奥さん、それです。
そう、「苦手」なやつ…。
苦手というか、すごく、「不得意」なやつです。
人生は、得意なことを伸ばし、好きなことを率先した方がいいです。しかし、人間社会ってやつは、時にはそれらの「苦手」と向き合わねばならない…。
得意なこと
僕はですね、
音楽を創るとか、
文章やストーリーを書くとか、
歌を歌ってパフォーマンスするとか、
そこは大得意なんですよ。そして大好きなんですよ。
他にもね、「心」の事とか「精神性やスピリチュアリティ」とか、「生き方」とか、その手の話をべらべら喋ったり、説明するのも、
けっこう得意なんですよ奥さん。
そう考えると、僕はけっこう「得意」なことが多い方かもしれない。「好き」が多いと思います。旅も好きだし、料理も得意だし。幸せなことだと思ってます。
しかしですね、
世の中は、それだけじゃやっていけないんですよ。
苦手なこと
例えば、ある生産者さんがいて、その人がどんなに良い製品を作っても、製品が売れないと、その生産者さんは次の製品作る資金がないんです。無から有を生み出す、ってのは「頭の中」で、実際は加工しないとならないから、軍資金や時間や労力が必要です。
そして人間自体にリアルな生活ってもんがありますからね。
だから生活のためにも、作って、売って、対価を得ることが必要なわけです。
しかし売れないととなると、生活のため、金のために働かないとなわんわけです。しかし、そうやって体力や時間を取られると、次の製品を作るアイディアをまとめ、作業をする時間が無くなるんです。もちろん、その中でやるしかないのですが、かなり体力が必要です。
これは、アートも同じで、どんなに良い曲作っても、どんなに絵を描いても、見て、聞いてもらえないと、そのアーティストは活動はできないってことも同じです。
だから、よくアーティストや作家は「産みの苦しみ」なんて言いますけど、ぶっちゃけね、産むのは、確かに大変だけど、こちとらそれや長年好きでやってるから、苦じゃないんですよ。だって、あーだこーだ言いながらやることも“混み”で、楽しいんだから。
でもね、そうじゃなく、生み出したもの、つまり作ったものを届ける作業ってやつが必要なわけです。
「宣伝」「営業」「集客」
という、アートな分野から、一気にビジネスとか、超超超現実な世界です。
ぶっちゃけ、とにかくLIVEイベントだと、何度も何度もこういうことが過去にもあったんだけど、
実はこのLIVE…。お恥ずかしながら…。
まだまだお席に余裕がありまクリスティなんですよ…。
去年は、20人も入れば一杯!って狭い場所ばっかでやってましたからね。でも、今回は、詰め込めばマックス50人ほどの会場なんです。まあ、僕自身が詰め込み席に座るが嫌いなので、余裕を持って30人くらいの設定にしてますが、それでも余りまクリスティです。
いや、別にいいんです。来てくれた人に、全力で歌います。そこは変わりません。最近はその辺のメンタルは変わりましたね。慣れて来ましたよ(笑)。人が多くても少なくても、声をささげることに変わりはない。
そうは言っても「集客」
集客。僕は結局のところ、ワークショップとか、LIVEとか、いわゆる「イベント業」なんですよね。だから集客は常に「必須業務」としてあるんですが、とにかくこいつが僕は昔から苦手なんですよね。
まずなんといっても「楽しめない」し、「面白い」と思えないんですよ…。
部屋でコツコツ作業して、作品を制作するのはいいんですが、いかんせん集客などの営業活動はときめかない。だけど、そこはこちらもメンタルを扱うプロでもありますから、マインドセットを調えて淡々とやるわけですが…。
しかしね、世の中には、そういうのが得意な人がいるのもわかる。すごいなって思う。
なんですごいかって、実は彼らも「創造」してるんですよね。
集客のための仕組みを“創る”とか、宣伝のための文章やセールスレターを“創る”。そして、お金とか実績とか、物質的なものを集めることに、心から喜びを感じている。
そういう人をたくさん見て来ました。真似したし、モデリングした。勉強させてもらったし、たくさんアドバイスももらった。それはそれなりに功を奏した。
しかし、やっぱ真似できないなと思った。なにせ人間向き不向きがあるからね。
でも、そうは言っても、来てもらわないと活動できないし、何より僕の場合は、
「歌を聴いて欲しい!」
ってのがあって、一緒に音楽体験を共有して、気持ちよくなりたいのよ。一人より二人。二人より三人で、一緒に心地よく、体と心の深い部分を震わせませんかと。僕が感じてるこの快感を、共有しませんかと。それが目的なんですよね。
自分の心理の動きを観察
でね、3月5日のイベントが大阪なので、メールやLINEなどで、関西方面の知人や、過去にイベントに来てくれた人に、直接の「お誘い」をいくつかしました。
やってから、そういえば、こういう“個人宛の誘い”って、今までほとんどしたことなかったと思い出した。
実はこれ、僕にとって無茶苦茶もやもやして、ざわざわして、居心地悪いものだったんです。
つまり、僕は「誘うのが苦手」なんですね。
集客や営業マーケティングは「不得意」ですが、この「個人的に誘う」となると、苦手を通り越して、「余は、それが嫌いじゃ」とすら思いました。
そして、
「はて? なんで俺は直接〇〇さんや▲▲さんとかをお誘いすることに、こんなに抵抗あるんだろう?」
と思った。
だって、知らない人じゃないんですよ。知ってる人です。しかも、親しい人も多いんです。なのに、無茶苦茶しんどい。
冒頭に書いた通り、僕はナンパは得意なんですよ(昔ね!今はしないよ!)。見知らぬ女性に声をかけたことなんて、もはや北斗琉拳の羅将「ハン」の名ゼリフの
「百から先は覚えていない」
ってくらい、手当たり次第声をかけまくりんぐでした。
なのに親しい人や、僕をよく知る人を誘うことに、ハードルどころか「壁」、いや、もう「城壁」かってくらいの苦手意識がある。
人によっては、多分見知らぬ女性に声をかける方がよっぽどハードル高いだろうに、不思議なもんですね。
ほいで、自分の心の中を深掘りしてみる。こういう、感情を荒げてくれるものは、自分を知るチャンスであり、自分を解放し、自由にするヒントです。
お誘いやお願いは、するもされるも苦手?
まず思ったのは、そもそも自分自身が
「親しい人からお願いされたり、お誘いされるのが苦手」
ってことです。なぜなら、そういうお誘いの大半って、お断りします。
僕って基本、自分が行きたいと思うものは、自分で探して、自分で決めるし、本当に「面白そうだ!」と思わないと、なかなか動かないので、お断りすることが多いのです。
知人に、作家や、同じようなイベント業(セミナーや講演会)をする人間関係が多かったので、以前は義理やお付き合いで行ったりもしたし、書評を書いたりしてましたが、ある時期からお断りするようにしました。
しかし、この「断る」ってことが、僕にとって何よりハードルが高いのです。
お願いされて、断る。ここでポイントが「親しい人になればなるほど、断るのが苦しい」ってことです。赤の他人とか、あまり縁がなければ、サクッとお断りできるんですが、親しい人だと、むちゃくちゃ心苦しいのです。
「せっかくのお誘いなのに〜」
「ご期待の添えなくて〜」
「お力になれなくて〜」
申し訳なかとですばい……!!
と、断腸の思いでお断りするんです。本当に、申し訳ないと思うのです。
これ、いつまでも「慣れ」ない(笑)。だからいつも思う。「俺を誘わんでくれ!多分、行かないから!」って。
(で、本当に断りまくってたら誘われなくなったし、お願いもされなくなったから、最近は楽です)
しかし、ココなんですよ奥さん。僕は基本的に、
「自分がされて嫌なことは、人にしない」
をモットーに生きている心優しき好青年なので、自分がされて嫌なことを、人に、まして親しい、普段お世話になっている人にしようなんて、それはもう僕の中でモラルとか倫理観とか道徳とか貞操観念とかが(?)ぐわしぐわしとゆさぶられるわけです。
だから「お誘いするのが苦手」なんだなぁ〜と、自己分析しました。
根本にあるもの
しかし、それで分析は終わりではない。まだまだ深く掘る。
結局ね、どうして「断るのが苦手」かっていうとさ、もう、今更こんなこと言うのも恥ずかしいけど、
「嫌われたくない」
なんですよ奥さん。
相手がどんな気持ちで誘いに乗ってくれるか、断るかはわからないけど、不快にさせてしまった場合を考えて、とにかくそれによって嫌われてしまうってことに、恐怖を抱いているんですね。
あ、ちなみにふか〜い部分ですよ?この手のことは散々過去にも向き合って来て、手放しながら、何周かして、また深い部分の課題に出会ったのですから。
さらに掘っていくと、そもそも「人を信頼してない」ってことです。
どうして僕に誘わて、仮にその誘いが好みに合わなかったくらいで、僕のことを嫌いになるのか?
実際に、自分が人からお誘いや、ビジネスやイベントがらみのお願いをされても、その人を嫌いになるなんてことはないです。「困ったなぁ」となって、「申し訳ないっす!」と思うけど、相手を嫌いになることはない。(誘い方や伝え方次第では不快になることもあるがね)
なのに自分がそれをやったら、相手から嫌われるかもって、どんだけその人を信用してないのか…。その人に失礼ですよね(笑)。
だから、相手を信頼していないし、そもそも自分を信頼してないってことです。
やれやれ…。結局ここか(笑)
そして、仮に嫌われたとして、誘ったくらいで僕のことを嫌いになるような人と、今後も友達でいたいのか?ってことですね。多分、そんなの友達でもないですよね。
そもそも、人から嫌われたくないのはなぜか?
深掘りは終わらない。
これはもう、かなり根源的ですが、もはや「生存本能」と「防衛本能」ですね。
原始時代からのDNAもあるし、僕の幼少期とか、スピの人なら過去生とか、そういう話も、いくらでも出てくるでしょう。
とにかく、親しい人から嫌われて、人間関係が築けないことで生じるトラブルが、自分の生存とかに関わるってくらい、深層心理というか、深い部分で感じているんだと思います。
でも、やっぱりそれは「自分の人生を信頼してない」ってことです。何が起きても大丈夫!って言ってるはずなのに、自分自身が、どこかで「大丈夫なんかじゃないんでないかい?」と、恐る恐る周囲をうかがってる状態ってことですね…。
やるべきことは?
と、ここまで深掘りしたところで、では何をすべきか?自分に何ができるのか?ってことです。
だって、こんな深掘りしても、現実は何も変わりません。ただ、僕自身、自身を知ることで、恐れが軽減したってだけです。
やるべきことは、
「お誘い」ですね(笑)。
それしかないです。だって、来て欲しいんですから。そして、必ず、満足させてみせる!と、自信を持って言わせてもらいます。だって、僕が最近、歌うことがむちゃくちゃ楽しいので(笑)、その波動が伝わるはず!
だから歌を、聴きに来てください! 3月5日(日)16時半〜。
瞑想の歌、という曲では瞑想タイムがあり、音楽やアートって、そもそもスピリチュアリティのど真ん中ですしね。他にも倍音を感じる遊びもやります。
歌とギター。ピアノと少しだけ打楽器も交えます。
響きと音色。感じに来てください。3月5日!
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