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アートと生きた、女性の戦士たち。ミラノ編 n.3。 守ること。
はい。これがあなたの。
これでご家族全員のパスポートが揃いましたね。
ボッカ・アル・ルーポ (幸運を祈っています) 。
芸術を守り、人も守る。
エットーレ・モディリアーニ館長がユダヤ人迫害を受けた時、フェルナンダは署名を集めたり、ファシスト党に近い知人に相談し、なんとか迫害を回避しようと努めたが、無駄に終わっていた。
フェルナンダの大学時代の恩師、パオロ・ダンコーナ(Paolo D'Ancona)教授を覚えているだろうか。彼もまたユダヤ人であり、迫害され、隠れ家で身を潜めている。
フェルナンダは、イタリアの美を守るだけでなく、レジスタンスと協力し、迫害されたユダヤ人のために偽造パスポート、別名「命のパスポート」を発行し、スイスへ逃亡させることを決断する。
Salvare l'arte e Salvare le persone sono le stesse cose. Non puo' fare diversamente. Se non facciamo noi, chi deve fare ?
芸術作品を守るのも、人を守るのも、同じことです。守ることに違いはありません。わたしたちがやらなければ、誰がやるのですか?
フェルナンダの長年の友人で女医であるアデレ・カッペッリ・ヴェーニ。36歳になってから医大に入り婦人科の免許を取得し、ミラノの病院でボランティアとして活動。母親からの質問に対して、医師として回答している書籍も発行している。
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スイスの国境近くにある彼女の別荘を、シングルマザーと子供達を保護する施設に改装している。施設内には児童看護師を育てる教育機関も設けていた。
フェルナンダが持ちかけたた相談に、アデレは二つ返事で賛同する。彼女にも迷いはなかった。
「わたしの別荘を使いましょう。あそこなら、スイスの国境まで車で1時間もかかりません。支援するのにちょうど良いわ。」
彼女の別荘が、偽のパスポートを作成し、ユダヤ人をスイスへ逃亡させる拠点となる。
フェルナンダとミラノで同じアパートに住んでいた、ジーナとマリアローザ・トレソルディ。この姉妹も協力する。
女性4人が綿密に計画し、レジスタントと密かに連絡を取り合い、必要書類を整え、パスポートを偽造し、ユダヤ人を逃亡する援助が開始された。
ブレラ美術館の女館長というだけでも目立つ立場なのに、自分の身を危険に晒しながら、スイスへ逃亡する手続きを待つユダヤ人を、自分たちの家に匿う。
スイスへ逃亡させたユダヤ人のなかには、恩師パオロ・ダンコーナ教授も含まれていた。
きっかけ。
1943年の年末に、イタリアに逃げてきたドイツ出身のユダヤ少年が、家族とスイスへ逃亡したいと、フェルナンダのもとへやってきた。
フェルナンダはもちろん快諾し、手続きのための準備を始める。多くのユダヤ人がフェルナンダ達を頼ってきているので、すぐにとはいかず、少年の家族の順番が来たときには、翌年の夏を迎えていた。
1944年の暑い夏の日。アデレ・カッペッリ・ヴェーニの別荘で逃亡する準備を終え、翌日にはスイスへ行くことになっている。
鳥の囀が聞こえる静かな朝。
激しく扉を叩く音が静寂を破る。
開けてみると、そこには警察が立っていた。
フェルナンダは顔が蒼白になり、なにが起きたのかを瞬時に理解した。
1944年7月21日。自宅で逮捕される。
次回につづく。
盗難された「モナリザ」を、モディリアーニ館長がフランスまで運んだことを、前回お伝えしたが、ここでもうひとつ彼のエピソードを紹介します。
ブレラ美術館の有名な作品の1枚に、カラヴァッジョ作の「エマオの晩餐」があります。
ブレラ美術館とモディリアーニ館長
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1600年代からずっと所有していた一族が、この絵を手放すらしい。
ユダヤ人迫害で身を潜めていたブレラ美術館のモディリアーニ元館長はこの情報を入手する。
一生に一度のチャンスだ。
この機を逃してはならない。
名前を隠し一市民として、一枚の手紙をジュゼッペ・ボッタイ文化政策大臣へ送る。仕事を通じて信頼関係を築いている間柄である。文化大臣は、もちろん、誰が送ったかすぐに気がついたことだろう。
モディリアーニに返信することはなかったが、七千万円ほどで落札され、彼の願い通りに「エマオの晩餐」はブレラ美術館所蔵となる。
身を隠しながら執筆するだけでなく、遠隔操作で絵画をブレラ美術館の所蔵にしてしまうモディリアーニ元館長。ただものではない。
前回まで連載していた「解放されたアートと勇士たち。」の続編「女性の戦士たち」をお届けしています。
もとは、こちらの展示会に足を運んだのがきっかけです。まさか、自分でもこんなに長く書き続けるとは思ってもみませんでした。
参照:『ARTE LIBERATA 1937-1947』 ローマのクイリナーレ宮殿の美術館で開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」。
ミラノでも残念ながら知っている人が少ない彼女の存在ですが、2023年1月にイタリアのテレビ局Raiでフェルナンダ・ヴィットゲンスの物語が放映され、ようやく、彼女の一端が知られることになりました。イタリア在住の方でご覧になられた方もいるでしょう。
創作大賞にも応募しています。ぜひ応援をお願いします。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
参考資料:
"Sono Fernanda Wittgens" una vita per Brera di Giovanna GinexBiblioteca d'Arte Skia出版
https://pinacotecabrera.org/
https://riviste.unimi.it/index.php/concorso/article/view/5108/5167
https://www.elle.com/it/magazine/storie-di-donne/a22513576/fernanda-wittgens-biografia/
https://www.agi.it/cultura/brera_caravaggio_modigliani-4883793/news/2019-01-22/
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