あなたは生きているようで、生きてはいない。
どもどもこんばんわ。
最近は、実家で肉じゃがを食べて感動したりしております。
一人で暮らすようになり、自由も増えたが責任も増えたなぁ思うことが多くなりました。
ペットボトルが溜まる溜まる。スーパーに行って捨てればいいのですが、中々これがうまくいかない。
もーすこしチューニングが必要ですね。ここが転換期。楽しみます。
あなたは生きているようで、
生きてはいない。
さて、今日はなんだか世界を見ていました。
久しぶりに丸一日お休みでしたので、コミュニケーションは控えめ。世界をただ観察していました。
思ったよりも、世界は忙しい。
はやく歩く人
バスを待つ人
ハンバーガーを食べる人
みんな生きてる。
いや、
みんな生かされてるなぁと。
存在というのは、他者によって決められるのだな、と改めて認識しました。自分でどうこうという話ではありません。おそらく。
となると、何者になるとか、自分は誰々であるとか、そんなものを追いかけても仕方がないのかもしれません。
"自分という存在"を手放す。
"自分という枠組み"を手放す。
もしこれが出来た時、何が起きるでしょうか。
僕は、生きる意味で悩まなくなると思います。
自分は生きているのではなく、生かされている。毎日誰かの助けがあって、恵があって生かされている。
だから、なぜ生きるのか、とかで無駄に悩まなくていいのかもしれません。
意味なんてのは、目指すものではなく、結果だと思うのです。
それよりも、「あれをやってみたい」を繰り返す方が多分ぼくたちらしい。
もっと気軽に生きよう。
今日もみんな、おつかれっした。
さくらくん