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挑戦しても、幸せになれない。なのになぜ、僕たちは挑み続けるのか。
幼い頃、男の子なら誰もが憧れを抱いたアニメ、
Naruto
OP何期だったかな、とても印象深い主題歌を僕は覚えている。
NICO touches the wallsの『Diver』である。
その最後の歌詞がずっと、ずっと僕の中で引っかかっていた。
ただの幸せに気づいたらもう二度と、もどれないよ。
僕はこの歌詞の意味がわからず、ずっと心の中で眠らせていた。季節が過ぎてあれから5年位がたった今、やっと少しその意味がわかる気がする。
そして、その解を導くために、再びあなたに問いかけたい。
幸せは本当に挑戦の先にあるのか、
そして、なんのために僕たちは挑戦するのか?
幸せについて
この問いは根深い。僕も幸せについてはよく考えるし、人生の中で何度も何度も再定義していくものだと思っている。
だからこそ、一筋縄にはいかない。こうすれば正解というものがない。幸せとは、人生そのものだとも言える。
つまり幸せは、人によってはすぐに手に入るかもしれない。例えば、日光を浴びていれば幸せ!!という人もいる。僕が結構これなんだけど(笑)
この人にとって幸せに生きることは、晴れていれば割と簡単だ。家にこもらず外に出ればいいので、そこまで努力も要しない。
このように、自分しだいで幸せの形は大きく変化する。幸せはすべてモノゴトの捉え方に影響されているとも言えるね。
挑戦について
上記のことを考えると、幸せに挑戦は必ず必要なものではないのかしれない。
挑戦はやっぱり大前提、身を削ることだ。まだ見ぬ世界への挑戦、まだ見ぬ自分への挑戦に、肉体やと心の消耗は絶対条件である。
チャレンジの難易度が上がれば上がるほど、人は孤独になり、より大きな壁を壊すために力が必要になる。
挑戦の中で、僕らは何度でも躓いて膝を擦りむく。倒れてしまうことだってあるかもしれない。
ではなぜ、人は挑戦するのか。
僕の答えはこれ。
挑戦とは、生き様である。
僕たちは馬鹿なんだ。本当に馬鹿だ。低いハードルを超えるだけでも、幸せになれることをどこかで気づいている。
そんなことは分かっている。でも、もうすこし遠くまでいってみたい。もう少し深く潜ってみたい。そしたら今まで見たこともない景色に出会えるかもしれない。
僕たちは、たったこれだけだ。その先に幸せが待っているかなんて知らない。ただ1%でもその確率があるなら、その向こうへ、その先へ行きたい。僕たちはたったこれだけなんだ。
だからどうか神様、あともう少しだけこのままでいさせてください。バカでいさせてください。当たり前の、もっと身近にある幸せに気づかせないで。おねがい。
ここは苦しくて苦しくて仕方のない海だけど、あ一度だけ、もう一度だけ潜りたいんだ。
そんな僕たちの、崇高なわがまま。
ただの幸せに気づいたらもう二度と、もどれないよ。
この歌詞の意味が分かって、僕はやっと挑戦者になれたのかもしれない。
君は、なんのために挑戦する?
さくら
毎日note更新してます〜。ぜひぜひ。