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HouseからHomeへ。
窓から差す光と、母の怒鳴り声と共に目を覚ます。
そんな日々は当分訪れそうにないなあ。
今はスマートフォンの微妙に音痴なアラームにて目を覚まし、カーテンを無理やり明けて光を取り込んでおります。
それでも光はワンルームのたった3分の2くらいしか入ってこない。起きたばかりなのに、昨夜と異常なほどに似た景色が僕を囲む。くらい。
僕はたまらなくなって、外にでる。髪の毛はボサボサ。最近買ったお気にいりのキャップで隠せば、なんの問題もない。
家が家でなくなった気がするのは、僕がひとり暮らしを始めた4月くらいからだ。
家に家族で住むのと、一人で建物の中で暮らすには驚くほどの違いがある。
家族で住んでいる時は、思い通りにいかないことが多い。なんせ家のルールというものがあるので、しかもそれは、おれが決められるものではないので、そりゃあ思い通りにいかない。
ただお金はかからないし、家事も母親がこなしてくれる。だからすごく、楽だったのかもしれない。おかあさん、ありがとう、だ。
しかしこの点においては、そこまで苦労していない。なんだかんだ僕は家事を楽しむし、特にスチームアイロンという武器で”しわしわ”を撃退したときの感覚はたまらない。洗い物はきらいだけどね。
そんなことよりも重要なことがある。一人で暮らすのと、家族で住むには全く別の文脈があると思う。
家族で住んでいたときには、触れるものすべてに物語があった。
と感じる。
玄関に入れば、休日なのにせっせと掃き掃除する父親を。
階段を登れば、なぜか一段踏み外して擦りむいた膝を。
リビングに行けば、秋の夕暮れに吹く風と共にまどろんだ日々を。
台所に入れば、幼い頃に母親のために作った晩ごはんを。
その全ての風景が、記憶を持っており、その記憶の中には必ず家族がいた。
ひとり暮らしの家は自由だ。起きる時間から晩ごはんの献立まで全て自分が決めることができる。
誰からも干渉されることはないし、誰の都合に合わせなくてもいい。
ただ、無機質だ。新しく買ったベッド、机、マット、ソファ、その全てに記憶がない。物語がない。その全ては未だ冷たいままだ。
こんな感じで住んだ当初はとても居心地が悪かった。いつもはある安心感がそこにはない。
ただ、徐々に新しいものとの記憶が生まれ、だんだん物語を持つようになる。
2ヶ月ほど住んでみて、僕の家は徐々に温度をもつようになってきた。
houseからhomeへ。
変えていくのはその何気ない、”友達が卵をぶちまけて怒り狂った”あの日なのかもしれない。
さくら