【短期連載】『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その1──映画は真実を描いている?!(楢林麗子)
イタリアの生んだ不世出のテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティのドキュメンタリー映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』が公開されている。私もさっそく映画館へと足を運んでみた。
パヴァロッティの生の姿を見たり、その声を聴いたりすることはもうできないのだから、いちファンとしては、大スクリーンで観る懐かしい映像とともに、新たにリマスターされた豊かな音響のなかに二時間身を委ねることは、至福の時間であった。
この映画でパヴァロッティを初めて知る人にとっては、ひとりの傑出した男の人生を語るドラマとして強烈なインパクトを感じることだろう。
映画の冒頭で歌われるトスティの歌曲「A vucchella(かわいい口もと)」。その伸びやかな歌声でいきなり聴く人の心をつかんでしまうアマゾンのシーンと、100年前にカルーソーが歌ったという劇場でのエピソードは、パヴァロッティ自らの言葉とともに、筆者が翻訳し今月28日発売となる『パヴァロッティとぼく──アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』でも描写されている(第8節「アマゾンからニューヨークへ」)。
映画では、生地モデナでの青春時代から、歌手になり世界のトップへ登りつめるまでの業界事情、家族のコメント、華やかな女性遍歴、頂点をきわめたスターの人生の明暗が描かれており、ドラマティックに構成されている。
しかしファンが知りたいと思うのは、パヴァロッティの後半人生──長年連れ添った妻との離婚、若いアシスタントとの再婚、2002年のメトロポリタン歌劇場(MET)ガラ・コンサートでのドタキャン騒ぎ、その後の引退発表、病との闘い──こうした波乱に満ちた晩年の真相はいかに? というところにあるのではないだろうか。
彼は離婚を機に愛する娘たちからも距離をおかれ、その後両親をはじめ身近な人々を次々と失う。家族愛の強いイタリア人がどれほどの淋しさを味わったかは想像に難くない。彼はそこからどのように生きる喜びを見出していったのだろう。
映画では知りえなかった晩年の“真相”が、本書『パヴァロッティとぼく』ではパヴァロッティ自身のたくさんの言葉とともに語られている。
といっても、本書はスキャンダラスな暴露本ではない。
マネージャーだったハーバート・ブレスリンは、引退後の2003年に『王様と私』というまさに暴露本ともいえる自伝的回想録を書いた。その歌の才能には惚れ込みながらも、パヴァロッティのことをこきおろした本だ(自伝というのは往々にして自分の業績の自慢で満たされるが、ブレスリンもまた例外ではない、というところか)。映画にも登場した音楽評論家アン・ミジェットが共著者だ。そのためであろう、映画では興業主ティボール・ルーダスを彼女が辛辣に語っていた。すでに鬼籍に入ったルーダスが反論できないのが気の毒だ。
『パヴァロッティとぼく』で語られることは、著者ティノ(エドウィン・ティノコ)がパヴァロッティのそばにいた13年間、ティノが目にした事実と、耳にしたマエストロ本人の言葉である。読者はあたかも自分がその場にいるかのような錯覚さえ覚え、パヴァロッティをとても身近な人物として感じられること請け合いである。
困難な状況においてこそ、その人の真の人間性が表れるものだ。本書では、さまざまな苦境をパヴァロッティがどのように受けとめ、どのように対処したかが、ティノの視線をとおして誠実に描かれている。マエストロとの日々の会話から、ティノは大切なことを数多く学んだのだと実感できる。
パヴァロッティにつねに寄り添い、誰よりもマエストロの健康を気遣い、そして励まし、亡くなる間際に「君はぼくの息子だ」とまで言われたティノのあたたかいまなざしが、この本に命を吹き込んでいる。
楢林麗子(ならばやし・れいこ)
上智大学外国語学部フランス語学科卒。
「三大テノール」をきっかけにオペラに興味を持つ。イタリア・オペラのビデオやDVDを150本以上鑑賞。これまでに聴いたオペラやコンサートは、ミラノをはじめイタリア各地、ニューヨーク、パリなどの海外公演約30回、国内公演約90回。
好きな言葉は「Never too late(なにごとも遅すぎることはない)」。50歳からイタリア語を学び始め、E.ティノコ『パヴァロッティとぼく』が初の翻訳書となる。
パヴァロッティとぼく
アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々
エドウィン・ティノコ[著]
楢林麗子[訳]
小畑恒夫[日本語版監修]
https://artespublishing.com/shop/books/86559-220-7/
定価:本体2500円[税別]
四六判・上製 | 312頁+カラー口絵16頁
発売日 : 2020年9月28日
ISBN978-4-86559-220-7 C1073
ジャンル : クラシック/オペラ/伝記
ブックデザイン:五味崇宏/カバー写真:Gerald Bruneau
▶『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その2──マンジャーレ、カンターレ、アモーレ、そしてジョカーレ
▶『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その3──パヴァロッティのお墓参り
▶『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その4(最終回)──パヴァロッティのゆかりの地、ペーザロをたずねて