アルテスパブリッシング

“音楽を愛する人のための出版社”アルテスパブリッシングが最新情報やオリジナル記事などを…

アルテスパブリッシング

“音楽を愛する人のための出版社”アルテスパブリッシングが最新情報やオリジナル記事などをお届けしていきます。https://artespublishing.com

マガジン

最近の記事

韓国の読者から寄せられた『図書館には人がいないほういい』の感想をご紹介します

6月に発売した内田樹さんの『図書館には人がいないほういい』の編訳者・朴東燮さんから、韓国で司書の仕事をしてらっしゃる方の感想が送られてきました。韓国版と日本版とでは収録しているテキストが一部異なりますが、図書館や司書を論じたメインのテキストは共通しています。本に収めた推薦文からも分かることですが、この感想文を読むと、図書館が置かれている環境、図書館をめぐる状況や、学校図書館のあり方が日本と韓国とでよく似ていることがうかがい知れます。とくに図書館関係者の方はぜひご一読ください。

    • 特別公開:坂本龍一さんインタビュー「明日の見えない時代に、耳を澄ます」(2011年9月)

      去る3月28日に音楽家の坂本龍一さんが亡くなられました。訃報を目にしたとたんに涙が溢れてきて、それからずっと坂本さんの音楽を聴き、多くの追悼文を読み、テレビ番組や動画を見続けています。 アルテスと坂本さんとのご縁は『三輪眞弘音楽藝術』に推薦のコメントをいただいたときに始まります。その刊行の翌年3月に東日本大震災が起き、同年秋に季刊誌『アルテス』を創刊するにあたって、特集のテーマに「3.11と音楽」を選びました。 応援ソングがあふれ、音楽界でも「絆」が強調される流れに違和感

      • マグナス・ミルズ『鑑識レコード倶楽部』の訳者あとがきを一部公開します

        訳者あとがき  柴田元幸  男たちが集まって、持ち寄ったレコードを順番にかけ、みんなで聴く。細かい変化はあるが、基本的には、それだけの話である。レコードを聴く以外、この男たちが何をしているのか、いっさい何も書いていない。仕事はしているのか。家族はいるのか。不明。  パブが主たる舞台だが(パブの奥の部屋を借りてレコードを聴くのだ)、その描写も大変そっけなく、場所を描くにせよ人物の外見を伝えるにせよ、凝った比喩などはひとつもない。というか、凝っていない比喩さえひとつもない。作家

        • 音楽の力を未明の領域に探る──『音楽の未明からの思考』序論  野澤豊一

          2021年12月22日発売の最新刊『音楽の未明からの思考』の序論を公開します。筆者は編者のひとり、富山大学の野澤豊一さんです。ここで簡潔明快に綴られている本書のコンセプト、成り立ち、16本収めた論考の紹介を読んで興味関心をそそられた方はぜひ書店へお出かけください。(アルテス鈴木)  音楽は私たちの社会でどのように力を持ちうるのだろうか? 本書はこの問いに、「ミュージッキング(musicking=音楽すること)」というキーワードを手がかりに思考する。いかにも手垢のついた「音楽

        韓国の読者から寄せられた『図書館には人がいないほういい』の感想をご紹介します

        マガジン

        • 細川周平「『熱帯の真実』を読む」
          4本
        • 細川周平編著『音と耳から考える』序文
          10本

        記事

          ピアノも音楽も超えたスリリングな芸術論──坂本龍一『commmons schola vol.18 ピアノへの旅』 by 板倉重雄

          今年7月に発売した坂本龍一さんの『ピアノへの旅(コモンズ スコラ vo.18)』は、謎の多い鍵盤楽器成立史を妄想を逞しくしながら辿った前半、制約の多い不自由なピアノという楽器へのアンビヴァレントな思いを語った後半、ともにこれまでにない視点からピアノとその音楽を論じたひじょうに刺激的でユニークな内容になっています。 ぼく自身、この仕事に携わりながら目を開かされた点が多々あり、ピアノという楽器への見方と聴き方がずいぶん変わりました。にもかかわらず、シリーズ第18巻ということもあっ

          ピアノも音楽も超えたスリリングな芸術論──坂本龍一『commmons schola vol.18 ピアノへの旅』 by 板倉重雄

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その3

           第二部「聞こえてくる音」は、ヨーロッパの伝統的な「音楽」観を拡張したひとつの発端であるサウンドスケープ論(マリー・シェーファー『世界の調律』平凡社、一九八六)の最近の展開を四つの章から見渡す。発案者であるカナダの作曲家は、聴かせる目的で人が作り、別の人が意図して聴く〈音楽〉ではなく、人間以外の発音体や、意図せず人が作り、また偶発的に聞く/聞かされる日常的な〈音〉を体系化し、その意味を考え、できればその改善を目指した。彼の思想と活動は音研究に大きな影響を及ぼしてきたし、日本で

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その3

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その4

           第三部「戦前期昭和の音響メディア」は、民族音楽学、トーキー、ラジオの誕生を同時代の関連した出来事と捉え、複製技術のインパクトの大きさについて改めて考える。この時期の音楽や映像メディアの革新についてはさんざん議論されてきたが、ここでは音楽学者の現地録音、音響学者の視聴覚体験、大阪のラジオ番組という切り口から、時空間を超えて音を記録する、再現する、伝達するテクノロジーの初期の利用やイデオロギーについてまとめる。真空管工学とともに、軍政による中央集権化と国粋主義の台頭が全体に共通

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その4

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その5

           第四部「音が作る共同体」は、対面関係の集団や地域で作られ聴かれる音を主題としている。第三部で主題とした複製技術に関わるが、精神病院、温泉地、農村に寄稿者は向かい、その文脈はだいぶ違う。聴き手は概して顔見知り同士で(少なくとも共通の目的でその場にいて)、いろいろなレベルで閉じた空間(病院、観光地、村)を共有している。近くの他人と同時に同じ音源を聴く体験が重要で、それぞれ治療、慰安、連絡の実用に供している。三人の著者は音(楽)が基本に持つコミュニケーション機能について、ふだんと

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その5

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その6

           第五部「芸能化の文脈─ラッパと太鼓」は第四部と反対に、元は空間限定だった民俗的な演技演奏が、共同体を超えていくベクトルを話題にする。具体的には、合図や儀式の実用的な音を、聴衆を意識した公のパフォーマンスに作り替える文脈で、演じる側と聴く側の美的欲求がどう生まれ、かみ合い、芸能として再編成されたのか、という問いである。聞こえていた音が聴く音に変わる際、ある意味がそぎ落とされ別の意味が付け加えられる。宗教性が失われたり、スポーツ性が目立つこともある。メディアと産業を巻き込み、興

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その6

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その7

           第六部「鼓膜の拡張─音響テクノロジーの考古学」以降は、主にテクノロジーを介した音を扱い、まず一九世紀半ばに発明家の間で湧きあがった耳の補助具についての論をここに集める。この分野ではフリードリヒ・キットラーの『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(筑摩書房、一九九九)、ジョナサン・スターンの『聞こえくる過去』(インスクリプト、二〇一五)が画期的で、歴史に残った完成品から見れば失敗のように見えても、発明する側に立てば、同時代の科学と仮説の精髄が込められていると論じた。考古学

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その7

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その8

           第七部「ステレオの時代─聴く、録る、売る」は、日本でレコード盤とオーディオ装置が中産階級の生活に浸透した一九六〇年代から七〇年代に関する三つのモノグラフを集めている。その時代、ステレオはハイファイと並んで、オーディオ世界の輝けるキーワードだった。機械録音から電気録音へという三、四〇年前の転換期と同じく、新しい技術には反対者もいて、録音の音像に関する議論になった。またステレオ録音を可能にしたオープンリール式のテープレコーダーが家庭向けに開発されて、プライベート録音する趣味のサ

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その8

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その9

           第八部「物語世界論への挑戦」は、映画とゲームのふたつの映像の理論で支配的だった物語世界diegesisの概念を根本から問い直す論考を並べている。両者を読み比べると、一九六〇年代の映画記号学が開拓した物語分析のパラダイムが、半世紀ぶりに革新されつつある感を得る。  長門論文は、シュルレアリズム的映画作家として知られるヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』が、映像内の世界、映像とつながる外の世界、映像とは別の世界という映画音楽の基本図式を無視していることを微細なレベルで検証して

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その9

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その10

           第一〇部「デジタル・ミュージッキング」は、コンピュータによる音楽作りについて三人の実践家が経験を語っている。ミュージッキングとは「音楽する」ことに関わるすべての実践を指すクリストファー・スモールの造語で(『ミュージッキング』水声社、二〇一一)、コンピュータはそれまでの楽器や楽譜、合奏の人間関係や場所とは根本的に異なる行為を前提とする。既に半世紀近い歴史を持ち、性能の向上とともに要求される素養も発想も変化してきた。楽器代わりに利用するポップ・ミュージックは最も耳にしやすいが、

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その10

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その2

           第一部「響きを聴く─認識と思索」には、音楽の外へ関心を拡げる音研究の基本姿勢を知るのにふさわしい四論文を集めた。いずれも民族音楽学や民俗学で周辺的な扱いしか受けてこなかった方法論と対象を試している。共通の基盤が『鳥になった少年』(平凡社、一九八八)の著者、音楽人類学者のスティーヴン・フェルドのいう「音識論acoustemology」にあると私は考えている(「音響認識論」という従来の訳語は、造語の面白さを伝えない憾みがある)。物理的な振動が人や動物の鼓膜に伝わり、情報として処

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その2

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その1

          2021年10月25日に発売する細川周平編著『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から、編者による序文を公開します。本の構成に沿って全10部に分けています。本の詳細はアルテスパブリッシングのサイトをご覧ください。 「音故知新 音と耳からの出発」  「おと(音)」の語を辞書で引くと「物の振動によって生じた音波を、聴覚器官が感じとったもの」とある(『デジタル大辞泉』)。物、振動、音波、聴覚器官、この四つの要件が組み合わさって「音」が生まれ感じられる。その音の科学とい

          『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その1

          ミシェル・ルグラン・プレイリスト曲目解説

          ミシェル・ルグランの回想録『ミシェル・ルグラン自伝』(2015)と『君に捧げるメロディ』(2021)の2冊に登場する楽曲を中心に、監修者・濱田髙志が全30曲のプレイリストに選んだ曲目の解説をこちらに用意しました。本の詳細はこちらをどうぞ → https://artespublishing.com/shop/books/86559-237-5/ ◉各曲についての覚え書き  text by 濱田髙志01. A Paris / Michel Legrand and His Orc

          ミシェル・ルグラン・プレイリスト曲目解説