【短期連載】『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その2──マンジャーレ、カンターレ、アモーレ、そしてジョカーレ(楢林麗子)
◉トランプ好きで食いしん坊のマエストロ
イタリア人の国民性を表現するときに、「mangiare, cantare, amore(マンジャーレ、カンターレ、アモーレ=食べること、歌うこと、愛すること)」はよく言われる言葉。パヴァロッティもしかりである。
彼の場合は、これに「giocare(ジョカーレ=トランプをすること)」をつけ加えなければ。
パヴァロッティのトランプ好きは、意外と知られていない。
『パヴァロッティとぼく──アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』の著者ティノがパヴァロッティのチームに加わって間もないころ、マエストロから「ここへきて僕の前に座ってくれ、いまからすごく大事なことを教えよう」と言われて教わるのが、ピノクルというトランプのゲームだった。ブリスコラというゲームも教わった。
幼なじみの友人たちとトランプをして過ごすのが何よりの楽しみで、ツアーやヴァカンスにも「ブリスコラ・チーム」と呼ぶトランプ仲間を招待していた。「マエストロの大きな手に隠れてしまいそうな」トランプをいつもポケットに忍ばせ、移動中の機内でもホテルでもコンサートの楽屋でもゲームに興じた。舞台を終えたあとに延々とトランプをするのは、役柄から抜け出るためでもあったという。
モデナのパヴァロッティの自宅「カーザ・ロッサ」は現在博物館として公開されているが、リビングの真ん中には、いまも愛用のポーカー・テーブルが置かれている。
▲写真:カーザ・ロッサのリビングルーム。パヴァロッティは生前、左手前のショーケースの置かれたテーブルでトランプに興じた。筆者撮影
マンジャーレ(食べること)も大好きなパヴァロッティ、じつは人が食べるのを見るのがもっと好きだったという。ペーザロの別荘には、友人からVIPまでさまざまな訪問客がやってくるのだが、まず初めに必ず「ごはんは食べたか?」と聞かれる。誰かがまだだと言うと、たちまちいろいろな料理が出てくるのだった。
ツアーのさいはホテルのスイートルームにキッチンを備えさせ、大きなクーラーボックスに食材を入れて持ち運び、自分で料理もする。スタッフといっしょに食べるためだ。本書には1997年、MET来日公演のさいの、帝国ホテルでの愉快なエピソードが紹介されている。
入院中の病室にもキッチンが設置され、さすがに病人なのでこういうときはティノがパスタを作って、ドクターや見舞客にもふるまった。もちろんマエストロも食べた。そんなわけでパヴァロッティは、ダイエットとは一生戦うことになる。
METの芸術監督ジェイムズ・レヴァインへのお土産は、イタリアのサラミとモルタデッラ(ソーセージ)とパルミジャーノ・チーズ2キロだったという。ティノいわく、「マエストロはイタリアならではの食料品をプレゼントすることが自分らしくて、必ず喜んでもらえると信じていた」。レヴァインが大喜びしたことはいうまでもない。
◉馬を愛したパヴァロッティ
パヴァロッティは馬好きでも知られる。いや、好きというレベルを超えている。馬術競技の国際大会を主催してしまうほどなのだ。それもオリンピックの出場資格に認められるような公式の大会を、である。公式の国際大会は、1国にひとつと決められており、イタリアにはすでにほかの国際大会があったので、サン・マリノというペーザロに近いリミニにある小さな独立国の大会ということにして、1991年9月に故郷モデナでの開催にこぎつける。大会は1992年に始まった「パヴァロッティ&フレンズ」のコンサートの時期に合わせて開催され、モデナの街にはミッキーマウスが練り歩き、街をあげてのお祭り騒ぎとなった。
パヴァロッティ自身も機会があるとあの巨体で馬に乗るのだが、「僕は初めて乗った馬のことを覚えていないが、馬はぼくのことを覚えていると思うよ」と言ってはみんなを笑わせるのだった。
「パヴァロッティ&フレンズや馬術競技大会を開催することで、私が博物館の置物でもなく、歴史的遺物でもなく、塔の上で孤高に暮らしているわけでもないとわかってもらいたいんだ。スポーツやおいしいものや女性が好きで、たまたまオペラへの情熱も同時に持っている人間だということを示したいんだ」とパヴァロッティは繰り返し言っていた。
パヴァロッティの持っていたレストラン「エウローパ‘92」には、いまも馬とパヴァロッティの写真がたくさん飾られている。
◉マエストロは好奇心いっぱい
ティノが初めて会った日のこと、「マエストロはペルーについて話はじめたが、ぼくはその知識の深さに驚いた。(中略)インカ文明にはとても惹かれ、ペルーは素晴らしい国だと言った」。
ブラジルでのリハーサルの帰り道、パヴァロッティは「世界の七不思議」と自分で定義した場所を、自ら説明しながら案内してくれたという。
「マエストロはレゲエにも詳しかった。ジャマイカで、マエストロとぼくはナインマイルズにあるボブ・マーリーの生家と墓を訪問した。マーリーが座って瞑想していたという石を指さして教えてくれたりした」
パヴァロッティの意外な特技は、モーターボートの操縦である。
「マエストロは海が好きで、ぼくに水上スキーやサーフィンやジェットスキーを教えてくれた。自分でボートを操縦しながら引っ張り、ぼくたちを海に飛び込ませて、大笑いして楽しんでいた」
本書を読むと、好奇心にあふれ、何にでも挑戦する生き生きとしたパヴァロッティの人柄に驚かされる。
◉直々にオペラの手ほどき
「リッカルドの役はね、ぼくにとても向いていて、すごく合っていると感じるんだ。『生涯で歌いたいオペラをひとつだけ選べ』といわれたら、まちがいなく『仮面舞踏会』を選ぶね」とパヴァロッティはティノに打ち明けている。
夜トランプをしながら、パヴァロッティがヴェルディの『仮面舞踏会』のストーリーや人物像を熱っぽく語り、オペラに詳しくないティノにもわかりやすく解説するという場面がある。
なんとうらやましい場面だろう! 私もその解説を聞いてみたかった!!
楢林麗子(ならばやし・れいこ)
上智大学外国語学部フランス語学科卒。
「三大テノール」をきっかけにオペラに興味を持つ。イタリア・オペラのビデオやDVDを150本以上鑑賞。これまでに聴いたオペラやコンサートは、ミラノをはじめイタリア各地、ニューヨーク、パリなどの海外公演約30回、国内公演約90回。
好きな言葉は「Never too late(なにごとも遅すぎることはない)」。50歳からイタリア語を学び始め、E.ティノコ『パヴァロッティとぼく』が初の翻訳書となる。
パヴァロッティとぼく
アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々
エドウィン・ティノコ[著]
楢林麗子[訳]
小畑恒夫[日本語版監修]
https://artespublishing.com/shop/books/86559-220-7/
定価:本体2500円[税別]
四六判・上製 | 312頁+カラー口絵16頁
発売日 : 2020年9月28日
ISBN978-4-86559-220-7 C1073
ジャンル : クラシック/オペラ/伝記
ブックデザイン:五味崇宏/カバー写真:Gerald Bruneau
◀『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その1──映画は真実を描いている?!
▶『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その3──パヴァロッティのお墓参り
▶『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その4(最終回)──パヴァロッティのゆかりの地、ペーザロをたずねて