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Paris 私的回想録-4区

アンドレと出会ったのは、今となれば名前も覚えていないけれど、サンポール駅から少し歩いたところにあるマレ地区の屋根裏部屋みたいなバーだった。
友人の誘いで顔を出していた、お互いのドレスを褒め合うだけのつまらないパーティを抜け出し、行く当てもなく夜道を散歩している時にたまたまそのバーを見つけた。他に行くあてもなかったし、せっかくの土曜日の夜で早い時間でそのまま帰る気にもならなかったのだ。

入り口の扉を開けるとすぐに上階へと続く古びた階段が現れた。誘われるようにして上に上ると、また今度は大きな扉が出現する。扉の外へ中の重低音に響く音楽と人のざわめきが漏れている。扉をおそるおそる開けて中に入った。薄暗くてよく見えなかったが、天井の低い店内にはエンジ色の低いソファーがところ狭しに並んでいた。店内を音で埋め尽くすように音楽が鳴り響き、客同士が顔を近づけて話していた。そのエンジのソファーのひとつに腰を降ろす。誰かが注文したあとそのまま忘れていってしまったのか、店員がグラスに入ったシャンパンをわたしの目の前に何も言わずに置いたのでそれを一口飲んだ。二口目を飲もうとシャンパングラスを口元に移動した時、隣に長身の若い男がどさりと勢いよく座り、彼のひじがわたしの手にぶつかった。幸いグラスは手に残っていたが、中身のシャンパンがわたしの服にかかった。
「パードン、マダム!」
申し訳なさそうに目をふせた彼は、長身でやせ細った体に白いスパンコールのドレスを着ている。

「気にしないで。すぐ乾くよ。あなたのドレスにかかってなかったらいいけど。そのドレス素敵ね。」
「そう思う?Merci. でも君のワンピースも素敵だと思うよ。そのシャンパンの染みでさえもね。」
「さっき居たパーティで山ほどドレスを見て来たけど、あなたのドレスが今日一番と思うわ。」
「Merci! ねえ、じゃあさ、交換しない?今」

アンドレとふたりしてバーの階段の途中でくすくすと笑いながらお互いの服を交換して、着替えた。
背中が開いたわたしのワンピースは、彼のやせて浮き上がった背骨を浮き立たせた。

「この君のワンピース、悪いけど僕の方が似合うんじゃない?」
彼はわたしの背中のジップを上げるのを手伝いながら、憎まれ口をたたいた。

その夜からわたしとアンドレは時々会うようになり、レストランで食事をしながら、洋服の話やらお互いの彼氏の話をしたり、お互いに皮肉を言い合ったりしする相手になった。彼は時々ナイトクラブでドラッグクイーンとしてショーに出ていたが、昼間は何をしているのかよくは知らなかった。

そして、わたしの仕事が変わり少し忙しくなったことをきっかけに、少しずつアンドレと合う時間が少なくなっていた。

久しぶりにアンドレから電話に着信があった。近況や新しい恋人ができたことを彼に報告する。
「おめでとう。でも君、男については飽き性だもんね。」
「今度は長く続くと思うのよ。」
「さあ、どうだかね。ところでさ、最近また眠れないんだよね、強い薬を飲まないといけなくなってさ。最近、記憶がよく無くなるんだ。」
「大丈夫なの?彼氏とは続いてるの?」
「そんなに悪くないと思うけど、記憶がなくなるのは少し怖い、不安だよ。でもさ、ほら、薬のおかげで不安定さが抑えられるからね。そのおかげで彼氏とはまあまあうまくいってるよ。」
そういつものように彼は皮肉をいった。

「そっか。じゃあ彼氏のことは忘れても、わたしのこと忘れてたりしないでね。」
「OK!大丈夫、またね。」

そしてその後、わたしは仕事と恋人との生活で忙しく、またアンドレと連絡をとらない日々が続いた。何ヶ月か経ってふと彼のことを思い出し、久しぶりに近況を知りたくなって彼の携帯へ電話した。けれど、彼の電話番号は解約されてしまったのか、電話先からは番号は現在使われていないとの機械的なアナウンスが流れていた。

アンドレと連絡がとれず、1年ほど経っただろうか。わたしは仕事関係のパーティに参加していた。壁にもたれながら配られたシャンパンを一口のみ、グラスから顔を上げた瞬間、人ごみの中に長身のアンドレを見つけた。わたしはすぐに人ごみをかきわけ彼の元へかけよった。

彼は上下黒のコスチュームを来ていたので、そのせいだろうか、前に会ったときよりも一層痩せているように思えた。

彼に声をかけようとした瞬間、アンドレの隣にいた彼の知人と思われる女性が酔っ払っているのか彼の肩によろけかかり、彼の手のシャンパンがわたしのジャケットにかかった。
「パードン, マダム!すみません!」
「大丈夫よ、それより久しぶりよね!わたしにマダムなんて言ってさ、もしかして本当に忘れられたかしら?」
「...ごめんなさい...マダム、人違いでは?とにかくごめんなさい、クリーニング代を出します。」
「アンドレ?まさか本当にわたしのこと忘れたの?」
「...どこかでお会いしましたか?ごめんなさい。僕はあなたのことを知らないようです。物覚えが悪いから...」

アンドレ、早くおかわりもらいに行こうよと、シャンパンをこぼしたくだんの女性がアンドレを引っ張るようにしてバーの方へ即した。

いいの、わたしの人違いでした、とだけ言い残し、わたしは彼に背を向け、そのパーティを抜け出した。

彼との記憶が走馬灯のように蘇り、あれはすべて夢の中の出来事だったんだと自分に言い聞かせながら行く当てもなく目の前にあったメトロの階段を降りた。

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