エドワード6世 Edward VI が即位 (1547年1月28日)
エドワード6世 Edward VI (1537年10月12日 - 1553年7月6日 [在位 1547年1月28日-1553年7月6日] イングランド国王 ) が即位 (1547年)
あのヘンリー8世の後、どんな王が治めたかに関心が行きます。
「短期政権」が続いた形になってますね。
エドワード6世はヘンリー8世の息子で、父亡き後9歳で王位にまつり上げられましたが、15歳で亡くなっています。
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宗教的にはエドワード6世は、
父ヘンリー8世が
( 自分の離婚を可能とするためにカトリックから独立して [つまり、プロテスタントに分類される] )
創設した英国国教会の信徒でした。
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しかしエドワード6世の夭折後、彼の指名で一旦国王と認められたプロテスタントでヘンリー8世の妹の孫ジェーン・グレイが僅か数日で
エドワード6世の異母姉メアリーの勢力に王位を追われ拘束、7ヶ月後の2月12日に16歳で処刑されます (「九日間の女王」Nine-Day Queen と呼ばれる) 。
ドラローシュの出世作となった絵画「レディ・ジェーン・グレイの処刑」を
ロンドン留学中に見た夏目漱石は、その強い印象をモチーフとして
「倫敦塔」を書いています。
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エドワード6世とは母違いで20歳以上も離れた姉メアリー1世が王位を継ぐと、
スペインの王族であった母の影響で熱心なカトリック信者の彼女は
カトリックに国教を戻し、
「血のメアリー (Bloody Mary)」と呼ばれるほどプロテスタントを弾圧して
赤いカクテルに、その異名を残しました [※1]。
5年間のメアリー1世の王権が病没で終わった日は
「圧政からの解放の日」として祝われ続けたそうです。
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メアリー1世の異母妹がエリザベス1世として王位につくと、国教は英国国教会へと戻り、
エリザベス1世の治世は40年強も続きます。
註 ※1
紅茶の「レディグレイ」は「レディ・ジェーン・グレイ」を偲んでの命名かと考えてしまいますが、「レディ・ジェーン・グレイ」とは全く別の由来とのこと。
なにか異説もある気もするのですが、考えすぎでしょうか。
(11日12日更新)