長髄彦本拠・鳥見白庭山石碑 Photograph

画像1 「長髄彦 (ながすねひこ) 本拠」石標。 長髄彦の妹の登美夜毘売(トミヤヒメ)または三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)は、大和の白庭山を治める (「天磐船に乗り」天から降りたと考えられた ) 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の妻とのこと。 長髄彦は神武天皇より前の大和の指導者の一人で神武天皇に攻め込まれて討たれたと言われます。「古事記」では特にその戦いは描かれず、主君の邇芸速日命が神武天皇に服属したという風に書かれています。「日本書紀」では長髄彦は抵抗を続けたため饒速日命に討たれたと。
画像2 「鳥見白庭山」石標。「長髄彦本拠」石標の近く。郷土史家に「神武天皇の前の天皇の」住居と呼ばれています。神武が攻めた相手にも「天からの」性質を記しているのは、後の壬申の乱での近江朝の反映と考えられます。生駒市出身の作家森見登美彦さんの名 (ペンネーム) は「古事記」の登美長髄彦 (登美能那賀須泥毘古 [トミノナガスネヒコ]、登美毘古 [トミビコ] ) に由来するとのこと。また、長髄彦は映画「もののけ姫」の主人公アシタカヒコのモデルの一人と言われてます。/ 記事写真2016年8月撮影 / 28日記事公開

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