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File.07 高津秀太郎さん(絵画)インタビュー
22歳のときに突然画家をめざし、独学で絵画を始めたという高津秀太郎さん。
ご自身の絵画を展示する「高津秀太郎美術館」を訪問し、自信と情熱にあふれるバイタリティーの塊のような高津さんにお話をお伺いしました。
―― 活動をはじめられたのは今から10年前、高津さんが22歳のときと伺いました。
そうです。それまではホテルマンをしていました。その職業自体は憧れをもっていて、ホテルマンになるための専門学校を卒業して、就職しました。ただ、働いているときに、定年までこの仕事を勤めるのかと、疑問に思うようになりました。自分にしかできないことをこの世に残したいと思うようになったんです。当時は一人暮らしをしていて、暇なときに落書きをしていました。「これだ!!」と思ったんです。これまで美術館等に通ったりはしていませんでしたし、何故そう思ったかはわかりません。ただ、絵は自分にしかできない、この世に残せるものだと直感しました。それでホテルマンを退職しました。私は油絵を描いているのですが、それも「世に残る=歴史に残る、歴史に残るのは油絵だ!」と思ったことがきっかけです。もちろん描き方は知らなかったので、画材屋さんに行って、油絵の描き方から必要な道具にいたるまで、店員の方に教えていただくところからのスタートでした。
―― 美術の学校に通われた経験はないそうですが、絵を描くこと自体はお好きだったんですか?
美術にはあまり興味がありませんでした。ホテルマンの専門学校生のときに、修学旅行でフランスに行き、ルーブル美術館を見学したのですが、そのときも全然興味がなかったです。
しかし、小学生のときから美術の授業は好きでした。ただし、自由に描くことが好きだったので、テーマを決められるとつまらなくなるんです(笑)。描くと言っても、教科書の落書き程度でしたが。
ですから、自分でも絵描きの道に進むなんて驚いていますし、全く想像していませんでした。
―― ご自身でも予想外の道に進まれたようですが、ご家族の反応はいかがでしたか?
自分の中では、家族に話す前に絵描きになることを決めて、仕事もやめてしまったのですが、特に反対されるようなことはありませんでした。実は絵を描き始めるときに、3か月後には個展をやることを決めていたんです。その個展に家族は見に来てくれたのですが、驚かれましたね。「こういう絵を描くのか」と。両親に反対されなかったのはありがたいことでした。
―― 初めての個展を、絵をはじめて3か月後に開催したんですか!
早く世に見てもらいたかったんです。絵を描き始めるときに、取り合えず3か月後の場所だけ予約して。予約した時点で、絵は1作品も描けていませんでした。そこから急いで10作品描きました。美術館には、その頃(2012年)に描いた作品も展示しています。
初めての個展のときは、額縁はレンタルでした。北海道の業者からレンタルしたのですが、一度作品を北海道に郵送して、額装して返送していただいて展示しました。その時間も含めて3か月だったので、日程はタイトでしたね。
―― 額縁はレンタルもあるんですね。
私もそのときはじめて知りました(笑)。ちなみに今はレンタルではありませんよ。
―― その後も定期的に個展を開催されたようですが、フランスでの展覧会の話を聞かせてください。
フランスではグループ展への出展と個展を行いました。どちらも自分から連絡して、参加させていただきました。グループ展は私を含めて6名ほどの画家が参加しました。個展はレストランで開かせていただいたのですが、自分でメールして、飾らせてくださいとお願いしたらご快諾いただけました。グループ展には日本人スタッフがおり、個展を開かせていただいたレストランもシェフが日本の方だったので、フランス語ができなくても大丈夫でした(笑)
―― 絵をはじめられて僅かな期間で、パリで展覧会を開くなんて、私たちには信じられません。
私自身、絵描きになる前からもともとパリは好きだったんです。なので、絵描きになったときからパリで自分の絵を展示したいと思っていたんです。
―― 絵を描く際に大切にしていることは?
自由にやっているのであまりないです。小学生が好きに描くような感じですかね。最初は鉛筆でデッサンして、その中から自分がこの世に残したいもの、納得したものを選んで、キャンパスに写して作品として仕上げていきます。最初鉛筆で描くときは頭の中に何もないんですよね。描いているうちに絵ができあがっていく感じです。最初に描き始めるのはだいたい目ですね。人物を描くときは目から描いて、そこから自由に描いていきます。題名は最後につけます。どのような絵になるか、自分でも分からないです。紙の上で絵ができていくんです。最初からイメージが頭に浮かんでいるというわけではありません。たまに、イメージが浮かんでくることもあるんですが、描くと全然だめなんですよ。無心で描くって感じですね。
描くイメージやモチーフは流行に縛られないようにしています。自分が良いと思った絵を作品として残すことを意識しています。あと、時間にも縛られないようにしています。私の場合、1枚の絵を描くのにかかる時間は、絵によってだいぶ違うのですが、早いものだと色つけで1日、遅いものだと2年かかるものもあります。自分が納得するまで、しっかり仕上げたいので、たとえご依頼いただいて描く絵に関しても、納期は定めないようお願いしています。
―― 目から描き始めるんですね。
私の場合は人物をイメージした絵を中心に描いてきましたので。人を描くときは目から描きます。ただ、これからは人物以外のイメージも描いていきたいと考えています。お花畑とか、風景などのイメージを描いていくのもいいかなと思ってます。柄っぽい絵も一つ描いたんですよね。一つ描いてみて、全部描いてみようかなと思って描いたらできたので。これからは、敢えて目を描かずに。新しい画風に挑戦していきたいです。
―― 高津さんは、ご自身の作品はもとより、描いている姿そのものを写真や動画にしてSNS等に発信しています。
YouTubeに動画をあげたりもしているんですが、静止画の絵だけでなく、絵を描いている姿を動画で配信しても面白いのではないかと思っています。実際、絵を描く姿を動画で見ることができて、楽しいと言ってくださる方もいます。これからもどんどん発信していきますので、フォロワーさんが増えてくれれば嬉しいです。
―― 高津秀太郎美術館開設のきっかけと、美術館の未来について教えてください。
故郷である小布施町の洋菓子店さんで、私の絵を飾っていただいているのですが、その絵を美術館の土地と建物を所有しているご夫婦がご覧になって、一目ぼれしていただいて、お電話をいただいたことがきっかけでした。私自身が、精力的に活動して、多くの方に美術館にご来館いただくことが目標です。絵はもちろんですが、美術館からの景色もとても美しいので、それを楽しんでいただければ嬉しいです。
―― 蔵を改修した美術館は、建物もとても素敵ですね。
建物の改修は、所有者のご夫婦が負担してくださいました。建物改修以外に、クラウドファンディングも活用しました。宣伝もかねての活動でしたが、2、3カ月必死でした。小布施町や須坂市の方を中心に賛同を得ることができて、幸いにも目標を達成することができました。この美術館は、所有者のご夫婦をはじめとした、地域の皆さんに支えられて開設することができました。そんな美術館が、地域の方の誇れる存在になれば良いなと思います。
―― この美術館以外に、善光寺の参道にギャラリーもお持ちとお聞きしました。
善光寺のギャラリーは、不定期でオープンしています。私が開けて、来客の対応も自分でしています。そのため、なかなかオープンできていないことが悩みです。せっかく良い場所にあるので、もっとオープンする日を増やしたいのですが。
―― 長野県で活動される理由はあるんですか?
最初は東京で描いてたんですけど、東京にいる意味がないなと思いました。それで、故郷の小布施に戻って、そこを拠点としながら海外でもやっていけばいいのかなと思うようになり、帰ってきました。
―― 小布施というと高井鴻山やいろいろな美術家がゆかりがあるので、けっこう文化的には豊かな土地ですね。
あまり考えたことはなかったですが、小布施だったら北斎と言われるように、いつかは小布施と言えば高津と言われたいですよね。生きている間にそう言っていただけることを目指してます。画家の場合、亡くなった後に評価される印象がありますが、それじゃあ、いやですよね。生きている間に実感したいです。
―― nextに登録したきっかけは。
インターネットでnextの取組みを知って、自分から連絡させていただきました。
―― nextに期待していることは。
音楽家の方等に、私の美術館やギャラリーで演奏していただきたいなと思います。銀座NAGANOでも、自分の絵を見ながら演奏していただいたんですけれども、またそういうことをしたいです。長野県に縁がある音楽家さんが多いことをnextで知りましたので、分野を問わず、多くのアーティストの方と交流したいです。
―― 絵の世界だけでなく、いろんなものとコラボしようとしているんですね。
音楽以外に、ファッションも興味をもっています。自分の描いた絵が洋服になってパリコレで歩いてほしいとか思ってますけどね。そういうことでモデルが歩いてたら、アヴァンギャルド的になりそうな気がしてワクワクします。
―― m&co.さんとコラボしていましたが、きっかけを教えてください。
自分の知り合いがm&co.さんとコラボして作るのもいいのではと提案をいただき連絡させていただきました。現在販売中ですので手に取っていただけたら嬉しいです。
―― m&co.さんとのコラボは、絵画作品というよりもプロダクトデザインに近いと思うのですが、ご自身で手掛けるときに、絵画作品とプロダクトデザインで差はありますか?
差はありません。作品と同じで、時間をかけてでも納得したものを出したいという思いです。妥協はしません。
―― 今後、直近で予定している活動について教えてください。
今年は善光寺の御開帳があります。いま進めている作品があって、それをご開帳のときにギャラリーで展示したいと思っています。「鬼女」という鬼の作品で、パンフレットの表紙となっているのと対の絵をいま進めているので、それをご開帳までに完成させたいと考えています。
―― 最後に、高津さんは20代の10年間をいろんなところでたくさん活動されてきました。その20代を踏まえて、今後の30代の10年間をどのように活動されていきますか?
画家を志した当初から、「生きている間に世界に名を遺す画家」になることを目標としています。ただひたすらに、その目標に邁進していきます。それを達成するべく、30代も活動していきます。初心というか、それを大切に、忘れることなく生きていきたいなと思っております。
―― 今日は素晴らしいお話をありがとうございました。高津さんの情熱に胸が打たれました。
絵に目覚めたときから自信と情熱がありました。私には技術はありません。その分、自信と情熱をもってこれからも活動していきます。
高津秀太郎
1990年12月1日生まれ。
2012年より創作活動を始め、平面画で油彩、抽象画を描く。
現在、故郷小布施町で創作を続ける。
美術学校に一切通ったことがない。
2016年11月 長野県須坂市に「髙津秀太郎美術館」開館
(取材:「信州art walk repo」取材部 倉島和可奈、藤澤智徳、村井大海)