File.17 棟居淳さん(ギター、マンドリン、ウクレレ)インタビュー
――きょうの演奏会では小さいお子さんたちを前にどうでしたか?
鈴を一緒に鳴らして楽しんでくれたり、静かになるとちょっと遊びにいっちゃうところとかも含めて、素直な反応があって嬉しいですよね。演奏中は自分自身もずっと笑顔でした。
普段は大人向けの演奏をすることのほうが多いので合間に曲の説明をしていますが、
お子さんは目の前で起こっていることに対して反応するので、態度や表情でみせながら、できるだけ間をあけずに演奏しました。
――現在の活動内容について教えてください。
ギター・ウクレレ・マンドリンなど、音楽指導をしながら求められれば演奏するスタイルで活動しています。
たとえばホテルでの演奏や、長野県外にあるマンドリン団体のエキストラとして参加してみたり、福祉施設から依頼があってクリスマスコンサートもやりました。
あと他のマンドリン奏者の方と一緒にホールを取って年に1回程度のコンサート活動もしています。
それ以外にも演劇の中の劇中歌を作曲したり、たまに葡萄(信州アーツカウンシル主催事業NAGANO ORGANIC AIR にて長野市R-DEPOTがホストで実施していたアーティストインレジデンス結成されたバンド)も遊び感覚で楽しく交流しながら活動しています。あとはアマチュアバンドではありますが、エレキベースも演奏していますね。
――幅広く活動している中で、音楽活動を始めた頃から変わらずに大事にしてることはありますか?
上手に演奏したい!ってことよりも、音楽を通じて色々な人とコミュニケートできることじゃないですかね。
だから最終的に音楽じゃなくてもいいのかも知れないです(笑)皆さんと楽しく、良い時間を過ごせるならば何でもいいのかもしれません。
押し付ける感じになるのも嫌なんですが、笑顔でいると相手も笑顔になってくれたり、相手がとっつきにくい感じになってる時は自分もそういう顔してたりするんだなってことがだんだん分かってきて、それならこっちがどんな時もいい感じでいると周りも本当に良くなっていきますね。
こういった経験も踏まえて「笑顔最強説」と言っています。
何か大変なことがあっても笑ってると絶対うまくいくことがここまで生きてくると分かってきちゃった。
だからミスがあっても「大丈夫だから」って口癖になってます。絶対うまくいくに決まってるし、例えうまくいかなかったとしても、それを元にまた次に歩んでいけるので、失敗は1つもないですね。
最初は笑顔でいようって頑張っていたんですけど、長年繰り返しやっていると練習じゃないですけど板についてしまいましたね。そういうのをすごく大事にしてますね。
――音楽指導での生徒さんとのやりとりの中で影響はありますか?
最初は知識や技術が人よりも上だろうと思っちゃったのと収入を得たかったから始めたんですけど、生徒さんの立場でも僕の知らない音楽の知識をいっぱい持っているってことが分かって、だんだん自分がいかに狭いかって分かてきたんですね。
なので指導の基本スタイルとしては、生徒さんがやりたいものを演奏してもらうようにしています。本人が望むもので生き生きしててもらえれば、お互いの喜びになるので1番いいですね。
――長野県外出身の棟居さんはなぜ長野県で活動しているんですか?
最初は大学進学を機に来たんです。
そもそも信州ってどこにあるかすら知らない状態で受験をして合格しました。
第一志望ではなかったんですが周りから「よくやったすごいね、信州はいいところだよー!」って言われたので決めました。
そこからたまたま人に恵まれて、大学時代から演奏をし始めて、その時に今も一緒にやってる方と出会い、その方から「あそこで演奏あるから一緒にやろう」ってだんだん頼まれるようになり、教室活動も「先生を求めてるからやらない?」って言われたから始めて。縁が繋いでくれただけなので、“長野県だから”ってことでなく人の縁っていうことでしょうかね。
――nextに入るきっかけは?
今は不定期になっちゃったんですけど、以前松本市音楽文化ホールで毎年1回コンサートをしていたんです。ある時、ホールの方から「nextに紹介しようか?」って言ってもらったのがきっかけでした。これもまたご縁ですね。
――アーティストの立場からnextに期待することは何ですか?
もっと若い方を取り上げてもいいんじゃないですか?
きちんと学校も出て優れた方がたくさんいらっしゃるので一般的なクラシックコンサートをやることに慣れていますし、より質の高い音楽を提供できる人材がまだまだ眠っていると思います。
コロナ禍の影響で活動が減ってしまった音楽家は多いですけど、特に若い人はそういう機会を待っているんじゃないですかね。
僕みたいに「自分を作ってくれる場」を提供してあげられたらいいのかな?
――長年の活動経験を経て次世代に対する想いが出てきてる?
そうですよ!私はもういいんじゃないですか(笑)
自分が若かった時のことを思うと、やっぱり収入をどうやって得ようかっていうことを考えていたんですね。
最初は暮らしていくための収入が細かったのでお金が大事でした。
でも90歳くらいの義理の祖父に
「淳さんね、お金はどんどん使え、年取ったら使えなくなるから」って言われたんです。
その時はよくわからなかったけど、年齢を重ねて長くやっていれば信用がある程度拡大して安定して、ああこういう感じなのかなって最近ようやく分かってきて。
お金が潤沢にあるわけじゃないですけど、やってれば大丈夫だっていう感覚は出てきてるんで、やはり若い人はお金で大変な面があるでしょうから、そういう機会をもっと持ってもらえばいいのかなと思います。それは長野県だけじゃなく全世界のためにもいいんじゃないですかね。
――目指すところは?
生徒には「最終的な目標は世界平和」と言っていますし、やっぱり世界平和じゃないですか?
こういうこと言うとセミナーとか公演会をやりたいの?って誤解されるんですけどそうじゃなくて、
なんとなくふわふわやってる、ずっと笑ってる人みたいな感じでいたいなと思ってます。
目指すところはみんなが“いい感じ”になるっていうことです。
それを世界平和って言っちゃうと大きな話になっちゃいますけど、少なくとも自分に関わってる人たちがいい感じでいるっていうことですかね。
それが音楽じゃなくても、いい感じになればもうそれだけで十分だと思ってます。
(取材:「信州art walk repo」取材部 町田弘行・水科汐華・日野麻由美・伊藤羊子・佐久間圭子)