File.11 漆原さくらさん(絵画)インタビュー
――現在はどのような活動をされていますか。
現在は、地元辰野町に小さなアトリエを設けて、そちらで制作活動をしています。基本的には自分の自主制作と、あとは「こういった絵や冊子を作ってほしい」というようなご依頼をいただいたお仕事をやっているような状況です。
――「食」をテーマに制作活動をされている漆原さんですが、食に興味を持たれたきっかけは何でしょうか。
きっかけらしい「これです」っていうものはあまりなくて、色々なきっかけが重なって「食」を描きはじめました。その中でも一番大きかったのは、大学生になって食生活を自分で切り盛りできるようになったことです。それまでは母に料理を作ってもらっていましたし、予備校時代は食事付きの寮生活をしていたので、仕送りでもらったお金の中でやりくりして食材を選んだり、料理をするようになったときに、すごくそれが楽しいと感じたんです。ちょうどそれが大学に入って「何を描いていこうかな」と悩んでいたタイミングでした。「食」をモチーフとして日本画を描いている人は今まであまりいなかったので、「好きだけれど、日本画で描くものじゃないな」と諦めていたんです。けれど今回飾らせていただいている『スイカを食べる自画像』を課題で描いたときに、教授先生に「すごくスイカが美味しそうだね」と言っていただけて。プロの作家として活動している先生にそういうふうに言っていただけたということが自信になって、伝統などにとらわれず「美味しそう」とか「好き」っていう「自分の気持ちをそのまま描いてみよう」と思ったことが一番わかりやすいきっかけです。
――制作されたものを拝見するなかで、「地に足暮らし」というワードがとても特徴的でした。詳しくお聞きしても良いでしょうか。
元々こちらに来るまでは、東京都府中市で地場野菜の八百屋ベンチャー企業の一員として働いていました。地元の農家さんのもとへ直接集荷に行き、そのときにその土地で採れるものを地元の方に向けて販売するという少し変わった八百屋で、地元の方々と密なコミュニケーションを取り、新鮮な地場野菜に触れるのは本当に楽しく、やりがいがありました。ただ、自然の産物である野菜に「これはいくらだ」って自分で値段をつけてお客さんの提案していくのですが、やはり全てが売れるわけではないんですね。自分なりに値付けをしたものが売れれば嬉しいけれど、余って腐ってしまい、捨てなければいけないときはほんとうに悲しかった。安くすればみんな売れるけれど、わたしたちが生きるため(八百屋を継続していくため)の売り上げは無くなる。ならば自信をもった価格をつけて、その野菜の魅力を伝え販売したらどうか。でも野菜は売れ残るし、魅力を伝えるのにも、本当の自然の姿を伝えるのにも手間がかかり、試行錯誤の日々は続きました。
野菜たちは「いくらで売れるか売れないか」は関係なく、自由奔放で堂々としているのに対し、私は、いつ八百屋として食べられなくなるか不安でいっぱいでした。食べ物(野菜)に囲まれて仕事をしているのに……。会社が拡大するにつれ、今まで1店舗だったお店がさまざまな場所に展開し、一日中車に乗って各所を回り野菜を売るようになり、扱う野菜の量が増えると同時に売れ残り捨てる野菜の量も増え、だんだんと、どこか地に足着いていない自分自身の生き方にもどかしさを感じるようになりました。
そんな生活の中で、野菜を育てたりとか、自分で自分の食べるものを作りたい。もっと地面に近いところで生きてみたいと思って。「これからは地に足ついた暮らしをするぞ」と思って独立をしました。定期的に制作している冊子作品のタイトルもリニューアルしたいということで、あまり悩むこともなくスッと出てきたのが『チニアシ』というタイトルでした。アトリエ横の小さな畑で野菜を育てたりとか、地域のすごくお料理がお上手な方にお醤油の仕込み方を教わって醤油を仕込んだりとか、ほんとに制作活動の傍らでできる範囲で、自分で自分の食べるものを作る暮らしを目指しながら活動をしています。
――実際に「地に足暮らし」を始めてみて、苦労されたエピソードがあればお聞きしたいです。
苦労した、というよりは今も苦労していることですが、独立して長野に来たときは「いっぱい種を蒔いて全部一からやってやるぞ」とか「鶏を飼って卵をいただこう」と考えていました。けれど、やはりなんだかんだ言って作品を売ったり、ご依頼をいただいて絵を描き、お金をいただくって大事だなと辞めてみて実感しました。結局絵を描く時間が必要になってくると「あー、全然畑見れてないな」とか、思っていた以上に自給自足をしながら制作をすることの大変さを感じているところです。やはり「全て自分でやろう」「自給自足をして何とか生きよう」じゃなくて「自分は絵を描くことができるから、こういった暮らしを人に伝える役割を担うところをやるべきなのかな」って。今まで納豆を作っていたんですけれど、「納豆は買うことにして、絵を描く時間を大切にしようかな」とか、バランスをとりながらやっています。
――特に自然相手だと難しいこともありそうですね。
そうですね。何も経験がない自分がいきなり始めて自給自足ができるわけがないんですけど(笑)やってみてわかるというか、しみじみ感じていますね。
――作品を拝見した印象として、自分の表現として描いているよりも「自然と人間を近づけていく」ということのツールとしての役割が大きいように思います。
そうですね、自分の場合は「心の内側からこみ上げてくるものを描きだす」というよりは、「誰かに伝えたい」「誰かに笑ってほしい」「見てくれたらどんな反応をするかな」とか、人とのコミュニケーションのツールとして制作している感覚が強いのかな、と。
すごく意識をして描いているわけではないんですが、八百屋を経験してからは、「食べ物を通して人は自然と繋がっている」ということをそれとなく伝えたいと考えるようになりました。
今はどこにいても、いつでも何でも手に入る時代。お金があれば何でも買えて、食いっぱぐれることはない。そんな時代にあって、面倒だからと自然を排除しようとするのではなくて、「本当は食べ物って肉も魚も野菜も全て元をたどれば土から生まれる。みんなが踏みしめている足元から生まれているんだよ。」ということを、演説や討論するような鋭い表現ではなくて、あたたかいタッチで、興味を持ってもらいながらも奥深いところで伝えたいと思っています。
――『チニアシ』には食についてだけでなく、漆原さんが活動の中で出会った方についても大変魅力的に描かれています。こちらを拝見して、お仕事や活動を通じて繋がった人の良いところを発見するのがとてもお上手な方だと感じました。制作をされる上で人との繋がりも大事にされているのでしょうか。
そうですね。人と人とのコミュニケーションとか、その繋がりってほんとに代え難いものだなっていうのは以前に八百屋をやっていたときに勉強させてもらいました。独立した今も、小さなきっかけで出会った人との小さなストーリーでも何か描き残していきたいと思っています。食べ物を描いていますが食べ物の向こう側の人間の温かさとか……人そのものを描いてはいないですが結局は人を描きたいのかもしれないですね。
――最近長野に戻られたということですけれども、県内で活動されるにあたってnextの活動は耳にされましたか。
今回初めて知りました。
――知ったときに思ったことや活動の印象があればお聞かせください。
こちらの展示会をきっかけにホームページを拝見してほんとに驚きました。美大生のときはnextのような若手作家を応援する団体さんやイベントに恵まれる機会が多かったんですが、社会人になってからは、自分からそういった場所に行かないと出会えないですし、八百屋時代はぱったりと美術の世界から離れていたので、自分の生まれ故郷でこんなに素晴らしい支援が受けられるということにとても感動しました。
――漆原さんから見て、nextに対して「こうなったらいいな、利用したいな」と思うことはありますか?
そうですね、私は県内での個展は今回が初めてなので、まだまだ「長野県内でどういった展示スペースがあるんだろう?」とか、そういったことも全く知らないんですよ。なので、まずは「同世代の長野県内に住んでいる作家さんたちがどんな場所で展示会をしてるんだろう?」とか、「どんな活動をされているんだろう?」といったことを、nextを通して知ってみたいなという思いがあります。
――今後の活動の目標があれば聞かせてください。
自分にとって、『チニアシ』という本を作りながら、絵と文章を使って「自分が何を食べて生きてきたのか、その足跡を残す」という制作活動が今の活動の核になっています。なので、「それを死ぬまで続ける」というのが大きな目標かな、と思っています。今は月に1回発行しているんですが、締切に間に合わなくなりそうで絵が粗くなってしまったりといったこともあります。なので、「発行の頻度を年に何回かにしてもう少し厚みを出そうかな?」とか考えますし、いろいろアイデアはこれから出てくると思うんです。どんな形、どんな頻度でも、作ることはやめずに、全国色んな所で色んな食べ物を味わって、出会った人々を描いていけたらな、という思いがありますね。今回こんなに立派な屋台を作っていただいたので※ぜひ色々な展示会でこの屋台に『チニアシ』を並べていきたいです。
※トライアル・ギャラリー展示室内に置かれた蕎麦屋台の展示台は、漆原さ んと伊那文化会館の舞台課職員 柴田が共同で作成した。
(取材:「信州art walk repo」取材部 清水康平・宮澤瑞希・塚原夏樹・山田敦子)