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File.22 津田翔一さん(絵画)インタビュー

今回取材させていただいた津田翔一さんは、長野県伊那文化会館で2023年7月7日から23日に開催された、若手作家公募個展「トライアル・ギャラリー2023」に出展されました。
長野県伊那文化会館では、2014年より長野県にゆかりのある若手作家を応援するため、個展の開催を希望する作家を公募で選び美術展示ホールを無料で提供する、若手作家公募個展「トライアル・ギャラリー」を行っています。今回は新たに信州ミュージアム・ネットワーク事業に参加する県内の学芸員等も参画し、審査・展示アドバイス体制を拡充して展覧会を行いました。また、私たち取材部の中の活動支援策ワーキンググループ※のメンバーも審査に参加させていただきました。総勢40名による第一次審査、最終審査を経て選ばれた3作家の個性あふれる作品は、伊那文化会館スタッフの協力や県内の学芸員さんたちによる展示アドバイスによってさらに見応えを増し、充実した展示空間となっていました。

※(一財)長野県文化振興事業団 活動支援策ワーキンググループ
同事業団が管理運営する各施設のスタッフが共同して県内のアーティスト等、文化芸術分野の関係者にむけた支援策を企画実施するチーム。2020年に発足。

――津田さんの活動内容を教えてください。

長野を拠点に主に絵画制作、油彩画の制作をしています。

――絵を制作するようになったきっかけは何ですか?

その質問は非常に難しいですね。
明確に答えられませんが、気が付いたら描いていました。
ただし、進路を決定づけたのはベティ・エドワーズの『脳の右側で描け(Drawing on the Right Side of the Brain)』という指南書に出合ったことと、パブロ・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881年 - 1973年)が14歳のときに描いたという『初聖体拝領』という油彩画を画集で観た衝撃です。

――それでは、何歳くらいから絵を描き始めたのですか?

7歳頃から殴り描きのようなものを毎日毎日描いていました。漫画みたいな形をとっていて、それが印象に残っています。基本的に勇者が魔王を倒すという筋書きで、いろいろその時々にみたものや触れたものが登場しました。例えば、手でいろいろな形の蛙をつくれるようになると、それが重要なキャラクターになって話の中に登場しました。起伏が多い長く孤独な小学校の帰り道(少子化なんてあまり言われていない頃でしたが、クラスの人数が11人程度でした!)で妄想したものを、家に帰ってばーっと一気呵成に描いていました。今とのつながりはどのぐらいあるのかわかりませんが、それが始まりです。ごく自然に物心ついたときから描いていました。

――初めてキャンバスに作品を描き始めたのはいつ頃ですか?

中学校のときに美術部に入って、はじめて油絵に触りました。

――制作するときに大切にしていることや注意していることはありますか?

座禅をしているときのような“無”であることですかね。昔ながらの家になら必ずあるあの丸い”だるまさん”で有名な達磨大師(菩提達磨、Bodhidharma)みたいに、洞窟などの壁面に向かって手足がなくなるまで座るイメージです。
あれを描こうこれを描こうということじゃないことを敢えて意識します。
意識しないことを意識しているのです(笑)。ただし、20世紀初頭のシュルレアリストたちなどが行っていたようなオートマティスムとはまったく違います。

――“無”になった状態でインスピレーション的にぱっと浮かんだものを表現しているのですか?

そうするとちょっと意図や意識が入ってきてしまうので……。
意図や意識を避けるための手段として音楽や、本を音読してくれるサービスを利用することによってよけいな意識を逸らしながら制作しています。映像を流しながらやることさえもありますが、手塚治虫(1928年11月3日 - 1989年2月9日)氏も横でテレビをつけながら猛烈に描いていたのを知って勇気づけられました(笑)

――どんな本を聴いていますか? また、本の種類などは決めていますか?
特に決めていません。その日の気持ちなどで選びます。ただ、連続して同じ傾向の作品を聴くと偏りすぎるので別系統の作品を意識的に選ぶことはあります。

――人の声だから程よい距離を感じるのですか?また、言葉を聴いてしまうところが逆に無意識になれるポイントなんでしょうか?

そのとおりです。それがなぜかという説明は難しく、自分にとって経験的な最適解だからとしか言えないのが歯がゆいですが(笑)
また、聴くこと自体に集中しているわけでもありません。作品に意識が出ないように逸らせる塩梅が難しいのです。

――無意識で制作をする手法はいつ頃から始めたのですか?

ずっとやっています。ただし、繰り返しますが、シュルレアリストたちなどが行っていたようなオートマティスムのような手法とはまったく違うのです。
また、本を音読してくれるサービスは最近できたものなので利用し始めてから日は浅いです。『フランダースの犬(英: A Dog of Flanders)』でネロとパトラッシュが死ぬ前の最後にみた絵画の作者でおなじみの画家ピーテル・パウル・ルーべンス(蘭: Peter Paul Rubens、1577年 - 1640年)は外交官を務めながら絵を制作していて、とにかく時間がない人でした。例えば、その日の仕事のスケジュールを傍らで誰かに読み上げてもらいながら絵画の制作をしていたようです。非常に親近感を感じますね(笑)

――制作は毎日しているのですか?

いわば“習慣化”しています。描ける・描けないという問題ではなく、“無”になるかならないかが問題ですから。『われわれが現実に完全なものとなるのは、習慣を通じてのことなのである。(『ニコマコス倫理学』)』と三千年前のアリストテレス(古希: Ἀριστοτέλης、羅: Aristotelēs、前384年 - 前322年)をはじめ今までいろいろなひとが良い習慣の重要性について繰り返し語っています。
私は、自分が制作を習慣にすることでおもいどおりに制作できるということを最近になって発見しました。それまではおもいついたときに取り組むというスタイルで制作してきました。実は大学生の初め頃に、教授に習慣的な制作を「ただやっているだけじゃないか」と批判され、それを真に受けて鵜呑みにして浅はかに反省をしたのをきっかけに、周囲にも感化されて、制作はイメージやインスピレーションで行わなければいけないと思ってからとっていたスタイルでした。その時期も、いろいろな経験ができたのだけはよかったです。
でも、水が低い場所から高い場所に流れないように、根本的にも生理的にも間違っている方向性では長続きせず、いずれ行き詰ります。案の定、私は生活も描くこともおろそかになって、酒に溺れました(笑)これではだめだと思って(そう思えたのは、酒に溺れること自体にも飽き飽きしたからかもしれません。同じようなことを延々と繰り返し、時間も金銭も失い、ストレスがなくなるどころか増えるだけの物事の繰り返しにいったい何の意味があるでしょうか?)生活を見直してから、批判される以前の制作スタイルが最も自分にしっくりくることがわかりました。
習慣的に「朝何時に起きて……」というスタイルの制作手法が自分にはとても合っているのです。私は地道に一歩一歩、制作することしかできない亀なのです。『魔女の宅急便』のなかでキキが魔女の血で箒をつかって空を飛ぶように、田畑を耕し農作物を着実に育ててきた農民の血で描くわけです(笑)。

――それは教員として勤め始めてからですか?

そう言われればそうですね、そういうスタイルというかサイクルでやろうと思ったのは勤め始めてから3、4年くらい経った頃だと思います。例えば授業の開始時間は決まっているので、そこから逆算する生活の一部には影響を受けたのかもしれません。こんなことを言い出したらきりがないですが、教育に携わったり、遠くに出かけたり、その他諸々、直接描いていない時間も案外重要で、制作に影を落とします。

――先生のお仕事を終えて、家に帰られてから夜に制作するのですか?

いえ、制作は朝方に行います。夜始めると眠れなくなってしまうので(笑)

――制作時間は1日何時間くらいですか?

最低6時間ですね。ずっと描いていることもあるんですけど、最低限6時間~8時間は取ろうと思っています。

――今回の作品のテーマはどのようにして決めたのですか?

制作について改めて考えたときに共通項を発見し、自然に決まりました。
テーマ決めも制作の一部だから、非常に面白かったです。

――今回は夕焼け、今回は林、といったように決めているのではなく、描きたい情景が先にあるようなイメージですか?

まさにそうです。最初は何を描いているかわからないのです。

――現在の津田さんの表現方法のこだわりやポイント、見てほしいところ・感じてほしいところはどこですか?

私はひとつの油彩画(そんなものがあればのはなしですが)をはじめからさいごまで計画的には制作していません。計画的に制作していないというのは、絵を描き進める過程を予定せず、最終的な完成も予想しないという意味です。したくはないのです。
これについては、私が大好きな作家のひとりである村上春樹氏自身が述べた制作時の状態と近くて感動した(笑)ことがあります。

僕は、主人公である岡田亨が涸れた井戸の底で行ったのと同じような、『壁抜け』ができるようになった。早朝に起きて机の前に座る。そして小説に意識を強く集中する。そしてやがて僕は物語の中にいる。そして作家として物語を考えるというよりは、むしろ観察者、同行者として物語の中についていくという状態になる。
― 村上春樹『村上春樹全集5』(講談社)p423

手法の面では、乾燥時間や手ごたえなど総合的に最も自分のペースで描けて、予期しないところ(座標?)にも行けるので油彩で描いているのはこだわりです。特に、基本的に絵具の乾燥時間が遅いために画面上で納得がいくまで色を混ぜることができるのは素晴らしい。それに、美術館にある大昔の絵、とりわけ厳しく訓練された画家に画材が適切に用いられて描かれた欧州の油彩画についてはその輝きを失っていないことからもわかるように圧倒的な耐久性があります。自分が10代の頃、つまり先史時代に(笑)描いた油絵もほとんど劣化せずに残っていることからも、非常に信頼がおける画材なのです。
また、差し出がましいですが、どなたの日常生活でもつかったりあてはめたりすることができるような新しい概念というか言葉をつくりたい、発見し提案したいと思っています。今回は〈いと〉という言葉を提案しました。これまでも例えば〈洞窟〉という言葉をつかって、ある時期の作品性・傾向を表現していたこともありました。私のずうずうしい唯一の願いは、こうした私の制作・発表活動を通じてつくり出し、発見し提案する新しい概念や言葉を展示のみならず、来ていただいた方ご自身の日常にもあてはめてみてほしいということです。例えば、自分にとっての〈いと〉は何かを考えてもらえたら嬉しいですね。
また、展示会場の各所には隠された様々な“ギミック”があるので、探して、ゲームを遊ぶように鑑賞してもらうのも楽しいと思います。そこに唯一の正解はありませんし、提案者(私)が予想もしていないような批評を聞くのが楽しみです(笑)

――自分が見ている世界と他の人が見ている世界が違うと感じているとのことですが、それはいつ頃分かりましたか?

昔から分かっていたことかも知れませんが、はっきりしたのは今回の展示がきっかけになりました。誤解のないように補足させていただくと、これは自分が特別だとかなんだとかいうわけではなく、例えば何かごく当たり前のこと、今日の天気とか何があっただとかいうあたりさわりのない世間話の中でも、自分がいつもどこかズレる感じなのです。サイズの合わない少し大きな靴を履いているみたいに。よくわかりませんが、それは社会常識的にはある種の病的な傾向なのかもしれません。でも、誰でも少なからずそういう傾向は持っているだろうし、今はその歩きづらい靴を履いて歩く自分を笑って楽しむことができるようにはなりました。そういえば、描くときはいつも裸足ですね、これは喩えではなく本当に(笑)
今回の展示は、自分の実感に即した、ズレのない世界を提示しました。みなさんには”嘘つき”だと言われるかもしれない。でも、それは違います。たとえ、表現や内容が不十分ではあるにせよ、これは私がこれまで生きてきた世界の一部なのです。実直に、ただ真っすぐに純粋に伝わることを望みます。

――自分が描いているのは三水(左美都)であるという意識はありましたか?

それが分からないので描いて、展示してきました。
これまでもずっと描かれるものについて考えてはいました。そして、結局自分は三水という場所に生まれて今もそこで逃げずに(笑)制作している、この自分の足もとにあるんじゃないかと思いました。三水という場所でほとんどすべてがつながったので、驚きました。これが発見した共通項のひとつです。

――実際に生まれ育った三水と、津田さんが実感している平安時代や弥生時代等の過去からつながる現在の三水があるのでしたよね?

そうですね。「左美都」をどう他人に伝わるようにするか配慮し、こちら側の「三水」の世界の概念や言葉、学問的なフレームワークを借りました。特に常識的な歴史的文脈を、例えば平安時代や弥生時代という物語を利用したら、伝わるだろうという発想でした。なので、展示方法が博物館に似ているものになっているのです。

――nextに登録したきっかけを教えてください。

長野を拠点にしばらく活動したいという気持ちがあって、色々探しているときに見つけて登録申請をしました。

――登録してよかったことはありますか?

改めて自分が今まで何をしてきたかを確実に振り返れると思います。なぜかというと、登録してもらうために少なからずお手数をおかけするので、活動履歴登録の申請時には常に責任が伴うからです(笑)ひろく公開されますしね。

――今後のnextに改善してほしい点や要望はありますか?

next内でコンペティションやグループ展・ワークショップを企画していただいたら盛り上がると思います。
美術教育ではなくても文化芸術に触れて、人生の選択肢が増えたり救われたりする人がいるので、nextのような活動はとてもすばらしいと思います。気軽なワークショップや展示、特に美術館に入場しないとみることができないというかたちではない公園や通路などのパブリックスペースを利用した展示をするのはどうでしょうか。みるつもりがなくても目に触れてしまうと、アートは届くとおもいます。これも習慣化ですかね(笑)ぜひ、nextの常設展示スペースをつくってください(笑)

――具体的にnextの展示(コンペ)について、こんなのだったらいいな、ということはありますか?

「トライアル・ギャラリー」のような形式がベストだと思います。ただ、若手を対象にしたコンペは巷にたくさんあるので、継続した育成等の観点から中堅者以上を対象にした展示(コンペ)があるといろいろと差別化できるのかもしれません。取り扱いが難しいかもしれませんが(笑)

――nextを活用してやってみたいことはありますか?

制作にはお金がかかるので、助成金のような経済的な支援をしていただけたらいいなと思います。コンペなどのかたちで審査があってもいいかなと思います。ものすごく厳しくして、今年度は該当者無し!であってもいいです(笑)

――nextのホームぺージを拝見すると今回の展示されている作品とは少し違うと感じましたが、ご自身ではどう思いますか?

登録した当時は難民の子供や傷ついた子供を描いていました。当時は私自身が今より若かったということもありますが、違う場所や遠くに行きたいとおもっていました。しかし、結局自分は三水に生まれ育ったということから、どこに行こうがどうやっても逃れられないわけです。
別のところに生まれたかった。あれはないか、これはないか、ということもありましたが、そういうとって付けたような、どこかよそからもってきたようなものは続きません。いつかは終わり、分断してしまいます。それを示すためにnextのホームページには登録した当時の作品を敢えてそのまま残しています。自分への戒めですね(笑)
実際に分断に至ったとき、すごく悩みました。それから何やかやの末に、「あ、ここなんだ」というように落ち着きました。つまり、三水生れであることを受け入れる。覚悟を決める。これしかないし、他の人にはこれは無い。地球上の日本の長野県の三水という場所の津田家に生まれ育ったのは他の人ではなく私なんだ、という気持ちが今はあります。これが自分の原点であり、オリジナリティだなぁということを発見したんです。「ここからはじめてみるか」というのが今回の展示です。

――今後の活動の予定や目標はありますか?

ヴェネツィア・ビエンナーレに出展してインスタレーション空間を作っていくのを差し当たり最終的な目標に据え、いろいろな機会をみつけて展示、発表していきますのでよろしくお願いいたします。

――総合的な目標や作品に対しての気持ちはありますか?

総合的な目標は、強いて言葉で表現するなら、つまり後で思い出して笑うために言うと(笑)、“無”に近づくことです。
いうまでもなく、今はまだ足りないんです。惚れ惚れするぐらい全然ダメです(笑)。
とはいえ、達磨大師のように洞窟にずっと座っているわけにもいきません。でもたぶん、これは直観ですが、ごく普通に現代社会の中で生活していてもそれは可能なんです。そのためには、より制作に集中できるようなサイクルを確立して、いらないものを排除し、集中できる環境を整え続けなければいけません。生活が作品に対する気持ちをあらわすのです。例えば私は、東日本大震災から10年目の2021年3月11日に完全に断酒し、少なくとも200歳までは二度と口にしません。もちろん、煙草は吸いません。毎日欠かさずジムなどで運動をします。納豆も毎日食べます(笑)。笑われるかもしれませんが、この生活が作品に対しての私の具体的な誠意なのです。

展覧会名
左美都の<いと>

生まれ育った場所(三水=左美都)で纏わった(=制作した)<いと>(=作品)のもつれ(=展示)です。<いと>とは"物語[り]"のそれ以上細分化できない最小の事物で、この物理的なひとつひとつの世界(=洞窟)を構成する要素です。この"物語[り]"は、"人間[存在]"自体を指します。今回はひろく関係者のお力も借り、[模擬]考古資料も併せて展示しています。ご自身の地元や居住地と照らし合わせながらも、お楽しみいただければ幸いです。

<略歴>
1984年 長野県長野市生まれ
2013年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
現在   長野県長野市在住

◎主な受賞・展覧会・活動歴
2014年 トーキョーワンダーウォール2014(東京都現代美術館/東京都)
2015年 群馬青年ビエンナーレ2015(群馬県立近代美術館/群馬県)
2021年 第23回雪梁舎フィレンツェ賞展(雪梁舎美術館/新潟県、東京都美術館/東京都)
個展「油彩画展 ~明るい洞窟~」(長野県立美術館/長野市)
シェル美術賞展2021(国立新美術館/東京都)
2022年 個展「油彩画展 ~+ 覚知 ka~」(長野県立美術館/長野市)
グループ展「市内作家によるアートグループ展」(長野市芸術館/長野市)
2023年 グループ展「新しい眼 in NAGANO」(松本市美術館/松本市)
     コーポレートアートエイド京都(京都市美術館/京都府)

(取材:「信州art walk repo」取材部 伊藤羊子・清水康平・山田敦子)

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