芸術と経済の間で。|美術館から街へ出た、傍嶋賢の挑戦
《テキスト・アーカイブ》
日時:2021年7月21日18:30~
場所:SOBASUTA
(〒302-0024 茨城県取手市新町1丁目4−5)
HP:https://www.sobasuta.com/
7月21日、ART ROUND EAST(ARE)に加盟するSOBASUTA合同会社の代表社員で、AREの副代表も務める傍嶋賢さんに、これまでの活動の原動力や、取手市を中心に行ってきたアート関連活動、現在力を入れている渋谷区での落書き消し事業、そして今後の目標などについて話を伺った。
取材を行ったのはJR取手駅に程近い場所にある、ギャラリースペースを併設した事務所。ギャラリーの隠し扉を抜けて、遊び心あふれる秘密基地のような事務所で話を聞いた。当日のインタビューの様子は、YouTubeでも公開中!↓↓
「人と違う」を力に
傍嶋さんにはいくつもの顔がある。SOBASUTAの代表社員。ART ROUND EASTの副代表。サイクルアートフェスティバル・JOBANアートライン協議会のアートプロデューサー。足立区文化・読書・スポーツ総合推進会議の推進委員。一般社団法人CLEAN&ARTの代表理事。数多くの役職を兼任する傍嶋さんとは、一体どんな人物なのか。過去に遡り、活動の原点を伺った。
傍嶋さんは幼少期、常々「人と違うこと」は正しい、と言われて育った。その家訓のようなものが、傍嶋さんの物事の考え方に大きく影響を与えているという。人と違うことをしていると、自分と違う他者を受け入れられるようになるそう。傍嶋さんは、「『同じ』を強いるからこそ、対立が生まれる」のであって、「違いを受け入れることで、寛容性や多様性が生まれるのではないか」と考えている。
もともと絵を書くことが好きだった傍嶋さんは、東京藝術大学で油画を学んだ父の勧めもあって、芸術の道を志した。「美術や芸術は違い探し」だと力強く語り、「違い」を求める傍嶋家の家訓と芸術活動の類似点を強調。芸術は、これまで誰も試さなかった、誰とも「違う」新たな表現を模索する活動といえる。そして家訓も、これまで誰も試みなかった方法で社会と関わることを求めている。これらの考えのもと、傍嶋さんはこれまで数々の「人と違う」活動を行ってきたという。
美術館から街へ出る
東京藝術大学へ進学し、油画を専攻した傍嶋さんは学部三年時、人生を大きく変える出来事に巡り合ったという。それは、後に大学院の壁画専攻で指導を受けることになる芸術家・中村政人氏の作品との出会いだった。美術館に展示されたコンビニエンスストアの看板の作品を見たあと、美術館の外の街を歩いたとき、初めて美術館の内と外が「リンクした」感覚があったそう。
2000年代初頭の日本は、美術館の外へ出て社会的な文脈の中でアートを捉える「アートプロジェクト」が今ほど活発には行われておらず、アートは美術館やギャラリーで見るもの、という印象が強かったという。そんな状況の中、傍嶋さんは中村氏の作品を見て、「この作家は、社会のことが見えている」と感じた。その後、学部卒業後の進路を探していた傍嶋さんは、中村氏が藝大の大学院で教鞭をとることを知る。「中村先生に会えば、僕の人生が変わる」と思い、迷わず進学を決意したという。
大学院へ進学した2003年ごろ、パソコンは普及率が約63 %で、徐々に一般化しつつも、今ほど当たり前な存在ではなかった。そんな中、中村先生は「パソコンを買え、Adobeを覚えろ、パワポでプレゼンしろ」と、パソコンが普及した社会を見据えて指導を行っていたという。他にも「団体を作れ、助成金を取れ」という指導も行っていた。その背景には、激変する社会の中で、藝大生はこのまま生き延びていけるだろうか、という危機感があったのではないかと傍嶋さんは分析する。中村先生の「絵だけ描いて生きていけると思うなよ」という言葉が印象的だったと振り返り、「中村先生がいなければ、今の自分はいない」と言い切る。大学院での経験が、その後社会に出た傍嶋さんの活動を支えたという。
芸術をする体力作り
中村先生からの指導の一つ、「団体を立ち上げろ」という言葉を実践に移し、傍嶋さんは学生有志とともに、「第0研究室(ゼロ研)」を立ち上げた。ゼロ研は、主宰する先生のいない学生主体の団体として、これまでの美術の枠にとらわれず、地域の中に介入するプロジェクトを行っていたという。そこには「今までの(美術館などに)見に行く芸術ではなく、こっちから行く芸術」の形を模索したいという思いがあった。傍嶋さんは、この団体の運営を通して、新たな芸術の形の模索に加え、補助金の申請方法、企画書・報告書の制作方法などを実地で学んだのだった。
ゼロ研の活動で思い出深いプロジェクトを伺うと、傍嶋さんは「デリバリーアート」を挙げた。この活動は、藝大生の作品を商店街のお店や居酒屋などに運び、展示するプロジェクトだ。一週間の貸出料金は、手数料を取ることなく全額が制作者に渡される。そのため、作品をお店まで運ぶデリバリーの仕事は、完全な無償労働だった、と笑顔で振り返った。デリバリーアートでは他にも、ピアノを弾ける学生が、使われなくなったピアノの眠るお宅を訪問し、調律・演奏する活動も行なった。芸術を学ぶ学生の側から地域の側へ、無償でもかまわず介入しようとしていた当時の姿勢について、「人のためになにかしたいという気持ちが強かった」と説明した。
地域とつながると、さらにつながる
大学院修了後も、ゼロ研での活動を継続しようとしていた傍嶋さんたちだったが、一つ問題を抱えていた。それは、アトリエの喪失だ。修了と同時に大学のアトリエは使えなくなってしまうため、傍嶋さんたちは次の活動の拠点を探さねばならなかった。そんな中、デリバリーアートの活動で縁があった居酒屋のお客さんで、駅前に不動産を持つ方から、「君たち面白いね」と気に入ってもらい、アトリエの提供を受けることになったという。地域と関わることで不思議な縁が生まれ、家賃・光熱費一年間無料という驚きの条件で、活動拠点を得ることができた。
取手市には東京藝術大学の取手キャンパスがあるとはいえ、取手駅からはアクセスが悪い。そのため、取手駅前に拠点を得たものの、その時はまだ地元住民と藝大生とのつながりはあまり強くなかったそう。そこで、地域のために活動をしようと最初に行ったのが「ポスタープロジェクト」だ。このプロジェクトは、商店街のそれぞれの店舗の雰囲気に合わせて、ゼロ研のメンバーや藝大生が無料でポスターを描くというもの。これによって、つながりの薄かった地域の方々に「藝大生は、どうやら悪い奴らじゃないらしいぞ」と思ってもらえたのか、ポスタープロジェクトは人気を呼び、地域とのつながりが強まったという。
継続的な活動には、お金が必要
ゼロ研の活動が地域の中で話題となると、メディアから注目され、TVや新聞から取材が来るようになったという。メディア掲載によって「社会的な信用が高まった」と話し、それがきっかけとなったのか、行政からも連絡が来るようになったそう。それまでは助成金などで活動していたため、その資金は生活費に当てられなかったという。しかし、「継続的な活動のためにも事業化しなければ」という思いから、傍嶋さんは徐々に活動の幅を広げ、行政との活動が増えていった。茨城県・取手市が主催するサイクルアートフェスティバルや、行政や企業・大学が主催するJOBANアートラインなどのアートプロジェクトでディレクションの仕事を行うようになり、現在までの継続的な活動につながっているという。
しかし、全てが順風満帆だったわけではない。イベントの予算がいつも潤沢ということはなく、プロジェクトとして実行できる内容は、常に制限があった。その逆境の中でも、院生時代に鍛えた企画・運営力を基礎に、様々な準備を自分で手掛け、コストを抑えることで実現させていった。「自分でやったほうが安くつく。おかげでいろんな体力がついた」と苦笑い。その例の一つに、JOBANアートラインでの「忘れ物傘ワークショップ」がある。電車の忘れ物で廃棄予定のビニール傘を活用して、傘に絵を描くことで世界に一つだけのマイ傘を作るイベントだ。アートプロジェクトの数々の場面で、制約の中で知恵を絞り、企画から運営まで全般的に関わったからこそ、多くのノウハウを吸収することができたと振り返った。
(JOBANアートラインで行われた、忘れ物傘ワークショップの様子・傍嶋さん提供)
落書き問題への挑戦
傍嶋さんは大学院で壁画を専攻していたこともあり、荒川区の高架下で落書き対策などのための壁画も描いていた。2017年頃から高架下だけでなく街中の落書き問題と向き合い始めた傍嶋さんは、様々な地域で落書きの被害状況をヒアリングしたり、グラフィティアートが描かれる社会・文化的背景のリサーチなどを開始したという。
その過程で、代官山で活動するゴミ拾いのボランティア団体に出会った。そこでは毎回の活動終わりに一時間ほど、地域の課題について話し合う時間が設けられていたという。その時傍嶋さんは、メンバーの方々に「壁画で落書き問題を解決したい」という思いを伝えたことで、賛同してくれる仲間を得て、落書きを消す団体「CLEAN&ART」を2018年に発足した。月に1〜2回ほどの頻度で渋谷区の落書きを消す活動を開始し、徐々に理解者を増やしながら、活動を重ねていった。
(落書き消しの様子・傍嶋さん提供)
絵を描くこと|絵を消すこと
落書き消しは、最初の数年は無償のボランティアとして活動していた。しかし、大学院時代の経験で学んだように、活動を継続させるには収入を得る必要がある。そこで傍嶋さんたちはCLEAN&ARTを一般社団法人化。組織としての信頼と体力を向上させることで、落書き消しの活動を継続的な事業へと発展させた。そして、今年度からは渋谷区の委託を受け、同区内の落書きを消す業務を開始。これまでのボランティア活動から、業務として活動を加速させたことで、活動頻度は高まり、加えて新たな雇用も創出して、社会課題の解決に貢献しているという。
街中の絵を消す活動が順調に動き始めた一方で、絵に対して新たな考え方を持つようになったそう。傍嶋さんは、落書き被害を受けた方の壁を白く塗った際、「感動した」と書かれた手紙を受け取ったことがあるという。これまでも、絵を描いて喜ばれることはあったというが、「壁を白く塗ることでこれだけ喜ばれるなら、絵を描く時は、それ以上のものを描かねばならない」と、絵画に対する向き合い方を考え直したという。
(落書き消しの様子・傍嶋さん提供)
コロナ禍で問われる「芸術ってなんだ?」
コロナ禍における大きな変化を伺うと、文化事業の予算が削減されたことを挙げた。傍嶋さんは、経済状況の変化によって文化事業の予算が大きく左右されやすい現在の状況について、憤りを覚えると同時に焦りも見せ、「文化の意味や意義を考えなければならない」と語った。コロナ対策関連の事業へ予算が当てられ、経済環境がこれまでと大きく変わってしまった今だからこそ、「芸術はなぜ必要な存在なのか」示していかなければならなくなっている、と話す。
傍嶋さんには、もうすぐ一歳になるという赤ちゃんがいる。その赤ちゃんが初めて鉄琴を演奏して大喜びする様子や、初めて笛を吹いてご機嫌になり、笑いが止まらなくなる動画を見つめながら、こう語る。「人間には表現したいという欲求がある。音楽や絵画などの芸術には、人が生まれながらにして感じ取れる喜びが含まれている。衣・食・住だけの世の中では、息苦しくなってしまいそうだ」。
壁を通して社会課題の解決を
現在、落書き消しの事業が渋谷区で始まり、竹下通りとセンター街に拠点を構えて活動しているそう。傍嶋さんは今後の目標について、ニューヨーク・ロンドン・パリに拠点を持って、壁にまつわる活動を行っていきたいと考えている。それぞれの地域の抱える社会課題と向き合い、壁というメディアを通して解決していきたいという。「例えばゴミ問題があるなら、ゴミと壁を組み合わせることで解決を図る。その地域の課題解決法を、壁にインストールするのが理想だ」と語る。
まとめ
傍嶋家の家訓と中村先生の教えを原動力に、傍嶋さんはこれまで「人と違う」方法で、社会との関わり方を模索してきた。傍嶋さんが務める数多くの役職や、これまで行ってきた様々な活動は、傍嶋さんのその一貫した姿勢を浮かび上がらせているように思う。
これまでの活動を伺っていて印象的だったのは、デリバリーアートを通じてアトリエを得たり、ポスタープロジェクトによって地域や行政とのつながりを得たりと、経済の尺度を超えた活動によって、新たな交流が生まれていたことだ。傍嶋さんは芸術と経済の間に身を置き、継続的なアート活動のために模索を続けていた。
美術・芸術という活動に含まれる「誰も試したことがない方法の模索」というエッセンスは、日本が抱える数多くの課題を解決するための、重要なヒントになるように感じた。
(文:久永)
ART ROUND EAST:ARE(アール)とは?
東東京圏などでアート関連活動を行う団体・個人同士のつながりを生み出す連携団体です。新たな連携を生み出すことで、各団体・個人の発信力強化や地域の活性化、アーティストが成長できる場の創出などを目指しています。
HP:https://artroundeast.net/
Twitter:https://twitter.com/ARTROUNDEAST
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