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デザインが未だ民主化できていない理由|デザイン的姿勢(Design Attitude)について考える

これからUXデザイン(やその他のデザイン)をやりたいと思っている人、デザイン思考をやってみたがうまくいかなかった人、組織や経営にデザインを取り入れていきたい人、デザインが重要といわれ困惑する人、「誰もがデザイナーになれる」と言われ「その必要ある?」と思った人、もがき苦しむデザイナー、そのほか全てのデザイン関係者に向けて。

昨今、多くの組織で「デザイン思考」や「UXデザイン」の導入が試みられていますが、その多くは表面的な取り組みに終わってしまい、本当の役には立たない実態があります。
なぜでしょうか。
それは、デザインを「手法やプロセス」として捉えすぎているからです。

本記事では「デザインの民主化」に焦点を当てながら、多くの人が誤解している「デザイン」と言う単語や、デザインの力について考えます。

この視点は、組織でデザインに関わる全ての人—デザイナーはもちろん、マネージャーやステークホルダーにとっても新たな示唆をもたらすのではないでしょうか。
デザインの真の可能性を引き出すために、私たちは何を意識し、どう変わっていく必要があるのかを考えていきましょう。


「デザインは民主化される」という言説と実態

現代において、デザインという言葉はかつてないほど多義的かつ広範な意味合いを持つようになっています。

「デザイン」という言葉を耳にすると、多くの人が最初に思い浮かべるのは、グラフィックやプロダクト、UIなどの「成果物をつくる」行為でしょう。
しかしながら、デザインは今やそれらの目に見えるものレイヤーを超え、サービスデザイン、社会システム、教育、暮らし方、価値観、などまでもデザイン対象とする新しい潮流が生まれています。未来社会のあり方を問い直す探究的・批判的なデザインアプローチも注目を集め始めています。

デザインは理屈と軟膏と同じぐらいどこにでも付きます。
これはデザインの持つ力に所以するもので、後続で説明しますが、一旦「デザインにはあらゆる事象に影響を与えうる力がある」と捉えていただけると結構です。
当然AIにもデザインが存在します。それはAIサービスやそのUIをデザインすることではなく、AIそのものをデザインする、ことです。

さて、こうした多様化の過程で「デザインの民主化」という言葉もしばしば語られるようになりました。
「誰もがデザイナーになれる」や「デザイン思考でイノベーションをしよう」といった動きが加速したのもこのデザインの力を信じてのことです。
しかし、一方で、いまだに「デザイン」という営みは特定の職能や専門家に閉じていたり、「デザイン経営」や「デザイン思考」は誇大広告のように失敗した-少なくとも失敗したと思われたり、「デザイン」は民主化-浸透に難を抱えている実情があります。

なぜ「デザインの民主化」が思うように進まないのか。
デザインは民主化するほど価値がないからでしょうか?

私はそうは思っていません。誰もが「デザイン」を理解していくことで、「デザイナー」になっていくことできっといい未来が来ると思っています。

ではなぜ民主化が進まないのか。
私はそれを、デザインが「手法やプロセス」という行為として伝播しており、その背後にある「デザイン的な態度・スタンス(Design Attitude)」が十分に共有・定着していないからだと考えています。
デザインとは特定のスキルやツールを習得するだけではなく、「いかに問題を捉え、いかに問い続け、いかに変革を実践していくか」を考える力あってこそ、初めて成り立つものだからです。

なぜ「デザイン」が注目されているのか

デザインの民主化がうまくいく、いかない、の前に、「なぜデザインは民主化されるべき」と言われるのでしょうか?
これはデザインが重要といわれ困惑する人や、「誰もがデザイナーになれる」と言われ「自分がデザイナーになる必要はなくないか?」と思った人に対してある程度アンサーとなるはずです。

さて、デザインへの関心の高まりについて理解するためには、まず「デザイン」という言葉は大きく3つの意味を内包していることを知らなければいけません。
私はそれを
1.形としてのデザイン
2.営みとしてのデザイン
3.在り方としてのデザイン
としています。

「デザイン」という言葉は大きく3つの意味を内包している

1.形としてのデザイン

「形としてのデザイン」とは目に見える成果物や、具体的な制作活動のこと

形としてのデザイン:
 - 目に見える成果物
 - 具体的な制作活動

「デザイン」という言葉を耳にすると、多くの人が最初に思い浮かべるのは、グラフィックやプロダクト、UIなどの具体的な成果物をつくる行為でしょう。

例えばIT業界でいうならデザイナーが美しく作った画面…つまりアウトプットのことは「デザイン」と呼ばれます。
そして「デザイン」を制作するために、FigmaでUIを作る行為のことも「デザインする」と表現されます。あるいはその前のディスカッションや案だしなども。

グラフィックで言うならイラレやフォトショをいじる瞬間と作られたロゴやバナーそのもののこと、プロダクトでいうならアイディエーションや、図面やプロトタイプのことなど。

「形としてのデザイン」はこの成果物、そしてそれらの具体的な制作活動のことを示します。

デザインをやったことない人がデザインとしてイメージが沸くのはこの「形としてのデザイン」でしょう。
そして同時に、デザインに対する困惑も形としてのデザインを想起することによって生まれます。なぜ俺がイラレやフォトショを使わないといけないんだ?どうしてそれが重要なんだ?そう思うとデザインの重要さはピンときません。

先に述べると、これらがあなたたちが意識しなければいけないデザイン、と言うわけではありません。
(これらが大事でないと言うつもりではないです。ただ、これらをあなたたちがやる必要がある、と言うのが「デザインの民主化」のメッセージではありません)

2.営みとしてのデザイン

「営みとしてのデザイン」とは
対象物や状況のより良い在り方を模索・実現して行こうとする、デザインの持つベクトルのこと

営みとしてのデザイン:
 - より良い状態を実現しようとする行為
 - 問題解決のアプローチや手法の全容

ところで、そもそもデザインとは何を目的にした行為でしょうか。
先ほどの形としてのデザインと矛盾していますが、デザインとはイラレやフォトショをいじったり、figmaを触ったり、図面を引いたり、アイディエーションしたり、プロトタイプを作ることではありません。
そんなことは(不要であれば)やらなくてもいいんです。

デザインをプログラミングに例えましょう。
プログラミングは要件を定義し、詳細を設計し、コードを書きますが、プログラミングとは要件定義でもコーディングでもありません。
プログラミングの目的とは「何かを実装し、動くものを作ること」だからです。
コードはその手段に過ぎません。だからこそ、AI時代にはAIにコードを書かせてもそれがプログラミングになりますし、ノードベースでツールを作ったっていいんです。

同様に、デザインにおいてもそれらのプロセスやツールを使うこと、手を動かすことは手段に過ぎません。よく目的と手段が錯誤しています。
ではデザインとは何をやっているのか?
デザインの定義も人により様々ですが、私の定義では、デザインとは「対象物や状況、環境の、より良い在り方を模索・実現していくこと」です。

デザイナーや当事者が「より良い」と思えるインターフェースを模索・実現するためにfigmaを触り、綺麗で伝わるグラフィックを作るためにイラレやフォトショを触り、鮮烈なプロダクトを作るために図面を引くのです。

ちょっと抽象的ですし、「より良い」にも明確な基準や答えがあるわけではありません。 (ケースバイケースです)がその「より良い在り方を模索・実現していく」ということ自体が「営みとしてのデザイン」です。

3.在り方としてのデザイン

在り方としてのデザインとは探究的な姿勢や、理解、信念など、デザイナー的な思考

在り方としてのデザイン
 - 探究的な姿勢(問い続ける、深く理解しようとする)
 - 価値観や信念(何を重視するか、どう向き合うか)
 
 ざっくりいうと…デザイナー的な思考の仕方

最後の用法です。
今までデザインをやったことない人からすると、「在り方としてのデザイン」が一番馴染み薄いものだと思います。

在り方としてのデザインは、形・営みとしてのデザインを行うときに、どのような態度・姿勢・考え方・スタンスで挑むかと言うマインドに関するものです。

例えば先ほど私のデザインの定義は「対象物や状況、環境の、より良い在り方を模索・実現していくこと」であるとしましたが、デザインは目的や信念を持たず、ただ作業することが可能です。

例えばUIを作る際に、ただ自分が綺麗だと思うものを寄せ集めて作ることが可能です。そもそも「いいもの」を作ろうという意思を持たないで行われる作業的なデザインもありえます。あるいはAIに指示してポン出しさせたり。それはもう形としてのデザインが欲しかっただけですよね。
(もちろん画面がないよりあった方がいいのは事実です)。

単に良いものを考えようね!というだけではありません。
例えば、「使いやすいものの方がいいからUXの視点を取り入れよう」と言うことは可能ですが、そもそも「使いやすい」は多義的です。
「この人にとっての使いやすいとは何か?」を問わずして良い画面が作られることはありません。であれば問い続ける姿勢もまた重要です。

あるいは、モダンなデザインのやり方では「インタビューをしましょう」とそれらがプロセスとして組み込まれていたりしますが、インタビューであっても聞き入れる気がないのにインタビューしても意味がありませんし、表面的な答えで満足してもありきたりのデザインとなってしまいます。

そういう思考の伴わない"デザイン"は基本的にうまくいきません。

つまり私が言いたいのは「figmaで画面を作ることが大事だと錯誤するのではなく、きちんとそこに目的を持とう」ということだったり、あるいは「可能な限りより良いものを模索しよう」「"より良い"は私たちが決めるものではなく、きちんと当事者に聞こう」「本当に解くべき課題はそれなのかを問い続ける」ということだったりします。

抽象的な表現ですが、こういったデザインをやるときに望ましいマインドが、在り方としてのデザインです。

どの"デザイン"が注目されているのか

「デザイン」という言葉は大きく3つの意味を内包している

と言うわけで3つのデザインに触れてきましたが。
結論から言うと、「デザインは重要だ」と言う言説で重要と言われているのは、一般的にイメージされる「形としてのデザイン」ではなく、むしろ手法を飛び越え「より良い在り方を模索・実現していく」という意識を携えた「営みとしてのデザイン」、そして「在り方のデザイン」のような模索・実現するために望ましい態度や力だったりします。

さて、そもそもデザインには営み、そして在り方という領域が存在するために、近年のデザイン領域は爆発的に拡張しています。

サービスであろうと社会システムであろうと、教育にしろAIにしろ、私たちの価値観にしろ、「より良いあり方を模索・実現する」という行為は「デザイン」ですし、その際により良いを模索し続ける信念や問い続ける姿勢を持ち「デザイン」を遂行できるからです。

デザイナーと接したことある人であれば、「営みとしてのデザイン」に関してはなんとなく知っている人もいたでしょう。しかし個人的にデザイナーの質は「在り方としてのデザイン」で決まるとすら思っています。
もちろんツールの使い方や習熟も重要なのですが…例えば立てる問いが間違ってるのに成果物が綺麗でもうまくいかなかったり、そもそも作り込む・切ることの重要さを肌身で感じていたりすること、いいものを目指すことや態度としての「デザイン」が一番重要であると私は言いたいです。

形としてのデザインばかりイメージされるが、
営みとしてのデザイン、在り方としてのデザインは非常に重要

この態度としての「デザイン」…言い換えると「デザイン的態度」こそが、今日の複雑な社会課題や企業戦略において、多くの突破口を与えてくれる可能性を秘めているのですが、その大切さが十分に共有されず、「デザインの民主化」が進みにくい現状があるのです。

2. 「デザイン的態度(Design Attitude)」はどのような価値を持つか

専門的には、こうした「デザイナー的な態度・姿勢」を示す用語としてDesign Attitudeが使われます。

例えば次のような姿勢が含まれます。

1.可能性志向
「今ある制約の中で何ができるか」ではなく、「理想的な状態を実現するために何が必要か」という視点で考える。
2.繰り返し問い続ける
完璧な解決策を一度で見つけるのではなく、プロトタイプを作り、テストし、改善を重ねていく姿勢のこと。
3.人間中心
技術やビジネスの視点だけでなく、実際のユーザーの体験や感情を重視すること。
4.システム思考
個別の問題だけでなく、それが存在する文脈や関連する要素全体を考慮すること。
5.創造的楽観主義
問題を制約としてではなく、新しい可能性を見出すチャンスとして捉えること。

デザインに答えはありません。
世界や人々が変わり続ける限り、その際に適切-妥当な解も変わり続けます。VUCAの時代と言われるぐらいです。私たちは解を考える力が必要なのです。
ゴールを定めすぎず、問いを立て直し、行動と検証を繰り返しながら、少しずつ世界を変えていく――そうした終わりなきプロセスとして捉えるのが、デザイン的態度の要諦といえます。

では、「デザイン的態度」はどのような価値を持つでしょうか?

従来の領域:UX・グラフィック・UI・プロダクトの場合

まず、従来から存在するUXデザイン、グラフィックデザイン、UIデザイン、プロダクトデザインなどで、デザイン的態度は重要な要素です。

  • UX・UIデザインの場合
    単にユーザーにとって“使いやすい画面”を作ろうとするときも、ユーザーが置かれている環境やリテラシー、隠れたニーズや感情などに目を向ける必要があります。形としてのUIのアウトプットより先に「彼らは本当に何に困っているのか?」「本当はどうありたいのか?」という洞察が欠けてしまうと、いくら見た目が美しくても誰も使わないサービスになってしまう可能性が高いのです。

  • グラフィックデザインの例
    ロゴやポスター、広告バナーなどを作る際にも、単に「カッコいい」「目を引く」だけではなく、それがどのような文脈で使われるデザインなのか、そしてどんなメッセージを受け手に届けたいのかを追求する姿勢が重要です。最終的に見えるのは“形”でも、その背景には常に「なぜこのデザインが適切なのか?」という問いかけがあります。

  • プロダクトデザインの例
    工業的なデザインにおいても「今、何が本質的に求められているのか」を問い続けることで、単なる“きれいな外観”を超えた意義あるプロダクトが生まれるのです。

重要度の高い領域:トランジションデザインやスペキュラティヴデザインの場合

「デザイン的態度」が特に注目される領域として、トランジションデザインスペキュラティヴデザインなどの未来社会や大きなシステム変革を扱う領域のデザインが挙げられます。

  • トランジションデザイン
    エネルギー問題や地域再生、環境保全など、長期的かつ社会的インパクトの大きい課題を扱うアプローチ。すぐには解が出ない問題に対して、問いを立て直し、実験を重ね、社会全体を持続可能な方向へ少しずつ転換していく試みを指します。
    「今の社会システムを根本から見直す視点」や「複数のアクターを巻き込みながら対話する姿勢」が欠かせません。形だけ“新しいサービス”を導入しても、制度や文化がついてこなければ変化は起こりにくいのです。まさに「答えがない」状態でも歩みを止めず、自ら問いを作り続けるデザイン的態度が核となります。

  • スペキュラティヴデザイン
    「未来社会」を大胆に想定し、あり得るかもしれないシナリオを仮定してプロトタイプやビジュアルで提示し、人々に問いを突きつけるデザイン手法です。
    たとえば、AIが生む超自動化社会や、遺伝子編集が当たり前になった未来、気候変動が進行した世界などを想像し、そのときに私たちは何を大事にし、どんな課題に直面するのかを考えさせ、これは“どんな解決策を提供するか”より前に、いかに鋭い問いを立て、人々の思考を揺さぶるかが重要です。決まった回答を出すのではなく、「社会や個人の価値観はこれで本当にいいの?」という問いを育んでいくプロセスに、デザイン的態度の真髄があります。

デザイン以外の領域での普遍性:技術・ビジネス・教育など

デザイン的態度はいわゆる"デザイン"の対象だけでなく、どんどん広がっていくでしょう。

  • AIの研究・開発
    人間中心でないAIシステムが暴走したり、倫理的・社会的問題を引き起こす危険性が議論されている今こそ、「そもそもAIは何を目的に実装されるのか?」を考え直すデザイン的態度が重要です。私が普段発信してるのは概ねこういうことな気がしています。

  • ビジネス戦略
    競合他社や市場動向を追うだけでなく、「ユーザーはどんな価値を望んでいるのか」を問い続けることで、より本質的なデザインを目指します。

  • 教育現場
    授業づくりやカリキュラム設計においても、これからの時代に何を学んでいくべきかや、どう学びはあるべきかなどを再考し、学びをプロトタイピングして改善していく姿勢が求められています。

デザイン的態度はあらゆる領域に展開しうる「基盤的な考え方」と言えます。「問いを立てる力」にも近いのですが、デザインにはもう少しベクトルが存在し、「より良いを目指し走り続ける力」ぐらいに言ったほうがいいかもしれません。
私たちが暮らす世界や文脈が動き続ける限り、デザインの対象領域は広がり続けます。
そしてどの領域でも答えが固定化されにくく、状況に応じてアップデートしなければならない課題やニーズが存在します。
そのためこそ、終わりなき問いを立て続けるデザイン的態度がますます重要度を増していくのではないでしょうか。

3. デザイン的態度はなぜ重要か

デザイン的態度が抜け落ち、デザインが形ばかりのものとなると、実際どんなことが起きるのでしょうか。
いくつかの例を見ていきましょう

パターン1. 態度が欠落したデザイン導入の行き着く先

組織においてデザイン導入…といえばやはりデザイン思考でしょうか。
私から言わせて貰えば、デザイン思考の導入に失敗したのは、デザイン的態度が欠けているからです。

デザイン思考はスタンフォード大学d.schoolやIDEOによって提唱され広まった、「共感→定義→創造→プロトタイプ→テスト」のプロセスで、イノベーションを生むと紹介され多くの企業がワークショップに飛びつきました。

しかし実際は、「ブレストで付箋を貼ってみた」「ユーザーヒアリングをした」程度で終わり、「斬新なアイデアは出たが、実際には役に立たない」だの「既存の評価基準で却下されて終わり」「組織が動かない」などの評価も大きく聞きます。

デザイン思考のプロセスや発想が悪いんじゃないんです。本質的な問いの再定義そもそもユーザーに対しての共感に求められる態度社内外のステークホルダーとの継続的対話といった「デザイン的態度」が欠けているために、うまくいかないんです。
要するに、形(ワークショップや手法の導入)だけやってデザイナー気分になっても、態度(根本的な疑問を持ち、ゴールを未確定なままでも変化をリードしていく姿勢)が共有されない限り、本質的な変革にはつながりにくいのです。

ツールやプロセスはデザイン的態度を支える“手段”にすぎず、そもそも「根本的な問いを持ち続ける意志」や「失敗を恐れずに試行錯誤する文化」がなければ、どれほど優れた手法を使っても、形骸化してしまいます。

形としてのデザインは、短期的に見て“それらしい”成果物が生まれやすいばっかりにみんなが飛びつくのですが、万能の銀の弾丸などなく、頭を使わなければいけないのです。

パターン2.UXデザインをやっているはずなのに、ユーザーに使われない

UXデザインに答えはありませんが、妥当性はあります。
UXデザインのプロセスは手段に過ぎません。むしろ常に中心におくべきは「これで人々が幸せになるのだろうか?」「これが人々にとって良いものだろうか?」「これが本当の課題-苦しみだろうか?」という問いを持ち続けることで、何の手段を行うときもそれが基準となります。

この視点が抜けてしまうと、せいぜい「網羅的に資料を作ろう」とか「実在のユーザーにインタビューしよう」ぐらいで止まってしまいます。

むしろその視点を持っているのであれば、ステップに沿わずとも、あらゆるタイミングでそのジャッジが可能だと私は思っています。
(もちろんそれが実在のユーザーから乖離してないか、という見直しは常に必要ですが)

ユーザーに寄り添うとはどういうことかや、ユーザーの方を見ていないのに、形だけプロセスを回しても無駄でしょう

パターン3. 組織・社会の文化や構造が変わりにくい

「デザインの民主化」を実現するには、個人の学習やスキルアップだけでは不十分です。組織や社会の意思決定プロセス、評価制度、時間配分、利益モデルなどが、挑戦と失敗の許容を含むデザイン的態度を支援するようになっていなければなりません。

しかし、「デザイン的態度」の存在が意識されていないこと自体が余計に「デザイン的態度」の立場を悪くします。

  • 短期的なKPIや利益目標への過度な集中
    デザイン的な取り組みは長期的・探索的な性格を伴うケースが多いので、短期的な数値評価や ROI ばかりが重視されると、中長期の視点で「より良い形」を追求しにくい傾向があります。
    もちろん企業によっては中長期的投資がしづらいことはあるでしょう。しかしながら、答えのある-決まりきったことをやっているだけではしょうがなく、不確実性に挑むことも大事なのでは、と思うこともあります。

  • 専門部署への丸投げ
    組織の中でデザイナーだけがデザインをやる人と考えられていると、他のメンバーは「自分には関係ない」と受け止めてしまいます。しかしながら良いものを作るのには実務者だけが意識を持つのではなく、実際にはそれを支える環境や、承認、決裁、営業などなど…幅広い人がその意識を持っていないと必ずつまづきます。ステークホルダーが多いのです。

  • 変化への抵抗やリスク回避思考
    デザインは不確実性が高いです。なぜなら元より答えのないものに挑んでいるから。しかしながら、多様なステークホルダーの合意形成が必要な社会や大企業などでは、リスクを取りたがらず「答えがある-確度が高い」問いに向き合おうとします。
    仮にデザインにダイナミックな変化がありえるとしても、組織側にリスクを取る覚悟なければ、デザイン的アプローチによる変化が受け入れられにいでしょう。

  • デザインへの幻滅を引き起こす
    こうした積み重ねは、デザイナーを幻滅させ、同時にそれ以外の人をも失望させます。
    デザイナーは「組織の理解がない…」と燻りますし、それ以外の人が「デザインに期待したのに、うまくいかなかった」という評価的な立場をとることに繋がります-本当は組織全体でやらないといけないのに。
    結果として、組織全体で「デザイン的アプローチなんて絵空事だ」と見なされてしまう可能性もあり、「ツールや形式を使えば即成果が出る」という過度な期待や、組織文化とのミスマッチは解消していかなければいけません。

デザインはデザイナーに任せるには重要すぎる

デザインはパワーを持つからこそデザイナーだけに任せるのではなく、組織全体でやっていかなければならない、と主張されることもあります。

デザイナー自身としても、みんなでやっていきたいのです。
重要すぎるのに、デザイナーの仕事だと思われて皆が我関せずでは、うまくいかないのです。

4.なぜデザイン的態度が根付かないか

「デザイン的態度」がわかってきたところで、なぜそれが多くの現場や組織、社会に根付かないのかを考えます。ここにはいくつもの要因が複雑に絡み合っていますが、いくつか主要なポイントを挙げてみましょう。

1.“正解志向”が染みついた教育・組織文化

日本に限らず、多くの国・地域の教育システムや組織の評価軸は「正解を導き、ミスをしないこと」を重視しがちです。テストでは1つの答えを求められ、入試や就職でも「定まった基準で合否が決まる」という経験を積み重ねてきた私たちは、不確実性や問いを立て続けるプロセスに慣れていません。
デザイン的態度は「答えのないものに挑み、自分で問いをつくり、試行錯誤していく」ことがベースにあるため、いわゆる“正解主義”の教育・組織文化と相性が悪いのです。「間違えてはいけない」「失敗はマイナス評価になる」と思い込んでしまうと、創造的な試行や大胆な変更はリスクにしか見えなくなり、デザイン的態度が育ちにくくなります。

2. 短期的成果を求めるビジネスロジック

企業活動はKPIやROIなどの数値目標に基づいて動いています。株主や取締役など外部ステークホルダーも、経営陣に「短期的な利益・成果」を期待しやすい。デザイン的態度がもたらすメリットは、しばしば中長期的・探索的な取り組みを通じて顕在化するため、今期・来期の数字を最優先する企業文化とは衝突しがちです。
「長い目で見れば意義が大きい」ことを理解していても、今すぐ結果が出ないものにリソースを割くのは難しい。結果的に“場当たり的なUX改善”や“形だけのデザイン思考ワークショップ”に留まり、本質的な態度が組織全体に根付くまでには至りません。

3. “デザイン=制作”という誤解や固定観念

デザインといえば「グラフィック」「UI」「服飾」など“見た目”を整える営み、というイメージがまだまだ根強いのも確かです。組織内でも「デザインは専門部署(または外部のデザイナー)に依頼するもの」という認識が残り、経営陣や他部署のメンバーが「自分たちもデザインする」とはなかなか思えません。
しかし、先に述べたように「形としてのデザイン」はデザイン領域の一部にすぎません。多くのビジネスパーソンやエンジニア、NPO活動家など、肩書や職種を問わず「より良い在り方を模索・実現する」姿勢を発揮できる余地は大いにあります。ここを誤解したままだと、「デザイン的態度」を自分ごと化できずに終わってしまいます。

3'.デザイナーでさえも、デザイン=制作と思い込んでいる

いろんなデザイナーがいます。グラフィックを専門とするデザイナー、UIの見た目を作るデザイナー、彼らがいることは重要です。
しかしながら彼ら自身が、「デザインは形を作ること」と捉え、良いものを作ることを中心の信念としていなければ、形を作る以外に必要なことはやらないでしょう。もちろん彼ら自身がアクションすることもまた難しいのですが、それより前のステージのデザイナーもいることも事実です。

4. 成功体験の不足・ロールモデルの欠如

デザイン的態度を取り入れた結果、どのように組織が変わり、社会やユーザーにどんな価値が生まれたのか――その成功例やロールモデルが少ない、あるいはきちんと共有されていないと、人はなかなか動けません。
ここまで私が「デザイン的態度が大事」と言ってきた中でみんなが思ったのは、「それで本当に成果が出るの?」「失敗したら責任は誰がとるの?」ということではないでしょうか?

不安が先立ちます。特に大企業ではコンプライアンスや株主対応の観点から安易にリスクを取れないため、成功事例の存在が重要です。
身近な領域での成功体験がないと、どうしてもデザイン的アプローチを「斬新ではあるけれど、ウチには関係ないかも」と他人事化してしまいます。

私もまた、デザインの力を、成功体験を、人に言葉では伝えられない事実とこの数年向き合っています。

5. デザイン的態度を育むためのヒント

ここからは、組織や個人がデザイン的態度を身につけ、実践していくための具体的なヒントを挙げてみます。
ポイントは「態度を共有するための仕組み」と「実際に試行錯誤できる環境」をいかに整えるかなのだと思います。

1. “問い”から始まるプロジェクト設計

多くのプロジェクトは「解決すべき課題」と「達成すべきゴール」をあらかじめ設定したうえでスタートします。しかし、デザイン的態度を身につけるには「そもそもその課題設定は適切か?」「本当にそれが解決すべき問いなのか?」と立ち止まる場を最初に設けることが重要です。
具体的には、プロジェクトのキックオフミーティングなどで「このテーマを掘り下げる上で、いま自分たちが感じている違和感は何か?」「ステークホルダーは本当に誰なのか?」「10年先の未来を想像したら、どんな問題が見えてくるか?」など、問いの棚卸しを必ず行いましょう。こうすることで「最初に決めた前提を無条件に正解としない」心構えが全員に共有されます。
例えば1時間だけ“問いづくり”の時間を確保してみるのはいかがでしょうか。

2. 失敗と学習を歓迎する評価制度・文化づくり

先述したように、短期的な成果や数値だけを重視する組織文化では、デザイン的態度の芽は育ちにくいです。そこで、実験と失敗を評価する仕組みを作ることを検討しましょう。
たとえば、新規事業の検討プロセスで「どんな実験をして、どんな学びを得たのか」をKPIの一部にする。あるいは、プロトタイピングやアイデアの検証スピードを評価対象に含める。最終的な売上や契約数だけではなく、過程で得られたインサイトや組織の変化に注目するようにすると、デザイン的アプローチを試すハードルが下がり、挑戦しやすくなります。

3. 小さくとも成功事例を可視化・共有する

大規模で派手な成果こそが注目されがちですが、デザイン的態度の醍醐味はむしろ地道な“問い続ける”文化の積み重ねにあります。プロトタイプやワークショップが失敗に終わったと思われても、その中で得られた副次的な発見や、チームの凝集力向上といった“小さな成功”を見逃さず、こまめに共有しましょう。
売り上げとKPIだけが全てではないのです。ユーザーの「これいいですね!」という声も成功です。
社内SNSでの公開や定例ミーティングでの「最近気づいたこと」シェアなど、失敗含みの学びをオープンに交換する場を設けることが大切です。こうした小さな成功体験や学びの共有が積み重なると、「実はウチの組織でもこういう変化が起きるんだ」と気づく人が増え、デザイン的態度への抵抗が薄れていきます。
成功事例も、失敗事例も、小さなものから大きなものまで週に1回、失敗事例を共有し合う、と言うのもいいかもしれません。

4. 異なる専門性や部署とのクロスオーバー

デザイン的態度は、異質な視点との接触から生まれる化学反応とも相性が良いです。デザイナーだけでなく、エンジニア、営業、マーケター、研究者、さらにはユーザー自身や地域住民など、多様なステークホルダーを巻き込むことで「問い」の幅が広がり、新たな着想が得られます。
たとえば、定例的に異なる部署のメンバーが一緒にブレストする機会をつくる、あるいは外部のコミュニティと連携して週末にアイデアソンを開催するなど、専門領域を横断する仕組みを設計しましょう。ここで意識すべきは「形だけコラボする」のではなく、お互いの文脈やゴール、こだわりを深く理解する時間を最初に設けること。そこを省略すると、ただ会議室に人を集めただけで終わってしまいがちです。

5. ロールモデルを探す・つくる

デザイン的態度を組織や社会にインストールするためには、誰かが小さく実践して成果やプロセスを公開し、ロールモデルとなることが有効です。大きなプロジェクトでなくても、部門ごとのマイクロプロジェクトや個人レベルのチャレンジで構いません。
それを可視化し、「こんな失敗もあったけど、最終的にはサービスのUIが改善され顧客満足度が上がった」など結果を共有することで、他部門が「自分たちもやってみようか」と動き出すきっかけになります。個人レベルでも「●●さんは普段から顧客の声を積極的に聞いていて、常にアイデアをプロトタイプしているらしいよ」といった噂が広まると、少しずつ組織文化が変わっていくことがあります。

6. 社会や教育現場との連携・エコシステムづくり

最後に、社会全体でデザイン的態度を育むには、企業や個人だけの努力にとどまらず、教育が重要度を増すでしょう。
小学校や中高での探究学習カリキュラムにデザインアプローチを導入する事例が国内外で増えていますし、自治体が主催する地域課題解決型ワークショップにデザイン的態度を盛り込む動きも出てきています。
行政の施策レベルでもイノベーション推進の一環としてデザインセンターを立ち上げたり、産官学連携でトランジションデザインの研究拠点をつくったりする事例が海外には見られます。こうした仕組みが社会に広がると、“正解志向”の教育から“探究志向”の教育へシフトしやすくなり、未来を見据えた新たなロールモデルも生まれやすくなるでしょう。

6.在り方としてのデザインに心折れそうな人たちへ

っていうのめちゃくちゃわかる上で、「あまりに組織の理解がなくて苦しい」という人は多くいるでしょう。
自分もいろいろやってみたが変わらなかった組織もあります。
どうすればいいんでしょうね。

私の推進のモチベーション

私がなぜまだ発信しているか、大きくはまだ可能性を信じられているからです。最大のモチベーションは怒りかもしれません。
後述しますが、AIの台頭がゲームチェンジャーになる可能性を感じて言います。

声かけてください

心折れそうな人がいれば、声をかけてください。
別に自分も答えを持っているわけではないんですが、ただわかるのは孤立はしんどいということです。

AIに期待を寄せてみる

 AI触っていますか?ものすごくざっくりAIのことを説明すると、私はAIの本質的なインパクトとは人件費の崩壊だと思っていて、「今まで20人の問い合わせを1人でしてたCSカスタマーサポートが、急に一人に対して20人分のパワー(AI)で相手てできるようになる」というイメージが一番近いです。

私一人のできることがAIで増えるなら、組織のサイズが小さくなったり、私自身で何かを始めることもできるかもしれません。あるいは今以上にユーザーや課題を抱える当事者と一緒にデザインするという世界観もあるかもしれません。

この辺り詳しくはこちらを。

まとめ:デザインは巡礼である

「デザインが未だ民主化できていない理由」は、結局のところ、デザインを行為として真似することと、デザイン的態度を自分のものにすることの間には大きな溝があるためです。
もちろんプロダクトやグラフィック、UIなどの狭義の“デザイン行為”も大切ですが、それを支える根源的な“態度”――より良い形を探り続ける意志、問いを立て続ける姿勢、社会との関係性を再編する想像力――が欠落しては、本当の意味でのデザインの可能性は活かされません。

そして、その“態度”を身につける道のりは、終着点がありません。社会は動き続け、技術も進歩し、価値観も揺れ動くからです。
「これで完璧だ」と思った瞬間にも、新たな課題や変化が待ち受けています。その意味で、デザインは「巡礼」のような営みです。解決策を出して終わりではなく、常に次の問いが生まれ、次の可能性を探究し続けることこそが“デザインの真髄”と言えます。

「民主化」という言葉が示すように、デザインはもはや一部の専門家だけのものではありません。AI時代の到来や社会課題の複雑化によって、むしろ「誰もがデザインに関わらざるを得ない」状況になりつつあります。そうであればこそ、私たち一人ひとりが「デザイン的な態度」を育むことが不可欠です。

このプロセスを通じて初めて、グラフィックやUI、プロダクト、サービス、システム、未来ビジョンに至るまで、あらゆるデザイン領域が有機的につながりながら、社会全体が“デザイン的”に動き出すのではないでしょうか。デザインの民主化とは、まさにそうした“デザイン的態度”の輪が広がっていくこと。そのためにはまず、一人ひとりの「デザイン的であろうとする」決意が欠かせないのです。

参考:

総じて、「そうはうまくいかねぇよ」って思った人のための記事です。そうはうまくいかないんですよ。わかってます。
でもそれはアクションをしなくていい理由にはならないかなって。

補遺.もっとクイックな方法はないのか…と思った人に

さて、この記事の意図はわかるが少し理想論に偏りすぎているように感じる…という人もいるでしょう。
実際の現場で苦労している人々にとって、もう少し地に足のついた議論があった方が良かったのではないでしょうか。

私が言ってるのは結局、「デザイン的態度がない人はダメ」というような二分法的な話をしていますし、既存の組織やビジネスの制約に対する理解が浅いという人もいるでしょう。

この記事に、「小さな改善から始められる具体的なステップ」や「組織の制約の中でも実行可能な方法論」や「完璧なデザイン的態度を求めすぎない現実的なアプローチ」といった建設的な内容を求めていた人もいるでしょう。

わかります。
でも、デザインが難しいのは、まさにそういう簡単な解決策が存在しないからなんです。組織の文化を変えるのも、人々の態度を変えるのも、本質的な価値を生み出すのも、どれも地道で困難な作業です。

万能でいつでも使える銀の弾丸を見つけるために時間を使うのか、地道に変化していくのか、悩ましいところですね。

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いく@アートがわからない
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