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自分なりに写真について向き合ってみる

僕がカメラを本格的に始めて、もうすぐ1年になる。

愛機のNikon D5300。
この子を手にして一変した。

驚くほど早かった。けれど、未だに何を撮りたいのか、自分でもはっきりとは分からない。

それでも、ただシャッターを切る楽しさは確かにあった。


撮影を始めた頃から、大好きな車を撮るのは楽しい。

車のフォルム、その光沢。

光の角度や背景によって、同じ車でも表情が変わる瞬間は、見ていて飽きることがない。

ずっと乗ってるワゴンR。
ターボで快適。燃費もそこそこ笑

ガジェットもそうだ。

カメラを持ち始めてからというもの、最新のテクノロジーが集まったガジェットの形やディテールにも、自然と目が向くようになった。

手のひらに収まる小さな機械の中に、無数の機能が詰め込まれている。

それを写真に残すことで、自分の手元にある「未来」を映し出しているような感覚になる。

持ってるレンズ。
200mmって結構便利ですよね✨

でも、それだけじゃない。

美しい風景や自然にも、心惹かれることが多い。

広がる空や山々、そこに風が吹き抜ける瞬間をカメラで切り取る。自然が見せる一瞬の輝き、たとえば夕焼けの時間や、霧に包まれた朝の風景。

それらは一度カメラに収まってしまうと、まるで永遠に続いていくように思える。

自然の圧倒的な奥行。
これってよく考えると凄いものですよね👏

花もまた、僕にとって特別な被写体だ。

揺れる花々の動きが好きだ。

強風で吹き飛びそうなくらい軽やかに揺れているかと思えば、次の瞬間には静かにたたずむ。その静かな瞬間を撮ることが、僕の小さな喜びになっている。

色、綺麗ですよね。
吸い込まれるような☀︎

動物も同じ。

飛び交う鳥や虫たちは、思うように撮れない。

その不規則な動きに振り回される。

でも、その一瞬一瞬が「撮りたい」という衝動を生み出す。どこか自由で、予測できない瞬間にシャッターを押すのがたまらない。

実家のまぐちゃん。
お外に何かいたのかな…?

これらすべて、僕にとって大切な被写体たちだ。

見るのも、撮るのも好きだ。

でも、自分の腕を誇れるわけではない

人に見せられるような写真か、と言われると、正直自信はない。自己満足の域を出ていないのかもしれない。

でも、楽しいから続けている。写真を撮る理由なんて、それで十分だと思っていた。

月も撮れた。晴れてよかった🐰🌕

しかし、最近ふと考えた。

「それだけで本当にいいのか?」と。

自己満足だけでは、写真を見てもらえない。

たとえ趣味であっても、撮った写真を人に見てもらうならば、やはりテーマが必要なのかもしれない、と。


最近は、あえて題材を据えてカメラを構えることを試している。

例えば、「季節」をテーマに撮るなら、その季節にしかない風景を探す。花が咲く瞬間や、葉が落ちていく過程。そういったテーマがあることで、写真にまとまりが生まれてくる気がする。

何を撮りたいかが定まらない僕だからこそ、テーマを決めて撮ることで、新しい発見があるのかもしれない。

ふと、海の風に当たりたくなって港に出た時。
涼しい風が吹き抜け、海の音だけが残っていた。

とはいえ、肩の力を抜いて気軽にシャッターを切る楽しさは、これからも続けていきたい。

題材にこだわる撮影と、自由気ままに撮る撮影。

どちらも楽しめることが、写真を続ける理由になるんだと思う。


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