世界一周6か国目:スリランカ美術(2022年9月23日~10月1日)
経済破綻、そして大統領逃亡
バンダラナイケ国際空港からコロンボまでのエアポートバスは空港時点では同乗者0で、途中乗り込んできた人たちも観光客ではなく現地のスリランカ人のみでした。外国人は筆者のみ、そして運賃もガソリン価格高騰により相場の3倍ということもあり、渦中にいることを実感した矢先、道中目に飛び込んできたのは炎に包まれた大型トラックでした。
ある意味想定を裏切らない光景を目の当たりにし緊張が走りましたが、周りの現地人たちも騒然としていました。どうやらこれは日常的な光景ではないと察すると同時に、メディアが創り出すイメージはこういう非日常的な瞬間を積み重ねているのかもしれないと、この状況のメタ認知に努めました。
これだけをアップしたら今スリランカやばい治安悪いとなるかもしれませんが、周囲の様子的にこれは事故で、大統領逃亡や経済破綻とはおそらく関係ありません。どこでもあるときはある。私がここに見に来たのはこのような瞬間ではなく、スリランカが誇れる部分です。自分の目と心と頭でちゃんと見ようと気を引き締めました。
スリランカが誇るエースストライカー
多額の債務を抱えながらも中国からの借り入れを止めることなくインフラ整備に突き進んだスリランカ前大統領。リスクを背負いながらも突き進む姿勢に関しては、よく言えばエースストライカー気質がスリランカの政治にあるのかもしれません。
2022年12月現在、日本中、世界中が盛り上がっているサッカーW杯。日本にはエースストライカーがいないという状況が、主役不在の日本社会と重ねて長年指摘されてきましたが、徐々にエースストライカーと言える存在の片鱗が見え始めている今日この頃。
一方で、スリランカの観光業には以下のエースストライカーが圧倒的存在感を放っています。
ダンブッラ石窟寺院
コロンボから北東に160kmほど進んだところに、スリランカ必見の洞窟壁画があります。ダンブッラ石窟寺院です。ダンブッラとは「水の湧き出る岩」を意味し、2千年以上止まることなく、聖水とされる水が天井から滴り落ちています。
2千数百年前に建立されて以降何世紀にも渡りたくさんの画家たちによって描かれたものですが、染み出る水や湿気、参拝者たちが焚くお香の煤などで壁画が傷む度に修復され続けてきました。現在見られる壁画は、17世紀から18世紀にかけて修復された際のものです。
描かれているのは釈迦の生涯を表す仏伝図。フランス南部のラスコー洞窟壁画は、洞窟の凹凸を活かして膨らみのある部分に動物の腹を持ってくるなどしていました。一方でダンブッラは凹凸なんて無かったかのように無視して描いていて、そこに仏陀の世界観を表現する信念を感じます。
ダンブッラ壁画博物館
ダンブッラ石窟寺院がある山の麓には、壁画博物館があります。現地で実物を見た後に隣接している博物館の展示を見るというサイクルを、筆者はイタリア各地で何度も繰り返していた経験があるためこの流れにホーム感を感じます。最近行ったところは博物館が隣接されていないことが多く消化不良のことが多くありました。
ただ、博物館という展示形態はそもそも西洋的概念なのでアジアで定着していなくても当然。国や地域ごとの見せ方を模索する必要あり、その点タイは自己流で面白い博物館がありました。
タイのWat Khanon Nang Yai Museum動画↓
1500年前の天空宮殿シーギリヤ
ダンブッラよりもさらに異彩を放つスリランカのエースストライカーがシーギリヤです。この小さな島にこれほどの主役が存在することに感激ですが、足を滑らせたら死にます。自分の目と心と頭でちゃんと見ると上述しましたが、岩山を登り切る体力と健康な身体も必要でした。
当時の王には2人の息子がいましたが、兄カーシャパは勘違いによって王を殺してしまいその報復を恐れ狂気と共に創り上げたのがシーギリヤ天空宮殿です。
元々はシーギリヤの岩肌全面に壁画が描かれていたとのこと。数で言うと現在のシーギリヤレディが18体であるのに対し元々は500体も描かれていたようですが、剥き出しの状態のため窪んでいる部分以外消失しています。イギリス統治時代の足場、階段、手摺りがある今ですら、これらに命を預けたくないもののこれらにすがるしかない落ちたくないという一心で登りましたが、当時はどのように足場を組んで壁画制作に当たっていたのでしょうか。おそらくは現在の階段の何倍も不安定です。シーギリヤレディの中には修正箇所をそのままに上書きされた部分も随所に見られ、落ち着いて描く余裕がなかった様子が伝わってきます。
不安定な足場で何人が犠牲になろうが、不完全な壁画であろうがカーシャパは突き進みました。
壁画に見る国際関係
同時期に描かれたアジャンター石窟寺院の壁画にある女性像との類似性がよく指摘されています。絵画表現の基盤に南インド美術の影響は間違いなくあったと考えられますが、シーギリヤレディをじっくりと鑑賞していると南インドよりも西洋的技法の影響をより強く感じます。アジャンターのそれよりもリアリズム寄りの表現で、さらに500年以上前に描かれた古代ローマの傑作の1つポンペイ秘儀荘の壁画との間にあるような作風です。現に、西暦500年頃のローマ貨幣も見つかっています。ローマの技術者との交流もあったに違いありません。
つい最近まで南インド側勢力との争いが絶えなかったスリランカ。上述のダンブッラ石窟寺院も、建立のきっかけは紀元前1世紀に南インド側勢力であるタミルに追われた王が身を隠したことにありました。近場の脅威から身を守るため、遠方であっても巨大な勢力であるローマと親交を深めようとした結果が、インドとスリランカの絵画表現の違いに表れている気がします。
そして現在に至るまで南インド側勢力に長年悩まされてきたスリランカが、インドと犬猿の仲である中国からの借り入れを破綻覚悟で受け入れるのも順当な流れなのかもしれません。
495年兄カーシャパが決死の覚悟で完成させたシーギリヤですがわずか11年で陥落し、その後政権を奪還した弟モッガラーナが都を移したため忘れ去られます。その後イギリス人に発見されることになるのは1000年以上先の1853年、イギリス統治時代のことでした。
シーギリヤ博物館
隣接のシーギリヤ博物館は展示内容が丁寧にわかりやすくまとめられていて必見ですが、なんと2009年7月28日に日本がつくったものでした。
なぜこんな素晴らしいことを、こんなに貢献していることを日本国民に共有しないのか疑問に思ったと共に、日本の善意でこれをつくったならば、一律で高額な入場料ではなく日本人には特別料金を設定してもいいのではとの思いもなくはありません。
しかし、どうやら日本はスリランカに大恩があるようです。第2次大戦中に日本はスリランカを攻撃したものの戦後スリランカはそれを許し損害賠償の請求はせず、1951年サンフランシスコ平和条約締結後の日本と、他の国々に先んじて友好条約を結び国際社会復帰を後押ししたという背景を知りました。スリランカの経済破綻を人ごととは言えないほど赤字が膨らみ続けている日本ですが、それでもなお人知れず大規模な支出をする背景には、やはり理由がありました。
館内のトイレはTOTOなど日本企業ではなくAmerican Standardというアメリカ企業のものであるなど、文化事業の支出ではありますがその支出先に政治的・歴史的側面を多々感じました。
仏陀が訪れたケラニヤ
スリランカでは仏陀が3度来島したと言い伝えられていて、3度目の来島で訪れたとされる場所がここケラニヤです。寺院の内外問わずたくさんの人がお参りをしています。
本堂内部の壁画や彫刻は1753年作と比較的新しいですが圧巻で、首都コロンボ近郊では上記2カ所に肩を並べ得る唯一の場所です。
メディアの影響力と情報の重要性
トラックの炎上を見たときのように緊張が走ったのは、野犬を除くと、後にも先にもあの時だけでした。国が経済破綻したということが国民の生活にどう影響してるのかよくわからないくらい落ち着いています。
ただ、コロナ禍、そして経済破綻による情勢不安定によって上記エースストライカーの活躍の場である観光業が消失したということは事実のようで、滞在中は終始外国人観光客を見かけることはありませんでした。
唯一外国人に会ったのはコロンボ市内からバンダラナイケ国際空港に向かう帰途、路線バス車内でした。現地の人は皆途中下車し、空港へは筆者とロシア人女性のみに。空港に着いたもののチェックインの時間がまだ先なので先にフードコートにチキンを食べに行こうとなった我々を止めた空港係員とのやり取りからNo check in, No chickenという名言が生まれ、それは俺のせいじゃないぞと爆笑する係員。そんなこんなで空港での待ち時間を一緒に過ごしていた際、飲んでいたコカコーラからロシア・ウクライナの話に。コカコーラはロシアから撤退済み。一瞬で笑顔が消えて涙目になるロシア人女性。
スリランカ滞在で感じたことと同じことを感じました。大統領逃亡と国の経済破綻が、いかに国民の生活とかけ離れたところで起きているか。政治と国民感情がいかに切り離されてるか。
史実など過去の出来事は史観で切り取れますが、現在進行形で変化している瞬間は切り取れません。自分の目と心と頭でちゃんと見ることの大切さを痛感した渦中のスリランカ滞在でした。
参考文献
竹内雅夫『スリランカ 時空の旅 遺跡を旅して知った歴史と仏教』東洋出版 2008
前田耕作他『東洋美術史』美術出版社 2000
肥塚隆・宮治昭『世界美術大全集 東洋編 第14巻 インド(2)』小学館 1999
にしゃんた『ブッダと歩く神秘の国スリランカ』キノブックス 2015