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レビュー・音楽・『私は猫の目』・椎名林檎

基本情報

・形態:音楽、映像
・年:2023

概要

表題曲『私は猫の目』とカップリング曲『さらば純情』が収録された、デビュー25周年を記念したCDシングル。
また、『私は猫の目』を中心としたミュージック・ヴィデオも公開されている(https://www.youtube.com/watch?v=xl_fGKFFq_Y 、2023/6/18閲覧)

既存の批評

「確実に今日の椎名林檎という作家の凄味を宿した作品となっている[...]。社会現象に祭り上げられ、幾度も傷を負いながら、それでも生き馬の目を抜くポップシーンに身を晒し創作し続けてきたからこそ、辿り着いた今だ。」(https://rockinon.com/disc/detail/206420 、2023/6/18閲覧)

以下、各曲について分析を行った後に、シングル全体について考察を行う。

『私は猫の目』:様々な環境に適応できる柔軟性

曲の構成やミュージック・ヴィデオから、本曲のハイライトは、ギターやシンセサイザーのソロの後の、下記の詞が歌われる部分だと考えられる。

篦棒滅法当てずっぽうに
丁か半か賽の目は出鱈目
まだ増しよ
勘を信じられるほうが
まっとうよケセラセラ!

土台状況次第相手次第で
受け容れてしまう性こそ
諸行無常
[...]
私は猫の目

歌詞カードより引用

上記の歌詞の前半部分は、「当てずっぽう」や「出鱈目」といった運や偶然よりも、自らの「勘」、すなわち直観を信じることが言われている。
一方で、後半部分では「土台状況」や「相手」といった自らの周囲の様々な環境に適応することができ、その点が猫と類似していると述べていると考えられる。
ここで前者の「自らの直観を信じる」ことと、後者の「様々な環境に適応できる」ことの関係は、並列的であり、どちらも同時に成立していると考えられる。
だが、表題が『私は猫の目』であることを考慮すると、上記二つの主張の内、後者の「様々な環境に適応できる」柔軟性の方がより強調されていると考えることができる

『さらば純情』:純情の不変性

曲の構成やミュージック・ヴィデオから、本曲のハイライトは、最後に転調が行われる、下記の歌詞の箇所だと考えられる。

先生もうこれ以上は沢山ですいっそ何もかもを抱き締めたい
手放せないんです汚させるもんか本心はずっと大好きでした

歌詞カードより引用

歌詞の冒頭から上記の箇所の前までは、語り手が自らの「純情」が相手に受け取られなかったことが語られる。
それに対して上記の箇所では、「いっそ何もかもを抱き締めたい」「手放せない」と、受け取られなかった「大好きでした」という純情を抱えて、語り手はこの先も生きていくことを決意したと解釈できる。
そのため本曲では、「大好き」といった純情は変わらないという、純情の不変性を表現していると考えられる

シングル全体の考察:柔軟性と不変性の共存

上記より、本シングルの1曲目『私は猫の目』では様々な環境に適応できる柔軟性が、2曲目の『さらば純情』では純情の不変性が並列的に表現されている。
概念としては、柔軟性と不変性は、変わるものと変わらないものとして対照的であり、それが一つのシングルの中に共存している。
椎名氏はこれまでも対照的なものの共存を、歌詞やシングルやアルバムの曲構成等で表現してきており(例えば、『自由へ道連れ』(2014)における「相反する二つを結べ」という歌詞)、今回のシングルの構成もその延長上として捉えられる。
より注目すべきは、自身の25周年のテーマとして柔軟性と不変性が掲げられたことであり、それは20周年の際の「不惑の余裕」というテーマからより発展し、惑わない自信を手に入れた後に、自身の表現における変わるものと変わらないものが現在探求されていると考えることができるかもしれない

参考

トップ画像引用源
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001614.000000664.html
(2023/6/18閲覧)

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