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ちょっとわかった気になるルネサンス
「ルネサンス」ってなに?
ルネサンスって言葉は聞くけど実際はいつ頃の話?どんなもの?と聞かれたら、意外と答えるのが難しいですよね。今回このノートではルネサンスというものは、どんな出来事で、どんな人たちが活躍した時代なのかをご紹介したいと思います。
さて、では実際、ルネサンスとはいつ頃の、どんなものなのでしょうか。簡単にまとめるとこんな感じです。
「ルネサンス」は、14世紀から16世紀頃までの文化復興を示します。
イタリアのフィレンツェを発祥とした潮流で、古典の再生を目指しました。
日本では、だいたい室町時代くらいの出来事ですね。
さらに細かく分けるとルネサンスには、
・初期ルネサンス(14世紀から15世紀頃)
・盛期ルネサンス(1500年頃から1527年)
・北方ルネサンス(15世紀頃)
という3つの区分があります。
初期ルネサンス、盛期ルネサンスはイタリアを中心とした動きですが、北方ルネサンスはネーデルランド、つまり現在のベルギーやオランダ、ルクセンブルクの方でおこった潮流です。
今回はその中でもイタリア・ルネサンス、特にレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどが活躍した盛期ルネサンスについてご紹介しようと思います。
「ルネサンス」=「再生」
「ルネサンス」という言葉はもともとフランス語で「再生」を意味しています。ちなみに、ルネサンスという動きはイタリアでおこった出来事ですが、イタリア語ではなくフランス語で名付けられました。ちょっと不思議な感じもしますが、実は、これはフランス人の学者ジュール・ミシュレが学問的にこの時期の重要性を認め、活発な著作活動を行い、その著作の中でこの時期を「ルネサンス」と記した影響のためなのです。
では、ルネサンスは「再生」を意味していますが、この時代の人々は何を「再生」しようとしていたのでしょうか?
それを知るためには、ちょっとだけ昔の時代の流れを知ることが必要です。
「ルネサンス」以前は「暗黒時代」?
1315年から1319年にかけて、ヨーロッパは大飢饉に見舞われ、さらに1346年には黒死病つまりペストが流行り、ヨーロッパ人口の3分の1の方が亡くなりました。その他にも拡大を続けるオスマン帝国の驚異や国内の政治的まとまりも弱いなど、この時代は政治的にも経済的にも不毛そのものでした。まさに暗黒時代です。
ですが、今回は少し違った観点からルネサンス以前を見てみます。
ヨーロッパで最も崇拝されている芸術は、「古代ギリシア」の芸術、彫刻です。古代ギリシアの美術は精緻な加工が施され、完成度も高く、素晴らしい肉体表現が行われています。これは、主観的な解釈をできる限り加えずに、自然を描写する、という「自然主義」の思想からくるものでした。
ヨーロッパで最も栄えた文明である古代ローマ帝国も、この古代ギリシアの美術を模倣していたため、長らく古代ギリシア的な芸術と自然主義は継承されていきました。
しかし、ローマ帝国が東西でわかれ、次第に衰退すると、ローマ美術はギリシア美術から受け継いだ自然主義から乖離していきます。そして代わりに初期キリスト教美術が発展することになります。ここからが、なぜ暗黒時代と呼ばれるか、の本題になります。
初期キリスト教美術において、「偶像崇拝」は禁止されていました。そのため、絵画やモザイク画では、神を連想させる象徴的なものを必要としました。そのような過程で、自然そのものを写し取る自然主義やリアルな表現は衰退し、平面的、象徴的、記号的な表現へと変化していったのです。
その後、ルネサンスまで、古代ギリシア・ローマの自然主義や写実的な肉体表現は失われたまま、1000年ほどが過ぎていくことになります。ルネサンスとはこれらの象徴的、記号的な表現に対しての反発からおこりました。
つまり、ルネサンスが再生しようとしたものとは、古代ギリシア・ローマの文化だったのです。
そして後に、古代文化の再生がなされたルネサンスを「光の時代」と評したのに対して、ルネサンス以前を「暗黒時代」と表現したのです。
ただ、ここで誤解してはいけないのが、暗黒時代と一括りにされた1000年の間にも、初期キリスト教美術、ビザンティン美術、イスラム美術、ロマネスク美術、ゴシック美術など様々な美術の動きがあり、そしてそのたびに独自の表現が行われていました。後の人々によって比較されてしまったがために暗黒時代と評されてしまった時代ですが、決して、マイナスのものではありません。時代とともに芸術は変化し、暗黒時代と呼ばれた1000年の間の美術も、ルネサンスの美術もその変化の一部なのです。
なぜフィレンツェだったのか
最初に、ルネサンスとはイタリアのフィレンツェを発祥とした、と書きました。では、なぜフィレンツェだったのでしょうか。その理由は大きく分けて2つあります。
まず、大前提としてイタリアという土地は古代ローマの文化の痕跡を色濃く残していたため。
ルネサンスは古代ギリシア・ローマの文化の文化の復興を目標としました。そのため、イタリアには身近なところに研究対象があるという好条件だったのです。次に2つ目の理由。
有力な一家だったメディチ家が、盛んな芸術擁護活動を行ったため。
飢饉やペストによって大ダメージを受けたヨーロッパですが、その後、陸海ともに交易路が確立され、殆どの地域をつなぎました。そして、交易路を通じ、金銭や商品、思想などが循環するようになり、ヨーロッパ全体の水準が底上げされました。
その中でも特にフィレンツェはメディチ家という有力な一家が存在し、彼れらが当時、実質的にフィレンツェを統治していました。メディチ家は莫大な財力を有し、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリなどの才能豊かな芸術家達をパトロンとして支援しました。
古代文化の痕跡を残したイタリアという土地、そしてメディチ家の存在の2つが揃ったため、フィレンツェはルネサンスの中心地となったのでした。
余談ですが、現在、イタリアでも有数の観光地となっているフィレンツェのウフィツィ美術館はもとはメディチ家のオフィスでした。今でもなお、彼らの面影はフィレンツェに残っています。
「ルネサンス」の建築家たち
【ブルネレスキ】(Filippo Brunelleschi 1377~1466年)
ルネサンスはまず彫刻から始まり、絵画、文学と広がります。建築はそれらに比べるとやや遅い段階でルネサンスを迎えます。そのような中、建築がルネサンスを迎えるきっかけとなったのは、ブルネレスキという建築家でした。
現在フィレンツェのランドマークにもなっているフィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)のドームが彼の設計であり、1420年のその起工そのものが、ルネサンスの始まりとされています。彼の建築では、古代ローマ建築のオーダー(古代の円柱と梁の構成法のこと)が空間や壁を明確に分節するために用いられました。
代表作
・フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)のドーム(1436年)
・オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(1445年)
・サント・スピリト聖堂(1482年)
【アルベルティ】(Leon Battista Alberti 1407~1472年)
アルベルティはブルネレスキのルネサンスを受け継いだ建築家の一人です。彼は現在の建築事務所のような設計事務所を主宰し、多くの建築を残しました。彼は建築家だけでなく、絵画や彫刻、法律、歴史などにも秀でて、いわゆる「万能の人(ウオモ・ウニヴェルサーレ)」の一人と言われています。ルネサンス以降、次々と書かれるようになる建築書の最初のものである「建築論」も彼が書いたものです。
代表作
・サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサード(1456~1470年)
・パラッツォ・メディチ・リッカルディ(1444~1472年)
・サン・タンドレア聖堂(1471~1512年)
・「建築論」(1452年)
「ルネサンス」の画家たち
【レオナルド・ダ・ヴィンチ】(Leonardo da Vinci 1452~1519年)
世界で最も有名な芸術家と言っても過言ではないでしょう。レオナルドは、科学者であり、発明家であり、哲学者、作家、デザイナー、彫刻家、建築家、そして画家です。あまりにも多才な、「万能の人」でした。彼の好奇心はとどまることを知らず、興味をもったものは徹底的に研究をしました。ただ、あまりにも好奇心旺盛かつ多才であったためか、作品が完成することがめったになく、現存する作品も知名度に反比例して、とても少ないことも特長です。
ちなみに、日本ではダ・ヴィンチと呼ばれがちですが、ダ・ヴィンチは「ヴィンチ村の」という意味なので、レオナルドが彼の名前にあたります。つまりは彼の名前は、ヴィンチ村のレオナルドさん、という意味なのです。
代表作
・モナ・リザ(1503~1519年頃)
・最後の晩餐(1495~1497年)
・岩窟の聖母(1508年頃)
【ミケランジェロ】(Michelangelo Buonarroti 1475~1564年)
彼は第一に彫刻家であり、第二に画家であり、建築家でした。血筋の良い下級役人の息子で、幼い頃からずば抜けた才能を発揮し、神童と呼ばれていました。一方、気難しくて孤独を好み、理屈っぽく攻撃的で人付き合いが苦手だったと言われています。人間、とくに男性の肉体こそが究極の完成と美を表すという信念をもち、理想化された人間像を作り上げました。特にダヴィデ像は人体表現の真髄であり、成熟した男性の裸体像が広場に設置されたのは古代ローマ以来の出来事だったそうです。ちなみにダビデ像は現在ローマではなくフィレンツェのアカデミア美術館で見ることができます。
ミケランジェロとレオナルドは23歳の差はあるものの、二人はライバル関係でした。周囲も二人に対決の場を与えるなど、本人たちだけでなく、周囲もまた、二人の関係を強く意識していたと言われています。
代表作
・最後の審判(1536~1541年)
・ピエタ(1500年)
・トンド・ドーニ(1504~1507年)
【ラファエロ】(Raffaello Sanzio 1483~1520年)
幼い頃から非凡な才能を発揮した天才であり、37歳で夭逝した薄命の画家でもあります。ラファエロはルネサンス期のあらゆる技法や考え方をいとも簡単に再現し、進化させ、そして彼の残した業績によって画家は職人ではなく文化人に列せられるようになりました。また、あまり知られてはいませんが、彼もまた建築家としての側面も持っています。いかめしい男と美女、静と動、曲線と直線といったような明確なコントラストを利用していることが特長です。彼の絵はアカデミーの美術が崩壊するまで、ほとんどの芸術家にとっての目標であり、理想であり続けました。
余談ですが上の画像、「アテネの学堂」では古代ギリシアの哲学者たちの顔を、ルネサンスの芸術家たちをモデルに描いと言われています。先に登場した、レオナルド、ミケランジェロ、そして本人ラファエロがこの絵の中で一堂に会しています。ぜひ探してみてください。
代表作
・アテネの学堂(1510~1511年)
・小椅子の聖母(1513年頃)
・キリストの変容(1518~1520年)
万能の「人」と呼ばれた芸術家達
ルネサンス期の芸術家の特徴として、彫刻、絵画、建築と様々な分野においてあらゆる才能を有していたことが挙げられます。レオナルドやミケランジェロなどはまさにその通りに、ありとあらゆる場面で偉大な功績を残しています。このように偉大な才能を持つ人々は、「万能の人」と評されました。
ここで大切なことは、芸術家たちが素晴らしい能力を持った「人」と認識されたことです。
ルネサンス以前にも素晴らしい芸術作品や建築は作られました。しかし、中世において人間は無力な存在として捉えられていたのです。なぜなら偉大な創作は人の内側から出たものではなく、天からの啓示によってもたらされたものと考えられていたからです。
天からの啓示によるものではなく、人間の持つ創造的な能力が認められたことが、ルネサンスという時期だったのです。
その後、画家は職人、建築家は石工、大工として捉えられていた時代は終わります。そして、彼らが創造的な能力や個性を備えた芸術家であると広く認識されるようになりました。また、才能を持つ人という意味である「天才」という概念も実はルネサンス以降に芽生えたものなのです。
つまり、芸術が天から人の時代へと変わる転機こそ、ルネサンスという時代だったと言えるでしょう。
ルネサンス、その後
古代の芸術を再生するということを目標としたルネサンスでしたが、その後芸術はどのような歴史を辿るのでしょうか?
ルネサンスにおいて、芸術は頂点を極めたとさえ言われました。完成されたプロポーション、完璧な美を追い求めたルネサンス期が成熟すると、ある種のカウンターのようにして、今度はそれらを脱する、奇抜で不自然なデザインや、歪んで引き伸ばされたように見える構図などが生まれ始めました。
これらはのちに「マニエリスム」と呼ばれる潮流となります。そして、この動きの担い手となったのは、ミケランジェロやラファエロに影響を受けた芸術家たちでした。
この「マニエリスム」が起こった時代は1527年にローマ略奪が起こり、再び社会や政治が混乱した時期でもあります。社会情勢を写し取るかのように、芸術も流れ、変化していきます。
その後、ローマ略奪によりローマから脱出した芸術家たちによって、イタリア全土へとマニエリスムは広がっていくこととなります。
また、近年まで、このマニエリスムは、あえて完璧を壊すような態度や、技巧的手法的すぎるなどといった批判から、否定的に捉えられてきました。しかし、躍動的で大胆な構図や、手の込んだ創意工夫、あえて予想を裏切るような歪曲などの魅力が評価され、最近は「バロック」へとつながる重要な時期であったと認識が変わったことが特徴です。
その後、時代は宗教改革によって再び大きく揺れ動きます。そして時代は移り、芸術もまた「マニエリスム」から「歪んだ真珠=バロック」へと変わっていくのですが。
それはまたいずれ。
主要参考文献
「西洋建築史」(2007年) 吉田鋼市著 森北出版
「世界美術家大全」日東書院
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館編集 日本経済新聞社
画像はPIXABAYより引用