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ASDの特異な社会感覚

最近友達との会話(特にSNS)やYouTubeを見ていて思ったのが、定型発達とASDにおける社会的な共同感覚(特に人と繋がる感覚)にかなり差があり、それぞれ何を心地よく思うのかかなり異なるため、少数派の私たちは生きずらさを感じがちだと思います。とりあえずメモとして残しておこうと思った次第です。

また、あくまで根本的な感覚の違いを示すので、具体的な解決策は載せておりません。そこは自分の環境や特性に合わせて活用していただけけたらと思います。


まず定型発達の感覚を先に述べますと、人間たちは「大陸」に住んでおり、常に社会に属している感覚があります。人と人は基本的には互いに助け合うもので、必要がなくとも近くに人が居れば無意識に観察したり、それとなく会話を交わしたりします。

対してASDの感覚は人間たちは海に浮かぶ一人一人の「島」にすんでおり、自分1人の力でのみで暮らしている感覚があります。基本的に人とは関わらず、必要があるときだけ橋を掛けて帰る時は橋をしまう。個人によって差はありますが、社会性を自ら学ぼうとしない限りは他人の中身や成り立ちに興味はなく、話かけたり誘って遊んだりという発想があまり出ません。暇をつぶすときも、自分一人で完結するものが多く人を巻き込むことは少なめな印象です。


序盤で書いた生きずらさの話ですが、最近ありがたい事にゴリゴリの陽キャであるRさんという方が僕にDMで結構な頻度で話しかけてくれるようになりました。しかし、Rさんの視点に立つとおそらく挨拶程度の会話で、リアルで例えると少し家に立ち寄って玄関で立ち話をしてすぐに帰るというイメージなのでしょうが、僕からしたら世界は自分の世界で閉じているため、こちらも例えると、毎日自分の家に不定期にやってきてドアをバンバン叩いて無理やり会話をしようとしてくる、というイメージでとらえてしまいます。なんというか話す事自体は楽しいのですが、自分のペースが乱されて生きずらいと感じてしまいます。


どこにいても生きずらさやぎこちなさを感じてしまい、自分が自分であれる場所がないな~と辟易してしまいます。今この瞬間に全力で集中して生きずらさなんて忘れるくらい自分を出せるようになりたいと思っていますが、なかなか厳しいですね。こんなわけわからん駄文を読んでくれてありがとうございました。今後も気ままに更新しようと思っているのでそちらも是非!



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