空白の時間と主体性
あの頃の自分、何もせずぼーっと暮らしてただったな~と後悔したことはありませんか?
僕にも当てはまる事ですが、発達障害のふぉろわーと話をしていると「何もせずぼーっとしていた期間」がある割合が多いな~と感じました。
ぼーっとしているとは言っても、ご飯を食べたり課題をこなしたり最低限のことはやります。主体的に行動する機会が一切なかったということです。今回はここら辺の話を過去を振り返って深掘りというか、過去の苦悩を供養しようかなと。
例えば僕の場合だと、高校2~3年の間はただ家と学校を無機質に往復してるだけで終わりました。特に主体的に動くことはせず、与えられた環境の中だけで、まぁ人生ってこんなもんか~と何となくぼーっとしていただけで、友達を遊びに誘ったり、自分から勉強したりなどする発想がありませんでした。特に、僕は自転車通学だったのですが、帰りに何処か寄ったり、友達と道草を食ったりせずただ全速力で自転車を漕いで早く家に帰る事しか頭にありませんでした。家に帰ってもやることがある訳でもないのに。
とにかく人生の中で、時間と空間に豊かさがない。決められたルートと手順でしか動かない。お腹がすいたから、少しコンビニに寄っておにぎりを買うことが出来ず、我慢して直線的に家に帰ってきてしまう。
思えば小学生の時もこんな感じでした。
3~10人くらいの通学班で登校していましたが、その間班員と喋るでもなく、ただ下を見てぼーっと前の人に着いていくだけの朝を6年繰り返していました。今日はちょっと早く行って勉強しようとかした事がなかった。ただただ下を向いて、犬のうんちを踏まないようにすることしか頭になかった。気づいたら学校に着いてる。そんな日々。
ふぉろわーも似たようなことを言ってましたね。
「大学2~3年は本当に何もしてなかった、だから今はバイトやボランティアに加えて友達とドライブに行ったりして忙しい日々を送っている。失った時間を取り返したいので、暇になると鬱気味になってしまう。」と。
僕らがぼーっとしている傍らで、一日に20ターンくらい行動している人も見かけます。めっちゃ外出して飯食って遊んで起こった出来事に対して感情を交えて豊かに解釈して大勢の人と関わってなどなど……
何が違うんだろう。いや~羨ましいですね。なんだか彼らの事を超人と認識してしまいます。どうにもならない「生まれ持ったIQや地頭」の差を感じる。僕は精神科に言ったことないので分かりませんが、僕らがコンサータやストラテラを使用した状態の行動力で超人たちは日々暮らしていると言うことでしょうか。そりゃ敵わん🥲
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