![ロートレック](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14944750/rectangle_large_type_2_c6b605f4490d341e791957e9aa933679.jpeg?width=1200)
《人間は醜い、されど美しい》-トゥールーズ・ロートレック
絵画を鑑賞するということ。
絵を眺めて、自らの心の動きに触れるのも気持ちがいい。
直感的な感性は心の広がりに余計な規制はかけないからこその面白さがある。
画家の生い立ちや描かれた時代背景を知ることもとてもいい楽しみ方だ。
1枚の絵から色々な人たちの事情を知れる。
- 彼らはなにをしているのだろう
-この周りにはなにがあるのだろう
-彼女はなにを見つめているのだろう
-画家はどんな想いでこの絵を描きあげたのだろう
トゥールズ・ロートレックはパリの歓楽街、モンマルトルで活躍した画家だ。
ロートレックの絵は私たちを欲望と希望のモンマルトルに連れて行ってくれる。
「ムーラン・ルージュ」はモンマルトル一のキャバレー。
ロートレックは開店以来の馴染み客だ。
店主から以来を受けて描いたのがポスター「ムーラン・ルージュ」。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14944550/picture_pc_64d89beedc5b8e081cdd4d1bf5675a11.jpg)
《ムーラン・ルージュのラ・グリュー》1891年
中央には当時の人気ダンサーのラ・グリュー。
フレンチカンカンと呼ばれるダンスに特徴的な白い肌着が、
観客たちと影絵のようなヴァランタンの黒により一層引き立っている。
当時のパリでは日本文化が流行。
このヴァンランタンの構図は浮世絵の影響を受けていることがわかる。
ロートレックは画家として活躍したが、彼は不遇といえる人生を歩んでいた。
10代の時、両足の骨折により下半身の成長は止まってしまった。
彼の体は、上半身は大人で下半身は子供、身長は150cmほどだった。
父からは蔑まれ、多くの人々からは嘲笑の対照だった。
そんな彼にとって、モンマルトは心落ち着ける居場所だった。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14944558/picture_pc_e740a8206eecf7ce74835e80e9a44be5.jpg)
《ディヴィアン・ジャポネ》1893年
1886年に開店した『ディヴィアン・ジャポネ(日本の長椅子)』という店のために制作されたポスター。
舞台上の立つ歌手の頭部は切り取られ、主役は客席にいるジャンヌ・アヴリル。彼女の曲がりくねった構図にも浮世絵の影響が見られる。
右端の男性の手袋の色彩表現に注目してみると、ザラザラした質感が見られる。これはスタッピングという版画技法で、インクを石版に飛ばして斑点のように撒き散らしている。ロートレックはこうした表現技法でグラフィックを芸術作品として昇華させた。
ロートレックの作品はこれまでの芸術家とは一線を画すものがある。
絵画表現の中にグラッフィク表現を入れたことだ。
ポスターは不特定多数の人に店の雰囲気や情報を伝える必要がある。
モンマルトルの女たちは、生きていくために体で稼ぐ。
華やかさの裏には苦悩や絶望が溢れているが、女たちは強く、美しい。
その人間らしさを、ロートレックは描いた。
「人間は醜い、されど美しい」
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14944577/picture_pc_99fe122bcf481058d5ee2f9960316863.jpg)
《ムーラン通りの医療検査》1894年
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14944566/picture_pc_db7274dcd87800c254ae7d4f56e51e89.jpg?width=1200)
《鏡の前の女》1897年
モンマルトルの夜に身を捧げたロートレックは
アルコール中毒と梅毒に侵され、36歳という若さで生涯を終える。
人を憎み、それでも人を愛したロートレック。
その相反する感情を彼の絵から感じることができる。