時計の針
もう彼是35年位前の、
私が高校球児だった頃の話になります。
私は高校3年生になった4月に、
自転車で事故を起こし、首を痛めてしまいました。
2年生の終わりの3月位からバッティングの調子が上がってきて、
打順も2番からクリーンナップの一角である3番バッターを、
打たせてもらっていたのですが、
事故で首を痛めてから思う様なバッティングができず、
打順も9番に降格、
最後の夏の大会も大した成績も残せず、
チームに貢献もできず、
チームも県大会の3回戦で敗れ、
私の高校野球は終わってしまいました。
その後、私は抜け殻のようになり、
燃え尽き症候群のような状態になりました。
そんな時に私の父が、
「何でもっとバッティングを追究しないんだ」と私に言ってきました。
私の高校野球は終わったのにもかかわらず、
それまで8年間つきっきりで素振りをみてきた父の、
気持ちが治まらなかったのだと思います。
私は口答えをしました。
「もう終わったからやる必要はない」
もう野球はやらないし、野球はもういい、
そんな気持ちでした。
それから暫くは野球とは無縁の生活でしたが、
心のどこかに悔いがあってずっと引きずっていました。
それから数年が経ち、
春・夏の甲子園、プロ野球をテレビで観る機会があって、
テレビに映って活躍している選手達を観て、
なんでこの選手は凄いのか?
をついつい考えてしまう自分がいました。
そして自分の中でやり残した悔いといった気持ちは、
私がボクシングを始めるきっかっけになり、
今に繋がっています。
そしてそれが今では、
格闘技の打撃を、
野球の打撃に置き換えて考えている自分がいます。
高校3年生の夏に、
時計の針は止まってしまったと思っていましたが、
どうやら時計の針は動き続けていたようです。