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つらいつらいと思いつつ病に臥せっていると、昔のことばかり思い出す。中高時代の唯一の親友に電話をかける。互いに辛かった思い出が多く、固く蓋をして今まで来たようだったけど、秋めいた風に刺激されるように楽しかったことも思い出して、笑った。
仕事、結婚、子供とか、この先沢山の分岐点で私たちは互いを妬んだり、距離を置きたくなるようなことがあるかもしれない。あっちの道は幸福で、こっちの道は不幸だったと、白黒つけたくなってしまうかもしれない。でもこうして久しぶりに過去を振り返った時、あの頃も毎日すこしずつの嫌なこととすこしずつの嬉しいことが散りばめられていて、そのほかはぼーっとしていたり、今思えばまろやかな実家の空気に包まれている日々も、窮屈さや気怠さ、寂寥感、劣等感、安心感、幸福感に複雑に織りなされていた日々であることを思うと、今もまたつらい日々であると同時に幸せな日々であるような気がしてくるし、その通りなのだと思う。正解も不正解もなく、ただいまこの時が流れているということを、たまに思い出せればいい。
毎朝起きた時に、二つの色のアサガオが咲いていることに驚き溢れた幸せみたいな小さなものものと、時間が流れていることを。

今日は、実家から母が看病に来てくれている。
数日間ろくなものを食べていなかった。
母はお粥、かぼちゃの葛プリン、朧豆腐、野菜のポタージュを作ってくれて、人に作ってもらうということがこんなにも美味しくて、心身ともにケアされることに驚く。
そういえば、会社の後で、お店に立つ前に店長が出してくれたとうもろこしもそういうケアに似たものを感じた。
ともかく母、とてつもない安心感と幸福感。こういう存在がいない人はどうやって生きていくのだろう。自分は恵まれていると思う。私はこういう存在になれるのだろうか?

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