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「カサンドラ症候群」は差別用語なのか
結論から先に言いますね。
「私はカサンドラ症候群です」と、私は今後名乗りません。
「私はカサンドラ症候群でした」とも言いません。
ただ、「カサンドラ症候群」という言葉に辿り着いたのは事実です。
X内で「カサンドラ症候群は差別用語だ」と主張する人達がいるので、ちょっと私なりにこのあたりを考察してみた内容です。
海外では「カサンドラ症候群」という言葉は差別用語とされているらしい
X内で、ある人から下記のような指摘を受けました。
「カサンドラ症候群」という言葉はFamilies of Adults Afflicted with Asperger's Syndromeという家族団体がでっちあげた差別用語です
日本では恐らくその経緯は伏せられて言葉が広められたのだと思われます
その言葉を使っているあなたは、ASD差別をしているということになります
「Families of Adults Afflicted with Asperger's Syndrome
:アスペルガー症候群に悩む大人の家族」
そういう団体がいるのですね。私、知りませんでした。
で、調べたところ、「海外にはASD者に対して差別的である人たちがいた」ということはわかりました。
海外でどんなことがあったのかよくわかりませんが、
現在の日本でその言葉を検索しても、差別的な意味では使われていないようです。
「カサンドラ症候群」という言葉を初めて聞いて自分が「当てはまるかも」と思った時、きっと多くのカサンドラさんはインターネットで検索をする
— アロミ (@mymelody8765) September 1, 2023
【カサンドラ症候群とは】
検索して上位に上がってくるサイトには、その誤った記載はありませんでした
日本のWikiの説明とほぼ同じです
ということは
→ pic.twitter.com/t8kDC7o2kI
ココは日本である
その方々によると、海外では「カサンドラ症候群」という言葉を使うと差別だとかヘイトだとか言われるそうです。
今私が日本で「カサンドラ症候群」という言葉を使っても、差別だとかヘイトがと言ってくるのは海外のその事情に詳しいその方々のみです。
だって、ここは日本だからです。
定義や概念にふんわり感は確かにある。
「ASD者との情緒的な交流不足による心身の不調」という説明では、
・夫は病院へ行くのを嫌がるので未診断。なら該当しないということ?
・ASDじゃなくても情緒的な交流不足は起こるよね?それは該当しないの?
・むしろ相手が定型でも起こるよね?それは何て言う名前なの?
いろんな声を耳にします。
医学的な診断基準が定められたものではないので、あなたがカサンドラ症候群かどうかを医師に診断してもらうこともできない。
でも、「カサンドラ症候群」という言葉を検索しても、ASDの差別につながるような説明がされているページが上位に出てくることはありません。
だって、ここは日本だからです。
![](https://assets.st-note.com/img/1694846969929-zeg0O2xmjI.jpg?width=1200)
日本と海外の違いについて
海外のこと、私は詳しくありません。
実際に住んだこともないし、旅行で行ったことがある程度では「ASD」や「カサンドラ症候群」についての印象を体感することはできませんでした。
以下、そんな私の考察です。
日本は遅れている。
【みんな一緒に同じことを同じペースでやろう】を目指すような指導がされている学校もまだまだ多いです。
日本は海外と比べると、個性を大切にする風潮がなかなか浸透しなかった。
【みんなと同じ】を求められる、生きづらい国でした。
そういう生きづらい環境で子ども時代を過ごしてきたのが、今パートナーとの関係性に悩んでいる・悩ませている人たちだと思うのです。
よって、その部分で複雑に悩む人が多いというのは自然な流れかと思います。
海外で「カサンドラ症候群」という言葉が生まれた時代には、きっと差別的な要素が含まれていたのだろうと思います。今の日本のように複雑に悩む人よりも、単純に「ASD無理」のような侮辱するようなニュアンスだったのかもしれない。そこから始まった言葉に対して「今後は差別的な要素を消して使っていこう~!」というのには無理があり、その言葉は廃れていった・・という経緯が海外にはあるのかもしれません。
つまり、日本では「カサンドラ症候群」という言葉が使われるようになる時期も海外に比べて大幅に遅れていた。遅れていたおかげで、「多様性」を浸透させる動きのある時代と重なり、日本では差別的な印象を持たせないようにその言葉が始まり、広まった。・・のではないでしょうか。
時代背景が異なれば、言葉の持つ印象や広まり方も当然異なります。
![](https://assets.st-note.com/img/1694846817426-0yl0e3pJ47.jpg?width=1200)
その人たちは傷つくらしい
海外の差別用語に詳しいその人たちは、「カサンドラ症候群」という言葉を使う人は「ASD差別をしていること」と同じだと主張します。
差別的な意味で「カサンドラ症候群」という言葉を使っていない私たちは、その主張は全く意味がわかりませんが、傷つく人がいるのであればこの言葉を使うのはやめたほうがいいのでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1694846637185-QDBaIAUgX6.jpg?width=1200)
私はこうします
この苦しみの正体は何なのだろうと悩んだり検索したりしていると「カサンドラ症候群」という言葉に差別的な要素を持たずに辿り着くのが、日本の現状です。
「カサンドラ症候群」という言葉に辿り着いたよ~!
という人に、何も罪はありません。
私は「カサンドラ症候群」という言葉に辿り着いたよ~!という人に寄り添いたいし、同じ悩みを持つ仲間と差別的な要素を持たずに支え合うことは、誰にとっても悪いことではないと思います。
現に、私はもしその言葉に辿り着いていなければ、今もひとり暗闇の中だったと思います。夫との関係性は改善されないどころか、自分自身の生きる意味も見失って潰れていたのではないかと想像ができます。
「カサンドラ症候群」という言葉に辿り着いたおかげで同じような悩みを持つ人との交流ができて自分の不調の原因がわかり対処法を探ることができたのは、私にとっても夫にとっても子ども達にとっても、ありがたいことでした。
「カサンドラ症候群」という意味の定義がふんわりなので、「本当にあなたはカサンドラ症候群に当てはまっているのか・・?」という議論はもはやどうでも良くて、その言葉への辿り着き方は『自分の悩みはこれなのかな?』という疑問の形でも何でも良くて、その悩みは確かに存在するよと認めてもらえるだけでも心が救われる感覚と、同じように悩む人同士での交流の場で心を癒す時間を大事にして、最終的にはそれぞれが幸せを感じて生きることに繋がるといいなと考えています。
【相手のASDのせいで私は辛い】と感じていた人の中には、その悩みと真剣に向き合う中でその観点がスッと消える人もいるでしょうね。そこに気づくにはまず、「あなたの悩みは確かに存在している」とことを認めてあげることが必要だと思います。
「私はカサンドラ症候群です」と、名乗りません。
「私はカサンドラ症候群でした」とも言いません。
ただ、「カサンドラ症候群」という言葉に辿り着いたのは事実です。
![](https://assets.st-note.com/img/1694846608974-9Qv1sJPI7h.jpg?width=1200)
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