KFC始まりの場所 サンダースカフェで”アメリカ”を感じる 【ケンタッキー州】
5月のある日、ロードトリップでケンタッキー州を通過した。
ケンタッキー州はアメリカ東部の内陸にある、緑が豊かな州だ。
道路両脇に見られる特徴的な断崖の地層からは水が滴り落ち、水を豊富に含んでいることが伺い知れる。
丘陵地帯には様々な種類の畑が広がり、牧草地には牛や馬などの姿も見られ、とてものんびりした穏やかな風景が広がっていた。
道路も大小のアップダウンが続き、北海道の美瑛に似た雰囲気。どこまでも平らなテキサスとは全く異なる。
ケンタッキーといえば、日本でもお馴染みのケンタッキーフライドチキン(KFC)。
子供の頃から慣れ親しんだあの味は「そうそう、これこれ!」と脳内にしっかりと刻み込まれ、美味しさだけでなくノスタルジックな気持ちをつれてくる。
商品そのものもさることながら、赤と白の店舗、白髪・白タキシードのカーネルおじさんを知らない人はいないだろう。
私が幼い頃はCMで「ケンタッキーの我が家」という歌が流れていた。
この歌全体から溢れ出る雰囲気は多くの日本人の心に刻まれ、雄大なアメリカのカントリーサイドのイメージそのものなのではないだろうか。
世界中にKFCは約27,000店舗もあるというから、そのイメージは日本人だけのものではなく世界の人が共通して持っているものかもしれない。
もちろんアメリカ国内もファストフード店としてKFCは大定番。
まだこちらでKFCを利用したことはないが、外観、メニューとも細かい違いはあれど日本とそう変わりなさそうだ。
そんな世界中で愛されているKFC最初の店舗がケンタッキー州南部の田舎町にあるというので、車旅の途中で足を伸ばすことにした。
小さな田舎の街コービンにケンタッキーフライドチキンの第一号店はある。
名前はサンダースカフェ。
KFC店舗と小さな博物館が併設されている。
カーネルがガソリンスタンドを買受けそこでフライドチキンを販売し始めたのが全ての始まりだそうだ。
アメリカのロードトリップにおいてガソリンスタンドは旅の茶屋としても重要な場所で、特に当時はフロリダと五大湖周辺の都市を結ぶ国道25号線沿いであるということから多くの客が立ち寄り、繁盛したという。
店舗で販売されるメニューは一般店舗と変わりないそうだが、創業店としてプライドを持って提供しているに違いない。アメリカの他店を利用したことがないので比較はできないが、この店は非常に丁寧に提供されている印象。
うんうん、これこれ。やっぱり美味しい。
併設される小さなミュージアムには、創業者ハーランド・デイヴィッド・サンダーズが私たちが知る白髪・白髭・白スーツの「カーネル・サンダース」となるまでの歴史(彼自身によるイメージ戦略もされていたらしい)と、彼が美味しいフライドチキンを完成させるまでに使用された調理器具とキッチン、そしてサンダースカフェが世界のKFCとなるまでの道のりが展示されている。
彼がガソリンスタンド経営を開始したのが1930年。
たった6席からサンダースカフェをスタートし徐々に席数を増やしモーテルも併設する。
オリジナルチキンの販売は1939年から。
圧力鍋を用いることでチキンを旨みを残しながらも柔らかく仕上げる調理法を考案し、その味は現代に至る。秘密の11種のスパイスからなるレシピも彼より探求された。
しかし新しく国道75号線が整備され、旧道沿いのこの店から客足は遠のき経営が傾いたことから、移動販売などを経て紆余曲折ののち、フランチャイズ化することでその後のKFCの成長に繋がっていったそうだ。
1965年にはアメリカ・カナダで600店舗を達成、1970年には日本に上陸。
私が物心ついた頃にはもうKFCは近所にも数店舗あったことを思うと、その急成長ぶりに驚かされる。
実質の経営は他社に任せていたというが、サンダース自身は店舗の品質チェックをするために世界中を飛び回り、日本も数度訪れたそうだ。そして1980年に90歳で生涯を終えるまでサンダースはまさにケンタッキーフライドチキンの「顔」であり続けたという。
穏やかな笑顔のカーネルおじさんだが、メガネの奥の瞳は社会を鋭く観察し戦略的に世を見つめていたようだ。
子供の頃の思い出とも重なり、個人的にも懐かしさが詰まったケンタッキー。今回こうして始まりの地でサンダースの人柄に触れたことで、ケンタッキーフライドチキンがより身近で愛おしい存在になった。
次にどこかの町のファストフード店KFCに入る時は少し期待が高まってしまうだろうか。カーネルの想いが込められ美味しいチキンに出会えると良いな。
ここから900マイル(1500キロ)を車中泊しながらロードトリップで帰路を行く。
さて途中何度のガソリン補給が必要だろう・・・。