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「めんどくさい」について考えてみた

人と話しているとたわいもないことでも、深掘りする内容でも何かしら気づきの余韻が残るものです。

先日は「めんどくさいってなんだろうね」という、それこそめんどくさいテーマについて、あれこれ話すのが好きなかけがえのない友人と考えてみました。

というのも、私たちのやっかいな感情、不安とか恐れとかいろいろあるなかで、「めんどくさい」もなかなかのものだよね、という話になって。

ややこしい事柄についてはもちろんなんだけど、「これをやった方が絶対いいよね!」と思っていることについても「めんどくさい・・・」となって、すぐに動けなかったりする。

例えば、部屋の片づけとか、アイデアの整理とか、ずっとやろうと思ってるのに後回しにしている何か。

その仕組みは一体なんだ?ということで、まず、「面倒」の意味を調べてみることに。

①物事をするのがわずらわしいさま。やっかい
 「ーな仕事」
②世話
 「ーをみる」
めんどくさい
→ひどくわずらわしい

国語辞典(旺文社)

そうよね、そうだよね。
そのほかにも、「手間がかかる」「解決が容易でない」、あと「体裁が悪い」「見苦しい」などがありました。


自分の「めんどくさい」、特に「やった方がいいよね」パターンの時のめんどくさいの意味をみてみると、ひとつの方程式を発見。

ゴールは見えるが遠い→手間がかかる→途方にくれる→思考停止
=めんどくさい

この「途方にくれる」感が自分のめんどくさいにしっくりくるんですよね~。

やる気スイッチのために細かく設定するステップ自体がやる気を無効化するという(笑)

さらに、それをやる意味とか価値とかムダとかが外から中から聞こえてきたらもう大変!

もう、めんどくさい(笑)

でも、この「めんどくさい」はある種のアンテナではないか?という話にもなり。

「めんどくさい」の先には、「こうなったらいいな」がセットになっているとしたら、それと向き合うこと、それ自体が問われているのではないか?

実行に移すとか、手放すとか自分自身の心地良さのための選択をする、考えるタイミングなんじゃない?という問いが隠れているのかもしれない。

それだけ、選ぶや考え続けるってしんどいことなんですよね。
だから、そのへんのバランスはとても大切。

というわけで、「めんどくさい」が発動したら自分観察してみることと相成りました。

友人とまたお互いの“めんどくさいストーリー”を話せるのが楽しみです!




#言葉 #自分観察 #アロマ書房 #めんどくさい

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