そのケアただの自己満足になっていないかな?
こんにちは
アロマのちえ袋 野村ちえみです🫧
今日はセラピストや医療従事者にも
悩んでいる方多いんじゃないかな?
誰かのために!という強い気持ちが生み出す
おせっかいや自己満足について
最近少し考えていることを書きたいと思います
かく言う私も
誰かのために!と思うと
思わずチカラが入ってしまうタイプの人間です
そこには
困っているんじゃないかな?
とか
出来ないんじゃないかな?
とか
そんな決めつけがあります
もちろん対人関係において
相手の気持ちに対して
想像力を働かせることは必要です
それによって気遣いができることもある
でも単なるおせっかいや自己満足は
気遣いとはちょっと違うと思うのです
それは相手に対する決めつけがあるから
そしてそれによって行う行為は
押し付けになるのです
私自身は対話を実践して学ぶ中で
その気づきがとても大きいなと感じます
誰かの話を聞き始めた頃はよく
自分が勝手にその方の気持ちを想像している
そんな自分がいました
もしかしたらこう思っているんじゃないか?
こうしてほしいと思っているんじゃないか?
そんな私の心の声が聞こえてくるんです
例えば先日も授業の中で
少し話題になったことなのですが
もしクライアントさんが
「最近痛みがある」
と言った場合
それをどう捉えるでしょうか?
あぁ痛いんじゃ辛いだろうなぁ
じゃあその苦痛が少しでも良くなるように
何かしなくちゃな
と思ったとしたら・・・
それは決めつけです
その方は痛みを辛いもの
良くしたいものだと思っているかどうか
それは聞いてみないと分かりません
もしかしたら
心地いい痛みなのかもしれないし
もしかしたら
痛みが辛いよりも
それによって生まれる感情が辛いのかもしれない
仮になんとかして欲しいと思っていても
私に求めていることは違うかもしれない
痛みの感じ方はそれぞれだし
痛みの捉え方だって人それぞれです
それを辛いだろうな、何とかしなくちゃな
と勝手に想像して行う行為は
おせっかいや自己満足なのだと思います
その方がどうしたいのか
どう感じているのか
そこに一緒に希望を見つけていくことや
その感覚を一緒に大切にすることが
自己満足ではない気遣い
そしてケアへ繋がっていくのではないかと思います
子育ても一緒だなぁ・・・
子どもにはできないと決めつけて
こちらで勝手に行う行為は
単なる過干渉
迷惑行為になりかねない
でも助けてほしいと思っていることや
甘えたいと思う本人のその気持ちを
大切にすることは
その結果甘えさせたとしても
自立を促したとしても
どちらにしても
本人を思ってした行為になるのかな
と感じます
だから誰かをケアする人は皆
対話が必要なのかもしれないと思うのです
心の中のことは誰にも分からないから・・・
単なる自己満足で終わらないケアのために
まずは対話から!
アロマ外来®の学びは
アロマセラピーに限らず
多くの方に届くといいなと思う学びだなぁと
改めて感じます
これは一生
実践しながら学んでいくことなのかも!
その行為
自己満足になっていないかな?
それは相手が望んでいること?
そんな視点を持つことだけでも
かける一言は変わってきます
それが相手を本当に知ろうとすること
そしてケアの始まりかなとも
思っています
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました♡
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