![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82736167/rectangle_large_type_2_69db40d61aa27b79316d2d74daafcdb9.jpeg?width=1200)
特別性の支払う代価
人によって魅力を感じることは違うかもしれませんが、誰でも魅力を感じる何かがあります。
その殆どが特別性の中にあると言えます。お金に魅力を感じるのであれば、お金と特別な関係があります。
成功に魅力を感じるのであれば、成功と特別な関係があります。家族、恋人、性的な関係等それらに魅力を感じるのであれば、それらと特別な関係にあるのです。
特別な関係は個である私たちにとって魅力的であり、なくてはならないものです。
特別性の背後に普遍性と呼ばれるものがあります。
私たちの体験する愛が特別な愛であるならば、神の愛は普遍的な愛と言えます。
特別な愛が制限の感覚であるとすれば、普遍的な愛は制限が解除され、すべてに開かれているものです。つまり、神の愛はすべての人を例外なく包み込むのです。
特別性は罪や悪とは何の関係もありませんが、その関係には必ず苦しみが伴います。
失うかもしれないという心配、上手くいかないかもしれないという疑い、虚しさ、悲しみ、自己嫌悪、優越感、劣等感など、それらの感情が伴うのです。
特別性の中でも霊的な特別性は非常に魅力的なものです。
自分が選んだ霊性の道が、他の道よりも優れている感覚や、自分の方が他の人よりも霊性に進歩している感覚などがそれです。
もし、私たちが特別性を選ぶことで手にする代価を理解するとすれば、特別性を手放したいと望むのではないでしょうか。
特別性を手にすることでどれほどの苦しみを手にしているかを理解すれば、それを手放したくなるのではないでしょうか。
それは私たちから平安を奪い、葛藤の状態に置き、全一な神の子であることを忘れさせるほどのものだからです。
赦しは私たちの特別性を手放していく道だと言えます。特別性を聖霊に手渡すことにより、特別性の変容が起こるからです。それが赦しと呼ばれるものです。
特別性が変容した場所には平安があります。赦しがもたらす平安は、永遠に向かって開かれており、制限のない感覚をもたらしてくれるものなのです。