ルイジ

私の心の風景をここに綴ってみたいと思います。私の心にある平安が、あなたの心にある平安に…

ルイジ

私の心の風景をここに綴ってみたいと思います。私の心にある平安が、あなたの心にある平安に触れ、それを呼び覚ます助けとなるかもしれません。あなたの心の中には安らぎと幸せに満ちた場所があります。 ご意見ご質問などあれば、お気軽にご連絡下さい。aroijio3752@icloud.com

最近の記事

いつもあなたの側にある真の豊かさ

多くの人がお金があれば豊かになれると思っています。お金と豊かさが密接に結びついています。 しかし実際はお金と豊かさは無関係であり、お金がなくとも真に豊かになれば、必要なお金は自然に入ってくるようになるのです。 必要なお金が必要な時に自然に入ってくることは豊かさの一つの表現です。 もし、お金がなければ豊かになれないと信じているとすれば、決して真の豊かさを体験することはありません。 真の豊かさがなければ、いつも欠乏感に悩まされ、不足の状態が続いていきます。 不足の一つの

    • 特別な愛から解放されることを望むことができるでしょうか

      私たちが一般的に愛と呼んでいるのは「特別な愛」と呼べるものです。それに対して、イエスや聖霊に象徴される神の愛は「普遍的な愛」と言えます。特別な愛が特別な対象に向かうのに対し、普遍的な愛はあらゆるものを包み込んでいきます。特別な愛は欠乏感を原因として根底に持っていますが、普遍的な愛は満たされたところから溢れるものなのです。その意味で私たちが体験するほとんどの愛は特別な愛と言えます。 特別な愛が私たちにもたらしていたものは、苦しみではないでしょうか。特別な愛から嫉妬が生まれます

      • 役立たずに思える人の存在価値

        自分の周りを見ると、役立たずと思えるような人がいると思います。能力が低かったり、やる気がなかったり、居眠りばかりしていたり、仕事をサボってばかりいたり、自分の目からすると役に立っていないように思えるのです。 その人が変わってくれれば状況は好転するように思えます。自分より弱い立場にあるとすれば、その人を批判したり、叱ったりするかもしれません。 真実には、その人もあなたと同じ無限の価値を持つ神の子なのですが、その人の表面的な状況にそれは隠されています。 そのためにその人のあ

        • 防衛しない態度とはどのようなものでしょうか

          防衛しない態度とはどのようなものでしょうか。私たちの弱さは私たちが知覚する脅威の前で、私たちに防衛することを要求します。防衛がなければ、弱い者の存在は脅かされるのです。 この世界には脅威が溢れているので、弱い私たちは少しでも脅威から守られるように、さまざまな防衛をしなければなりません。 防衛は私たちを疲れさせます。だから私たちは、防衛しないでいられる安らかな場所を求めるのです。防衛が必然であるこの世界から逃げ出したくなることもあるのではないでしょうか。 真の強さとは防衛

        いつもあなたの側にある真の豊かさ

          人はなぜ保守的になるのでしょう

          なぜ人は保守的になるのでしょうか。自分の信念を守りたいと望むのでしょうか。 それは、保守的でなければ失われるものがあると感じるからです。失うことに対する恐れから人は保守的になるのです。 新しい信念に心を開けば、今まで持っていた古い信念が失われるように思われます。 しかし、実際には失われるものは何もないのです。もし、私たちがすべてであるものとの繋がりを取り戻し、真の自己の豊かさに留まるなら、何が失われるというのでしょうか。 すべてであるものから、何を取り上げられるのでし

          人はなぜ保守的になるのでしょう

          一つのことをあなたに願います。あなたの愛を疑わないように。

          あらゆることを楽しむことができるでしょうか。いつも、何をしていても、心の深くに静かなワクワク感があり、世界が絶えず新しい体験をもたらしてくれるように思えることは可能でしょうか。 思い通りになるわけではなく、手に入れたいものを手に入れているわけでもなく、思いもしない問題が突然に生じることもあり、予期せぬ出来事に翻弄されているようでもあり、それらすべてはありのままでありながら、心が満たされていることは可能でしょうか。 急流を下る一枚の木の葉のように、流れに身をゆだね、その時の

          一つのことをあなたに願います。あなたの愛を疑わないように。

          恐れを体験していたことを忘れ去る時が来ます

          恐れと愛が同時に存在することはありません。恐れとは愛の欠如に過ぎないからです。 しかし、私たちは一度も無条件の愛から離れたことはないのです。 それなのに恐れを体験するとはどういうことでしょうか。 愛から離れたという信念が作り出す世界の中でのみ、恐れは体験されます。 愛から離れた自分を罪深いと判断し、罪悪感を抱き、恐れを体験するのです。 無垢なる神の子が罪に染まり、永遠なる者が限界に苦しみ、光である者が闇を味わいます。 太陽が闇を経験できるでしょうか。闇は光の不在で

          恐れを体験していたことを忘れ去る時が来ます

          争いの原因

          その人との関係において、お互いが「自分に必要なものが満たされていない」と感じる時、争いが生じます。 もし、どちらか一方が、自分に必要なものはすべて満たされていると感じているとすれば、争いが生まれることはあり得ないのです。 つまり、もし、あなたがそれらの欠乏感から解放されているとすれば、あなたが他者と争うことはなくなります。 どんな人といても、どんな状況にあっても、争う必要性が感じられなくなります。 欠乏感は真の自己の中には存在しません。つまり、争いたいと感じるとすれば

          争いの原因

          真の自己と矛盾した信念を手放していく

          あなたが真の自己と矛盾した信念を持つとすれば、疲れ、苛立ち、後悔等の好きではない感覚を体験することになります。 それは真の自己が本来持っている、喜び、平安、豊かさなどを覆い隠すベールです。その喜びや幸せはすぐ側にあるのに、それを見えなくしてしまうのです。 それが見えるようになるためには、真の自己と矛盾した信念を手放せばいいだけなのです。 私たちが今まで自分を限定するために学んできたすべては、手放される必要があります。 罪、罪悪感、恐れは自我の一つの信念です。それは私た

          真の自己と矛盾した信念を手放していく

          人間関係における私の責任

          人間関係において、相手が何を感じどのように反応するかに対して、私にはまったく責任はありません。 もし、その責任を取ろうとするならば、私たちの人間関係は必ず難しくなります。 私の責任は、相手に対して真の自己として接することだけなのです。 そのことで、相手は不快な気分になるかもしれません。怒りを感じたり、妬みを感じたり、イライラするかもしれません。 その人は、不快感の原因を私のせいにするかもしれません。私から離れていくかもしれません。 それはただ、その人が取り組むべき課

          人間関係における私の責任

          時間管理から解放されるという豊かさ

          真の自己の豊かさである、「やるべきことを、やるべき時にやれる能力」が芽生えてくると、時間管理の必要を感じなくなってきます。 時間がないという感覚から解放されるのです。 「やるべきことを、やるべき時にやれる能力」これは大いなる豊かさへの入り口です。 その能力の特徴は、自動的な時間管理がなされることです。 ちょうどいいタイミングでなされるべきことが自動的に生じてくるようになります。 自分が時間管理をしなくても、自動的な時間管理に自分をゆだねることができると分かるのです。

          時間管理から解放されるという豊かさ

          問われるのは、私たちが無条件に愛されているかどうかではなく、それを知っている状態に戻りたいかどうかです

          私たちが持つ恐れのために、必要なものと欲するものとが一致しないことが起こります。つまり、恐れから不必要なものを欲するようになるのです。 それはたとえば、自分を防衛するためのお金や名声であったり、知識や身体的な強さであったりします。 必要であればそれ自体は何の問題もないのですが、恐れが動機となる時に、不必要なものを欲することになるのです。 不必要なものを欲することに使われるエネルギーは、自然な状態に抵抗するものであるために、私たちを疲れさせ、活力を失わせることになります。

          問われるのは、私たちが無条件に愛されているかどうかではなく、それを知っている状態に戻りたいかどうかです

          幸せになることは難しくありません

          私たちにとってとても難しいことの一つは、人生は難しくないと信じることです。つまり、幸せになることは難しくないと信じることです。 多くの人が幸せは努力して勝ち取らなければならないものだと信じています。喜び、自由、平安、躍動感、活気に満ちた人生を手に入れることは難しいと信じているのです。 その信念によって、人生や人間関係は複雑で問題のあるものとなります。苦しみは避け難く、豊かさを感じることができず、閉塞感や制限された感覚に悩まされるのです。 頑張らなければ、苦しまなければ人

          幸せになることは難しくありません

          時間がないを超えていく

          するべきことがするべき時に最も適切な方法でできるようになると、今する必要のないことをしない選択ができるようになります。 私たちが時間がないと感じる原因の多くが、今する必要のないことをしなければならないと感じることからきています。 あれもしなければならない、これもしなければならない、時間がない、どうしたらいいのか。 自我にその答えを求めても、答えは与えられないのです。なぜなら、自我の視点ではどうすればいいか何も分からないからです。 全体が見渡せる真の自己の視点からのみ、

          時間がないを超えていく

          他者との良好な関係性を築くために

          私たちは自分のことをこの世界で分離独立した存在であると見ています。当然ながら他者のこともそのような存在であると見ています。 お互いが分離独立した存在であれば、他者との関係性を築くために、分離独立した者同士が一致できる場を見つけなければなりません。 それは同じ目標であったり、同じ価値観であったり、同じ嗜好であったり、共感し合えるものだったりします。 それらは分離独立した者同士が良好な関係性を築くために大切なこととなります。 それがなければ、不調和を感じたり、居心地の悪さ

          他者との良好な関係性を築くために

          悪夢から幸いな夢へ移行する

          あなたがありのままのあなたであるならば、つまりあなたが真の自己と一つであるならば、それで十分なのです。 必要なものはすべて満たされており、感謝と静かな喜びの中に生きることができます。 達成しなければならないことはもはや何も残っていません。 学びは続きます。冒険は続きます。それは毎日が新しいからです。 朝目覚めると、今日の冒険の始まりに静かな心の高鳴りを感じます。心の深くに静かな感謝と喜びがあります。 世界はその冒険の場であり、驚きに満ちた躍動感が溢れている場となるの

          悪夢から幸いな夢へ移行する