ここ最近の私の感覚の話
駐在生活2年目もやっぱり、家族がそれぞれあちこちでいろんな活動を始めています。ある人いわく、我が家の人間は、全員がじっとしていられないタイプの集まりなんじゃないかって。
特に9月から、Middle School に通い始めた息子から聞く学校の話は、何もかもが初めてのことなので、わからないことも数多くあるのです。そんな息子と共に、家族でどんな事があっても、目の前をブレイクスルーしていくぞ。という気合いを持たされる気がしています。
自分の家族の感覚に慣らされたのか?いたってこれが普通の状態でいることにも、改めて気がつかされました。そういえば、一時帰国の1ヶ月の中で、国内を数日間で転々とする移動距離は、かなりのものでした。
神奈川を中心に、北は仙台、下は名古屋まで過ごしている様子を友人が知った時に、合言葉のように言われたのが、「ところで、今日はどこにいるの?」でした。確かに、私だって目が回りそうになるスケジュールだったはずなのです。
でも聞かれている本人達は、いたってこれまた元気。移動距離が多くなればなるほどに、自分の中の不必要なものが、一緒に削ぎ落とされていったのか、まるで禊の旅のようでした。時間が経つほどに身体は軽やかに動き始める感じがします。
一時帰国から戻ってきてからの、オンラインで受講中の英会話レッスンも、気がつけばはや1年半が過ぎました。日本人的感覚と外国人と触れ合うの時間の中で、日常生活を英語という共通言語で行ったり来たり、やっぱり日本人なんだな・・・という現実に引き戻されるような感じも楽しんでいます。もはやそれを一番に英会話を学ぶ楽しさを味わっています。
住んでいると、話すことはもちろん必要な要素ではあるのだけれど、生活に密接している会話を通して、自分っていう一人の人格が持つ思考のパターンがいくつも磨かれて、細胞分裂みたいに、また生まれてくるような感じが、面白いなと思うのです。
そういえば、ちょうど昨日聞いたあの会話が、そうだ!そうそうこんなところに出てくるんだ!というシンクロ的な要素があることも。ある程度、会話の内容パターンが、自分に蓄積されつつあるからで、ある程度重ねてきたものが、重量オーバーで、外に出てくるみたいな感じなのかなという駐在2年目の英会話です。
英会話は、伝える優先順位の言葉の並び+その人の生きてきた背景や感覚+その瞬間に出会った人同士、お互いの持つ心地よい摩擦感で、ますます出会いの楽しみを広げてくれそうな予感を感じています。
英語が流暢だったら、このステップはきっと楽しめなかった感覚だと思うのです。自分が生きてきた中にある、ストーリーを持って物事を見て感じとる日本人感覚と、外国人の言葉の感覚を行ったり来たりできることが、一度で、幾つもの人生を歩めているようで、とても豊かさを感じるし、自分の幸福度を膨らませてくれるから、幸せだなと感じます。
自分に対して幸せな気持ちを持てることは、自分に対する信頼にも繋がるし、そんな人が周りにいるだけで、幸せ感が伝わっていくように思います。
まず、自分を満たす方法を自分自身が知っているって、どんな時でも大切になってくると思いませんか?英会話って、話せないと感じている人が自分の変化を感じて、その過程を楽しめるツールになると思う。と思っています。