フリーター
大学卒業後、私は無業状態になった。10年後の今に至るフリーターとしての私の始まりである。本当は大学卒業後に遠くへ行って農業をしたかったが、正社員でないことを理由に否定されて在学中と同じような就職活動の続きと公務員試験受験を強要された。しかし、そもそも社会に出る前に結果として新卒で就職できなかった者が、社会に出た後に就職できるはずもなく、公務員試験に関しては根本的に数的処理ができない私にとっては、いずれも無理なことだった。そんな社会から断絶されて宙ぶらりんの状態が9か月以上続いた。翌年冬、ようやく遠くへ行って農業を従事する機会を得た。解放の身になり、とても嬉しかった。期間限定の研修生だったが、開拓作業をした後にオリーブの苗を植えた。作業内容は充実していた。しかし、貧血などで体を壊し、当時は普通自動車免許を持っていないために研修地での移住が困難になったため、研修地の島を出て、春にはホームレスになった。飲食店やインターネットカフェで夜を過ごしたが、自分の意志で動いていたことは誇りだった。夏頃には今の所で一人暮らしを始めた。きっかけは、法律関係の事務所で半年間職場実習をする機会を得たためだ。大学在学中にビジネス実務法務検定3級を取得していて、その分野には興味があった。しかし、当時お世話になった人は事務所を設立して間もなくて駆け出しの頃だったため、私と関わる機会は少なくなっていて、本を読まされるだけの日々が多かった。契約期間は延長しなかった。ただ、この職場実習生の制度では約半分しか継続延長にならなかったので、当然のことだった。翌年冬には普通自動車免許を取得した。この年は、宅地建物取引業において、学生でもできるような広告の折り込みや街頭での配布などしかさせてもらえなかった。大学を出て3年目だったが、もう既に社会での需要はなかったのである。この年には、4年前にできなかったオリンピックの観戦を遂に行った。7月から8月にかけて、イギリス・ロンドンにいた。現地では、世界最高峰の舞台ということで興奮した。25歳には、インターネットのサイトを制作した「AGRIFORCE NAVI」という名称で、私が全都道府県に行った経験を活かして、各都道府県の農産物と風景を紹介する内容になった。イラストも描いた。少しでもわかりやすい表現になるように努めた。仕事の面では、地域紙のポスティングなど、大した内容しかさせてもらえない状況だった。26歳には、従事していた発送代行事業の所で不祥事に巻き込まれた関係で私が担当するはずだった業務がなくなり、飼い殺し状態が続き、モラハラやパワハラが横行した。配属先が変わっても悪者扱いされた。騙されたんだと思った。27歳には、不祥事に巻き込まれた所の仕事を任期満了でようやく辞めた後、6月にはカナダへ行った。史上初めてアメリカ大陸に上陸した。秋には、やっと農作業に携わり始めた。苺・桃の生産に関わっていた。しかし、正社員にはなれずにパート勤務だった。考えられる理由としては、社会に出てから一度も正社員になれる機会すら得られなかったこと・見た目が弱々しくて頼りないこと・実家暮らしではなくて財政的の余裕がないために自動車どころか原付すら持てていなかったこと・会話がおかしかったために能力の低い人間だったためかもしれない。その農作業は約4年続いたが、その間には同僚との会話が今一歩合わなかったのは不満だった。非現実な社会だった。最後には、勤務先が起こした不祥事による業績悪化のせいで、最終的には解雇された。秋からは別の所で事務に携わった。今は、ないがしろにされていて都合のいいパシリになっている。正社員になれずにフリーターの方が楽でよかったと思うようにして、無理やり納得させていることはある。