小説・成熟までの呟き 48歳・2

題名:「48歳・2」
 2038年の年末に、久しぶりに美穂の娘の日奈子が帰ってきた。日奈子は2037年4月にアイドルデビューして以降、11人いる海崎エンジェルスの一員として、海崎市の知名度向上の行事を、もちろんアイドル活動を精力的に行っていた。ライブは1か月ごとに行っていたが、回を重ねるごとに盛況になっていった。アイドルとしてデビューして以降、大尾島には来られなかったが、久しぶりに休みをもらったのであった。美穂は日奈子と2人きりで会話をした。「日奈子、お疲れ様。遠くからだけど、いろいろと活動は見ているよ。日奈子がアイドルになるなんて2,3年前は思いもしなかったなあ。その頃の日奈子って、やたらとスカートを嫌がってたし髪も短くないと嫌で康太によく切ってもらっていたけど、どういう心境の変化があったの?」と尋ねた。日奈子は次のように答えた。尚、日奈子は海崎エンジェルスでは衣装でスカートを多く穿き、ツインテールの髪型である。「お母さん、いつも遠くから応援してくれてありがとう。そうだよね、中学生の頃は今とは大きく違っていたよね。入学した高校の制服はスカートかスラックスか選べて私は断然スラックスを穿いていたんだけど、私がよく穿いていたズボンってジャージのようなどちらかというとだらしない方だったから、スラックスを穿くと締め付けられているような感じがしてきつかったんだ。だから高校を辞めたくなったというわけではないんだけどね。その後、スカートを穿いてみたら開放的な感触を受けて快感を覚えるようになったんだ。それでスカートを穿くことが好きになっていったのかなあ。後、今私はアイドルではツインテールにしているんだけど、なんか踊るたびにピョンピョンする動きが好きになっていったのかなあ。髪を凄く短くしていたのって、運動ばっかりしていた時でそれで頭がいっぱいだったからかなあ。最初に小学生の頃にお父さんにお願いして短くしてもらった時は「男と同じぐらいの短さにして馬鹿にされたくない」っていうような気持ちがあったかもしれないけど、運動ばかりしていると髪が頬にかかるのがなんか鬱陶しくてすぐ嫌になっちゃったんだよなあ。高校入試で失敗して、その後アイドルになったことで私は生まれ変わったって思ったんだ。だから今はアイドルとして全力投球したい。」と答えた。美穂は、「全力でいることが日奈子の持ち味だからね。」と言った。その後、日奈子は父親の康太と会話をした。かつてはいつも髪を切ってもらっていた。この年頃の娘としては、父親との接し方はどんなものだろうと気になる所ではある。康太は以下のように話を切り出した。「お疲れ様。前から言いたかったんだけど、日奈子って凄いなあって思うよ。俺、日奈子と同じように高校入試に失敗したんだ。進学した高校では周りと同じようにガリガリと勉強していた。自分が心から望んでいたかは別にして・・。でもそれが果たして社会に出てからは意味があったのかなあって思う。なんとか大学には合格したけど、大学に出たからってまともな仕事には就けなかったから・・。そのことが原因で苦しんでいたために、お母さんにも迷惑を掛けたから・・。だから、今の年齢で自分のしたいことを行動に移して躍動している日奈子って凄いなあって思うんだ。」すると日奈子は、「お父さん、ありがとう。私、お父さんがずっと見守ってくれているから頑張れるって思っているんだ。お父さんとお母さんって、私と健(弟)のために温かい家庭を築いてくれていたんだよね?」と言った。すると康太は、「いや、決して日奈子と健のために今のような家庭にしたわけではないんだ。でもさあ、せっかくお母さんと結婚したんだから心地よい家庭であり続けたいと思っているんだ。夫婦って、互いに不足していることを補いあうからこそしっかりと成り立つって考えているんだ。」と答えた。その後、健とも久しぶりに会話をして盛り上がった。日奈子にとっては、久しぶりの実家での時間は素晴らしい内容になったのだ。大晦日に、一家は毎年恒例の歌番組を見ていた。その時日奈子が急に、「私いつかこの番組に出たい。」と言った。周りは驚いた。しかし日奈子は更なる目標に向かっているようである。

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