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260:その海を見ることはもうない

2023年11月17日。
もう1年なのか、まだ1年なのか、よく分からない。
私が伯母を喪った日だ。

■愛情深く優しく、美しい人だった

母方の伯母は、それこそ私が赤ん坊だった頃から、無償の愛情を注いでくれた人だった。
ピアノの発表会があると聞けば、ハイブランドの子供服を贈ってくれ、私が両親にも言えなかった「お姫様願望」に気づいてくれた。

子供が着るには少し大人びた、すこしくすんだ金色のリボンがついた、少し変わった形のブラウス。
レース編みの靴下。

写真に納まっている私は、嬉しくて嬉しくてたまらないという顔をしている。

長く独身だった伯母は、姪や甥たちを、それはそれは愛してくれた。
5人もいる甥と姪たちを、いつでもぎゅーっと抱きしめてくれた。

彼女からもらった愛を、私たちはいつでも返したいと思っていたし、それは私の母や2番目の伯母もそうだったと思う。

颯爽とトレンチコートの裾を翻し、ヒールの高い靴をはいて出勤していく伯母は、憧れだった。

■いいことだけを思い出して

伯父は、一言でいえばろくでなしだった。
金にも女にもだらしない、モラハラ上等、生活費なんて出したこともない、そんな男。
そんな男に老後資金はおろか、身ぐるみはがされて借金まで作った挙句、死出の旅路まで連れていかれた伯母。
何でそんな男と結婚したのか、していたのか、今や永遠の謎だ。

伯父への憎悪は死ぬまで持っているが、伯母にはどうか穏やかな世界に居てくれるようにと願わずにはいられない。

いつもいい化粧品の匂いがして、おしゃれだった伯母。
私たちが新幹線で帰る時、いつも顔をくしゃくしゃにして泣いて、井泉のカツサンドを持たせてくれた。
子供たちだけで新幹線に乗り、東京に来た時は、ホームで私たちを見つけると嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら手を振ってくれた。

「姪と甥が来るので!(キリッ」と会社を早退してきた伯母は、両手に私たちの手をつないで、「さあ何を食べようか、お腹すいたでしょ?」と、いつも素敵なところに連れて行ってくれたものだ。

たくさんの、たくさんの愛情をもらった。
私たちの涙も愛情も、伝わっているだろうか。

どうか、善き人のいる場所で、彼女を愛してやまない私たちの想いの花が、
伯母の頭上に降り注いでいますように。

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