発達障害は薬で治るらしいという体験
発達、めっちゃ増えてるらしい
全国的に、一般的に、疾患として認知されるようになったからですかね。
かくいう私も自閉症スペクトラムと注意欠陥多動障害の診断が付きました。
「診断名なんで知らんけど、何も変わらないし」
と思ってたんですけど、治療に繋げられたのが良かった事でした
私が使ったのはノルアドレナリン再取り込み阻害薬で(薬剤名でいうとチープに感じて嫌だから敢えてこう書きます)、効きが悪いと言われている物だったのですがこれが効果覿面で、
わたしは晴れて【健常者】になれたのです。
健常者、不思議な頭だなあと思いました。
私が見てきた世界に散らばっている無数のスーパーボールが、バランスボール数個しか見えないのですから。
よく発達障害のひとたちは「優先順位が付けられず目先のものに向かってしまう」と評価されがちで、これの理由がやっとわかりました。
普通の人が「あの赤いボール」の話をしているとき、私はその赤いボールを見つけるのに、かなりの時間を要します。
しかも聴覚からの情報も得づらいためもう全然わからなくなってしまう……などなど。
これがかなり改善されました。
あと気付いたのは、
普通の人は嫌なことを忘れられないし、
些細なことにイライラするし、
世界のうつくしさをどれだけそのてのひらからこぼしていることか。
頭が整理されてコミュニケーションも少しはとれるようになったけれど、
今までそれが出来なかった発達の私を嫌いになりたくないな、と、現実と心持ちとの乖離にくるしみました
社会で障害者枠外で働くにはやっぱり発達は嫌悪されるし、自分も嫌われて人格否定をされてかなりつらいし、それは人事とかに伝えても特に変わらないしむしろ解雇に向けて準備されるっていうのがとてもかなしいことで……
そして更にかなしいことに、人生の途中で発達による生きづらさがやや改善したとて、
それまでの評価や、
育まれることのなかった自己肯定感や、
失われた時間を取り戻すのはかなり難しい。
この前、温泉で知的障害ぽい人が居たけど、
やっぱりよく笑う。
つまり、世界のたのしさや、うつくしさを知っているのは真に障害者側なのかなあと思います。
コミュニケーション上の問題、知能指数の問題、身体的な問題、性格上の問題と、障害者は多様だし取り巻く環境もいま変わりつつあるみたいだけれど、今後のことはわからないし、
わたしはわたしを見るので精一杯だし、
遺伝して自分の子供が同じような障害があると予測されるのがまたくるしいし心配だし申し訳無いと思うけど、
わたしと一緒にあまり生きづらさを感じずに、世界のうつくしさをみつけていく方法を考えたいとだけ思う。