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太陽礼拝を深めるために

【ヴェーダ】
紀元前15世紀頃に西北インドに侵入したインド・ヨーロッパ語族(アーリア人)が持っていた伝統儀式・・・ホーマ(護摩)を通じて天界に住む神々に供物を捧げ、賛歌を唱えることで神々からの恩恵を得るという祭式・・・を中心とした宗教。

初期の神々は自然を神格化したもので、「夜明けの光神・ウシャス」 「太陽神・スーリヤ」 「風神・ヴァーユ」 「水神・ヴァルナ」
「河神・サラスヴァティ」等。

後に「言葉の神・ヴァーチ」 「愛の神・カーマ」 「死神・ヤーマ」等の抽象概念も神格化される。
賛歌のうち最も多くは戦いの神・・・「雷神・インドラ」に捧げられたものである。

聖典は祭式における役割によって次の四つに分けられる。

リグ・ヴェーダ 「賛歌」
サーマ・ヴェーダ 「歌・旋律」
ヤジュル・ヴェーダ 「祭式作法」
アタルヴァ・ヴェーダ 「上記3ヴェーダの補完・個人利害の祈願・呪文集」


【リグ・ヴェーダ】
ヴィド 「知る・知識」 リグ 「讃えること・賛歌」 
編纂時期は紀元前1200~1000年ごろ。ヴェーダ聖典の中で最も古く、1017の賛歌と11の補遺歌から成る。
太陽礼拝で唱えるマントラの多くはリグ・ヴェーダに登場する自然神・・・太陽の「質」を神格化されたものである。


【インド思想の推移 ヴェーダからウパニシャッドへ】
時代が下るにつれ、ヴェーダに付随する祭式は複雑化し、本来は個人の内面の問題であったはずの「祈り」は片隅に追いやられ、ヴェーダは特権階級(ブラフマナ=バラモン)がその権力を維持するための単なる道具となっていく。
そういった社会的な推移とともに思想も荒廃していくのは「常」であるが、衰退期の混乱は同時に必ず「新思想」の萌芽となる。

ヴェーダ賛歌の中で、それぞれの自然現象の「属性」として見出してきた「神聖さ」。
その全ての「神聖さ」の背後に在る「たった一つの働き」「宇宙の根源的な力」・・・ブラフマンを「直覚」しようという思想がバラモン階級以外から興隆することになる。
祭式では絶対的な自由は得られない。現世利益のみを追求すれば当然現世に束縛される。
必要なことは瞑想や知性の純化による「究極の一者=ブラフマン」の発見である。
儀式による現世利益のみを追求するバラモン社会は否定しながらも、ヴェーダという流れから生まれ、その最後「-アンタ・・・サンスクリット語で末尾の意」を飾るものが「ヴェーダーアンダ」「ウパニシャッド」である。

【ヴェーダの原点へ】
太陽礼拝を深めるにあたって、そういった時代の推移をもう一度その発生時まで遡って「ヴェーダとは本来は何であったのか?」を思索していただきたい。
リグ・ヴェーダ賛歌は、征服民族としてのアーリア人の理想を託した神格(インドラ等)への賛歌が多数を占めるのは前述したとおりであるが、個人の「生」を取り巻く「現象」や「天測」に対する畏怖・畏敬なり、純粋な感謝の念から自然発生的に(おそらくは口ずさむように)生まれた賛歌こそが、その産声であったはずである。
自然現象に神聖さを見出すこと。全ての存在を「神」とみること。これを「アニミズム」という。


【リグ・ヴェーダ・・・神と出会うテキスト】
例えば、目の前に太陽がある。
植物は、ゆったりとその恵みを浴びて育っていく。
その植物の気持ちを、少しだけ想像してみてはどうだろうか?

朝、最初の光が生まれてから沈んでいくまで。成長のための力を、只々与え続けられる「豊饒の神」に出会う喜びを。

空気が湿り気を帯びたとき感じ始める、大地に巡らせた根を潤す「雨という神」の訪れを待つ憧れを。

夜には「月の光や星の光という神達」が、今はゆっくりと休んで、滋養を全身にゆき渡らせる時間なのだと告げてくれる。

光と闇の間を旅するという毎日にも、規則的な変化がある。

春から夏。夏から秋へと。
光の時間はだんだんと短くなり、闇の時間がだんだんと延びてくる。
光の温もりも少しづつ力を失っていく。

その「周期という神」は、次の世代へと「場」を譲り渡すタイミングを囁いてくれる。

「神」という存在はあらゆる形で、あらゆる場所で、彼と共にある。
「神」という存在は生まれてから死ぬまで、片時も彼の側を離れることがない。

彼はそのことを知っている。

ある日心を澄ませた一人の人間が、その植物に出会う。
植物の喜びを見たとき、それを自らの「喜び」として感じ始める。

そして、「喜び」を言葉にする。歌う。

その歌を聴いた私たちは、手を休め、初めて太陽に新たなるまなざしを向ける。
今まで意識したこともなかった太陽の「特別さ」を。そして「神聖さ」を私たちも見ることになる。

つまり、彼は言葉によって太陽を「神」に変えることができたのだ。
太陽は言葉によって神になったのだ。
その光の恩寵を。
その温もりの恩寵を。
心に深く感じて、そして心に届く言葉に出来るのならば。
太陽はさらに複数の神々へと拡がっていく。


太陽礼拝にみる太陽を表現する神々。「万物に讃えられるもの」  「天を駆け巡るもの」  「輝きや美をもたらすもの」 「滋養をもたらすもの」 「育むもの・(旅人を)守護するの」 

ヴェーダとは知識という意味である。 リグとは讃え歌うこと。 
太陽を本当に知り、それを讃える・・・リグする。

すると目前に神々が立ち現れてくるだろう。私たちにも理解できる姿で。

「ブラフマナ=バラモン」とは階級ではない。
素晴らしく表現できる資質を持つ人物が「ブラフマナ」である。

万物に神を見ることができる人物。
万物を讃え尽くすことができる人物が「ブラフマナ」である。

その喜びを万人に伝播させることができるのが「ブラフマナ」である。

彼らブラフマナは、わたしたちの狭窄した感性を震わせ、目を大きく開かせる

世界から「めぐみ」を受けていることを深く自覚して、その言葉が畏怖を。感謝を。慈しみを万人の胸へと呼び覚ますことができますようにと祈る人々。

詩人たち
踊り子たち
画家たち
音楽家たち

彼らは後の時代のブラフマナ達である。    

【太陽神への12のマントラ】 
1. Mitra 「万物の友・契約・ Aditya神群の一人」 

オーム ・ ミトラーヤ ・ ナマハ    (※リグ ヴェーダ)

2.:Ravi 「万物に讃えられるもの」 

オーム ・ ラヴァイェー ・ ナマハ  

3. Surya 「具体的な太陽・刺激するもの・天を駆け巡るもの」 

オーム ・ スーリヤーヤ ・ ナマハ   (※リグ ヴェーダ)

4. :Bhanu 「輝きや美をもたらすもの」 

オーム ・ バーナヴェー ・ ナマハ  

5. Khaga 「天空を移動するもの・自由に動けるもの」 

オーム ・ カガーヤ ・ ナマハ  

6. Pusan 「滋養をもたらすもの・育むもの・(旅人を)守護するもの」

オーム ・ プシュネー ・ ナマハ   (※リグ ヴェーダ)

7. Hiranyagarbha 「万物の創造主・黄金の胎児」 

オーム ・ ヒランニヤガルヴァーヤ ・ ナマハ    (※リグ ヴェーダ)

8. Marici 「病気の破壊者・夜明けの光・曙」 

オーム ・ マリーチャイーェー ・ ナマハ   

9. Aditya 「神群の総称・無拘束・無限・無垢なる女神」 

オーム ・ アーディティヤーヤ ・ ナマハ      (※リグ ヴェーダ)

10. Savitr 「宇宙の母・光明・刺激、鼓舞するもの」 

オーム ・ サヴィトレー ・ ナマハ    (※リグ ヴェーダ)

11.Arka 「讃えられるもの・光・水晶」 

オーム ・ アルカーヤ ・ ナマハ  

12. Bhaskara 「輝きをもたらすもの」 

オーム ・ バースカラーヤ ・ ナマハ


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