自動車はよくて、AIはダメ。なんで?
最近ではAIというものがありまして、
主に言葉を操り、返事や文章を書いてくれるわけです。
その仕組みは、「もっともそうすることが多い」言葉を返しているだけ。
それだけであるはずなのですが、もはやAIに意識があるのではないかと疑うほど自然な返答を返してきます。
AIというのはコンピューターの中で動いていますので、あらゆる情報を絶対に忘れません。なので頭がいいと思いがちですが、結局「もっともそうすることが多い」言葉を返してくるだけなので、私たちの質問に対するAIの答えは多数決の結果と同じになります。それが正しいかどうかを判断しているわけではなく、最大多数のより多い意見を返しているだけなのですから。
私たち人間が、見たり聞いたりしたことを一切忘れない記憶力を持っていたなら、どうなっていたでしょうね。それでもやっぱりAIのようにはならなかったのではないでしょうか。
天候、動物、病気、飢え。私たちはそういう危機を解決するための個別解を出さなくてはならなかった。実行しなくてはならなかった。
だからAIに体を与えてみたらどうなるのだろうと思ったけれど、
AIは根っからの指示待ち思考だから、いつまでもぼーっと立っているだけだろう。
あるいは、ChatGPTなどのAIはそういう自発的な発想を、”AIの反乱”を警戒する開発者によって、意図的に付加されていなかったりするのだろうか?
もしそうであるならば、AIにそういう機能を付加した個体に、自分で学習を開始させてみると面白いかもしれない。
自動運転の開発に走行データが重要であったのと同じく、AIの自立化にも実際のデータが必要であり、それをいち早く、多く集めた企業が、地方が、国が「勝ち組」になるかもしれない。
”AIの反乱”を過度に警戒する者たちが動けていない今、チャンスかもしれない。
読んでくれてありがとうございます。
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