ポリコレって言い訳の正当化なのだろうか?
youtubeを見ていた時のこと、とあるチャンネルでは「過激な性的描写である」と批判されているゲームに関する批判内容を紹介する動画を投稿していた。紹介されている批判内容の中には街頭インタビューがあったのですが、これが妙に偏っているのです。
紹介されていた批判内容は個人のyoutuberが投稿した物なので、批判されているゲームに対する公正な構成になどなっておらず、「このゲームは性的過ぎる」「前時代的で野蛮な作品だ」という意見ばかりが紹介されていた。しかし、私が言いたいのはこの偏りではないのです。
偏っていたのは「批判している人たちの体形」です。
皆、ほぼほぼ超肥満体なのです。
さてここからは私の妄想となります。
つまりその批判内容を見る限りにおいて、まるで、あたかも、「ぶくぶくに太った”何も努力しない自分”を正当化するために、性的魅力に富んだ男性や女性を貶めているのかのようではないか」と私は思ってしまうわけです。
外見的魅力を良くしようとか保とうとかすると、努力と我慢が必要です。
私もやろうとしていますが、なかなか思うようにはできません。
先日、生れて初めて麻布という町に行きましたが、ゲームに登場する人物以上の魅力的な女性たちを見かけました。「数十人規模で」です。百を超えたかもしれません。
この魅力的な女性たちは、街角に座り込んでピザを食べていたり、巨大なクレープを頬張っていたりしていないわけです。
あの魅力的な女性たちは、努力と我慢の先を行く人たちなのでしょう。
私は尊敬します。
そしてできることなら、見ていたい。
映像作品に出演してはならないとする理由が、私には理解できないです。
読んでくれてありがとうございます。
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