言葉は宗教?なのか?
例えば日本語には男性名詞と女性名詞という区別がありません。しかし、一人二人、一匹二匹、一尾二尾、といった数の数え方は多数あります。日本の文化において、そいつが男か女かということにそれほど関心がなかった、区別する必要がなかったということなのでしょう。ところが、人が2つなのと、犬が2つなのとは区別している。これは区別する必要があった。
英語では同じtwoで済むのかな?スペイン語には男性名詞とか女性名詞ってあるんでしたっけ?男性名詞とか女性名詞が分かれている地域って、キリスト教の伝来が早かった地域ということなのでしょうか?あの宗教では、女性が男性よりも劣っていることを、聖書の序文に記されている絶対の規則としてますから、使う言葉を分けるのも納得ですよね。
余談ですが、女性の人権向上を唱える人が、神道でもなく、仏教でもなく、キリスト教の結婚式を挙げてると「大丈夫?」と訊きたくなります。永遠の愛を誓っているその教会って場所は、貴方が敵対すべき場所なのでは?
閑話休題。じゃあ、なぜ日本語は人が2つと、犬が2つを分けたかったのだろうか?もっと言えば、犬が2つと、エビが2つも分けたのです。箸も、木も、紙も。
やっぱり宗教による発想なのでしょうか?八百万の神々って神道ですよね。となれば、人と犬、エビ、箸、木、紙それらすべてに違う神様がいることになり、これを一緒にすることができなかった。のか?